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2014年11月19日(水)
井戸端会議化するワイドショー
文藝春秋11月号に、ワイドショー関係者が見たら目を剥くようなタイトルの記事が掲載された。
「ワイドショー『いかがわしさの正体』/社会が悪い、政治が悪い---。テレビコメンテーターの化けの皮を
剥ぐ」
書いたのは京大名誉教授で関西大学東京センター長の竹内洋氏。戦後思想史をまとめた『革新幻想の
戦後史』(中央公論新社)によって、2012年に読売・吉野作造賞を受賞した、日本を代表する知識人の一
人である。
竹内氏はワイドショーや情報番組をよく見るほうだという。社会ネタから芸能ネタまで揃っているため、今
を知るのに便利なのだそうだ。確かに世の中の出来事を、短時間の視聴で大掴みに出来る。同じように
思っている視聴者は大勢いるだろう。
日本のワイドショーの嚆矢はNHK出身の故・木島則夫氏が司会を務めた『モーニングショー』(NET=現テ
レビ朝日、1964年4月~)。その誕生から、ちょうど50年が過ぎた。今や、すっかり日本人の生活に溶け込
んでいる。
ところが、ワイドショーと情報番組の足下を危うくしようとしていると指摘されるのが、コメンテーター制度と
呼ばれる日本独特の仕組み。この制度は80年代後半から本格的に導入され、当初は諸問題を専門家
がコメンテーターとして解説する形態だったが、近年は様相が違う。人選の基準がはっきりしない。
竹内氏はこう書いている。
「元スポーツ選手や芸能人が経済問題や政治問題についてコメントするのは、筋違いだろう、とは思う。
しかし、テレビ局はそんなことは百も承知でやっているのである。そもそも情報番組のコメントは井戸端会
議として作られているものだからだ」(文藝春秋11月号より)
本当に制作者たちは井戸端会議を作ろうとしているのだろうか? 少なくとも90年代までのワイドショーは違
ったはず。欧米の大衆紙のような役割を果たしていた。
グリコ・森永事件から山口組と一和会の抗争、オウム真理教事件などを、ニュース番組とは違った視点
で事件を鋭角的に報じ、数々のスクープも放った。記者クラブとは無縁ということもあり、独自取材が大半。
優等生的ではないが、野心に満ち、目線も低かった。
けれど、1分単位の僅かな数字まで争うためか、いつの間にかコメンテーターが語る時間が増えた。専門
家の解説より、視聴率の取れるコメンテーターの言葉のほうがありがたいのかもしれない。とはいえ、そ
れでは本当に井戸端会議と化してしまう。
ワイドショー、情報番組が苦手という視聴者も少なくないだろうが、相対的には高い視聴率を誇り、一定
の世論形成力を持つ。井戸端会議で世論の一端が作られているとすれば、ちょっと怖い気がする。
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引用元:現代ビジネス URLリンク(gendai.ismedia.jp)