14/09/29 13:24:41.33 0
巨人が26日の横浜DeNA戦(横浜)に勝ち、3年連続36度目(2リーグ制以降)のセ・リーグ優勝を果たした。
原辰徳監督(56)は優勝監督インタビューで、5月29日に78歳で死去した父、貢氏(東海大野球部名誉総監督)に思いをはせ涙ぐんだが、
進出が決まっているクライマックスシリーズに向けて必勝を誓った。
そんな巨人監督在任11年でリーグ優勝7度を誇る名将には、新たな挑戦が浮上している。
かつて亡き父とともに“父子鷹”として、アマ球界を席巻した思い出の舞台、横浜スタジアムの宙を舞うこと8度。
原監督は「私にとっても、父親には特に神奈川の高校野球の聖地。私自身も胴上げさせてもらい、父も見ているとするなら喜んでいると思う。
個人的なことで申し訳ないが、記憶に残る胴上げ」と目を赤くして語った。
父、貢氏は1965年、無名校の福岡・三池工を率いて夏の甲子園で初出場初優勝の快挙。
翌年に東海大・松前重義総長に請われ神奈川・東海大相模の監督に就任し長男の原監督ら家族を伴って上京。
指揮官には当時の印象的な光景がある。父の前では明るく振る舞う母・勝代さんが「夕方になると九州の方角を見ながら涙を流していた。
離れて寂しかったんだと思う」。父に「なぜ三池を離れたの? なぜこっちに来たの?」と問うと「オレはどうしても、都でもう一度勝負がしたかった」と答えたという。
「人生は挑戦。常にチャレンジャーだ」。
信条通りの生き様を貫いた貢氏。東海大系列野球部のトップとして、原監督や孫の菅野ら人材を球界に輩出した。
だが5月4日に病魔に倒れ、29日夜、楽天戦(東京ドーム)の指揮を終え病院に駆けつけた息子を待っていたように、到着5分後に78歳の生涯を閉じた。
そんな悲しみをこらえての3連覇。原監督は「すべてエネルギーに変えられた。奇跡的な勝利も多々あった。何かいろんな力がわれわれに力をくれた」。
指揮官として7度目のリーグ優勝。日本シリーズを制すれば4度目の日本一だ。第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)優勝も合わせ、
現在の日本球界で他の追随を許さない存在となったが、父の教えに従い、新たなる挑戦に向かう時が近づいている。
20年東京五輪で野球日本代表を率い、金メダルを獲ることだ。
野球は昨年のIOC(国際オリンピック委員会)総会で28競技枠から外れたが、原監督は菅野と今年1月に出席した東海大のイベントで
「間違いなく野球は種目に入ってくると思う。100%信じている」。
根拠はJOC(日本オリンピック委員会)オフィシャルパートナーの親会社、読売新聞社を通じて得たとみられる。
IOCのバッハ会長と交流のある同社幹部は「バレーボールやバスケットボールなど夏季五輪の室内競技を冬季五輪に移す案があり、バッハ会長は推進派。
そうすれば夏季の枠が空く」と話す。
巨人の指揮をOBの松井秀喜氏に託し、17年の第4回WBC後にも原ジャパンが誕生。
エースはもちろん、今季初めて開幕投手を任せ、MVP級の活躍で応えた甥っ子だ。 (笹森倫)
2014.09.28
URLリンク(www.zakzak.co.jp)