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オフシーズン真っ只中のプロ野球界に、ビッグニュースが飛び込んできた。6年後に開催が決まっている東京五輪で、
野球競技が復活するかもしれないというのだ。
8日に開かれた国際オリンピック委員会の臨時総会で、五輪開催都市が推す複数の競技を、追加種目として
提案できる権利が承認された。これを受けて、2020年東京五輪では、野球が復活するのではないか?
と報じるニュースが相次いだ。
五輪で野球復活となれば、2008年の北京五輪以来となる。今回はプロ野球情報を毎日発信している
『週刊野球太郎』編集部に、プロ選手が参加した2000年シドニー五輪から2008年北京五輪まで、過去の
日本代表チームの戦いを振り返ってもらった。
◎プロ選手参加は2000年シドニー五輪から
この年から、プロ野球界から大物選手が五輪に参加するようになった。松坂大輔(ソフトバンク)、黒木知宏(元ロッテ)、
松中信彦(ソフトバンク)、中村紀洋(元近鉄ほか)、田中幸雄(元日本ハム)、田口壮(元オリックスほか)ら、
当時はパ・リーグに所属していたメンバー中心の8選手が参加。プロ・アマ合同チームとして、メダル獲得へ大きな期待が寄せられた。
しかし、結果は無残にも初のメダルなしに終わる。準決勝のキューバ戦は0-3で完封負け。3位決定戦の韓国戦では、
後にオリックス入りする左腕ク・デソン(元オリックス)の小気味よい投球に翻弄され、1-3で敗れた。
このとき、日本代表としてマウンドに登り、ク・デソンと投げ合ったのが松坂大輔。来季からソフトバンクに移籍して、
9年ぶりの日本球界復帰が決まっている。
ちなみに、当時はアマチュア選手で、その後、プロ入りした選手も多かった。投手では渡辺俊介(元ロッテ)、
石川雅規(ヤクルト)、杉内俊哉(巨人)らが、野手では阿部慎之助(巨人)、廣瀬純(広島)、赤星憲広(元阪神)
なども参加していた。
◎オールプロで出場した2004年アテネ五輪
シドニーの屈辱を晴らすべく、初めて全メンバーをプロ選手で固めて挑んだのが、2004年アテネ五輪だ。
2大会連続出場となった松坂大輔や中村紀洋のほか、上原浩治(レッドソックス)や高橋由伸(巨人)、
城島健司(元ダイエーほか)など、蒼々たるメンバーが集結。金メダル獲得を至上命題とされた全24人選手を
率いるのは、あの長嶋茂雄監督……のはずだった。しかし、オリンピック開幕を迎える5カ月前に、脳梗塞で倒れた
長嶋監督に代わり、本戦で指揮を執ったのは、中畑清監督代行。
順調に勝ち進んだ日本代表の準決勝の相手はオーストラリア代表だった。ここでも松坂大輔が、8回途中まで
13奪三振と好投しながら、打線が振るわず。後に阪神へ入団するクリス・オクスプリングと、阪神で「JFK」の「J」として
君臨していたジェフ・ウィリアムスを打ち崩せず、0-1で敗れた。
3位決定戦はカナダに11-2で大勝し、銅メダルを獲得した日本代表。この試合で本塁打を放った城島は
「メダルの色は違うが後悔はない。胸を張って日本へ帰ることができる」とコメントした。
◎まさかの落球…屈辱の2008年北京五輪
そして迎えた4年後の北京五輪。そろそろ金メダルを、と期待され、アテネ五輪と同様にオールプロで挑んだ大会だったが、
残念ながら2000年シドニー大会と同じく、メダルなしに終わった。
1次リーグから苦戦が続いた日本代表。キューバ、韓国、米国に敗れて4位通過で辛うじて突破。
準決勝の韓国戦ではイ・スンヨプ(元巨人ほか)に本塁打を浴びるなど、2-6で敗れた。この試合で外野フライを
落球したG.G佐藤(元西武ほか)を覚えているファンも多いだろう。
続く3位決定戦の米国戦でも、フライを落球したG.G佐藤。荒木雅博(中日)、青木宣親(ロイヤルズ)の
本塁打でリードを奪うも、痛恨の逆転負けでメダルを逃したのだった。
こうして振り返ると、プロ選手参加後の五輪野球には、あまりいい思い出がない。東京五輪で野球が復活となれば、
日本代表にとっては、まさに負けられない戦いとなるだろう。
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