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石井は水口に、ケガの不安があることを含めた“事情”を説明し、純粋なプロ契約ではなく、
松下電器の社員契約選手としてプレーしたいと申し出た。
その結果、異例とも言える本社法務部に所属することが認められ、
社員契約選手として松下電器に入社することになる。
プロ契約選手と変わらないサッカー優先の日々を過ごしたが、
所属は外為法(外国為替及び外国貿易法)や輸出関連の法律を扱う法務部。
「英語を話せることが当たり前」の部署で、少なからず危機感も覚えた。
2年目の93年にはJリーグが開幕。いわゆるバブル期の熱狂を体感し、
自身が子供の頃からの夢であったサッカー選手になったことを実感した。
「当時の盛り上がりはすごかったですね。『Jリーグ』という言葉がマスコミに出たまさに次の日から、
練習場に大勢のファンが押し寄せるようになりました。ファンサービスでは、
サインを描き終えるまでに1時間から2時間もかかりました。不思議な空間でしたね。
でも、本当にありがたかった。初めて超満員のスタジアムでプレーした時に、
生まれて初めて武者震いしました。『これがプロの世界だ』と思いましたね」
主にサイドバックとして14試合に出場したJリーグ開幕年は、石井にとって幸せな時間だった。
大学時代に不安視していたひざの故障も、トレーナーとドクターがそろうプロの環境ではプレーしながら
治療できることに気づいた。持ち味のスピードも十分に通用する。
コンディションさえ整えば戦える自信もついた。
だからこそ、チーム内で数少ない社員契約選手である自分が、少し“守り”に入っているような気がした。
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