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>>380
■日本の朝鮮侵略史 1894年の日清戦争直前、日本軍が朝鮮王宮を占領し政権転覆(ネトウヨ本では教えてくれない日本史)
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*1894年7月23日未明。闇のなかで、日本軍の一団が景福宮の門の一つを爆薬で壊そうとした。
だがうまくいかない。よじのぼり、斧(おの)でたたき、四苦八苦の末に壊すと乱入する。
ほかの門も開け放ち、王宮を守る朝鮮兵たちとの約3時間にわたる銃撃戦の末に王宮を制圧したのは、すっかり夜も明けたころだった。
活劇映画さながらの戦闘は、日本軍の公式戦史にはない。偶発的な小競り合いとされてきたが、
福島県立図書館で詳細な戦史草案を見いだし、百年の後に世に問うたのは奈良女子大の中塚明名誉教授だった。
なぜ王宮占領か。ひとことで言えば、思い通りにならない為政者をとりかえ、清国の軍隊を朝鮮から追い出してくれと日本に依頼させるためだった。
URLリンク(www.asahi.com)
*朝鮮王宮ニ対スル威嚇的運動ノ計画
一、部署及任務 旅団司令部 京城公使館内ニ移ル 歩兵第十一聯隊〔長、中佐西島助義〕 本部 龍山ニ留メ聯隊長ヲ同地留屯諸隊ノ指揮ニ任ス・・・・
URLリンク(homepage2.nifty.com) 111.htm
*関連公文書
7月23日 大島少将発 参謀総長宛
明治27年(1894年)7月23日の未明に、朝鮮王宮の攻撃を担う混成旅団を率いる大島義昌陸軍少将が本国の参謀総長に送った電文です。
大鳥圭介駐朝鮮公使の要請により翌朝には王宮を包囲することを伝えています。
7月23日 大鳥公使発 陸奥大臣宛
明治27年(1894年)7月23日の朝に、京城(漢城)の大鳥圭介駐朝鮮公使が本国の陸奥外務大臣に送った電文です。日本からの要求に対する
朝鮮政府の回答が満足のいくものではなかったために兵をもって王宮を包囲し、朝鮮の兵との間で戦闘が起きていることを伝えています。
第16号混成旅団報告、7月23日
明治27年(1894年)7月24日になって、朝鮮王宮の攻撃を担った混成旅団を率いる大島義昌陸軍少将が本国の参謀総長に送った、前日の攻撃の経緯を記した報告書です。
URLリンク(www.jacar.go.jp)