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甲子園球場で行われたオールスターゲーム第2戦に先発登板したのが、
セ・リーグは藤浪晋太郎(阪神)、パ・リーグは大谷翔平(日本ハム)だった。
若武者たちの投球にファンは酔いしれた。
奇しくもそのわずか4日後、2人と同じ歳のプロ野球選手が、度重なる不祥事への
処分を乗り越えて、マウンドに帰ってきた。その選手の名前は、相内誠(=登録名・誠)という。
◎「房総のダルビッシュ」と呼ばれた高校時代
2012年ドラフト直前に発売された野球雑誌『野球太郎』には、相内についてこう書かれている。
『関東地区No.1、2の素材として期待された快碗。長いリーチをしなやかに使える腕の振り、
速球と同じ腕の振りでスライダー、カーブを投げる投球センス。ひ弱さは残るが、未知の魅力に
掛けるなら。あとは必死さだけ。』
千葉国際高2年時、夏の千葉大会の対松戸馬橋高戦でなんと、初回先頭打者から9連続
奪三振を記録。一躍注目を浴びるようになった。出身地は千葉県富津市で、「房総のダルビッシュ」と
呼ばれた3年夏は、3回戦で敗退するも、最速140キロのストレートやその投球センスが評価されて、
その年のドラフト2位で西武から指名を受ける。契約金7000万円、年俸700万円(ともに推定)、
そして背番号は渡辺久信監督(当時)の現役時代と同じ41番を渡され、仮契約を結んだ相内。
プロ生活は前途洋々のはずであった。
◎指名後にまさかの不祥事……一時は入団ご破算も
事件は12月初旬に起こる。相内はなんと、東京湾アクアラインを無免許運転。さらにスピード違反を犯し、
道路交通法違反で摘発された。入団手続きは当然ながら凍結。一般企業なら内定取り消しもやむを得ない
不祥事を起こしてしまったのだ。
だが、西武の懐の深さに助けられる。その後、球団と2度の面談を行い、反省ぶりが確認できたことで
入団交渉は再開。背番号は71に変更され、年俸も630万円にダウン。同期から2カ月遅れの3月10日、
西武に正式入団する運びとなった。
◎あの反省は何だったのか? 1年後の裏切り行為
入団経緯から実戦登板から遠ざかっていたものの、1年目はファームで6試合に登板し0勝3敗、
防御率6.30を記録。オフには登録名を「誠」に変更し、12月には豪州ウインターリーグに派遣されるなど、
球団側も飛躍へのバックアップを惜しまなかった。
ところが誠は、そんな周囲の想いを再び裏切る行為を起こしてしまう。未成年にもかかわらず、
数回にわたって、都内の飲食店で喫煙や飲酒を繰り返していたというのだ。外部からの情報で
発覚したもので、球団側が本人に事情聴取したところ、事実を認めたという。球団側はこの事実を
受け止め、6カ月の対外試合への出場禁止と、寮からの夜間外出禁止処分などを下した。
さらに誠には、西武のユニフォームを着て練習することすら許されなかった。練習着で
人一倍汗を流し続け、シート打撃の登板を重ね、実戦感覚を鈍らせないように工夫した。
そんな6カ月間を過ごし、ようやく処分が明けた。
7月23日、誠自身の20歳の誕生日にファームのロッテ戦に登板。実戦は豪州ウインターリーグ
以来で、公式戦初先発ながら5回を1失点に抑えた。そして、7月31日、2度目の先発でも
6回6奪三振1失点という好投を見せ、イースタン・リーグ初勝利を挙げた。
―あとは必死さだけ。
前述した『野球太郎』の評にあるように、野球センスや素質は一級品。残るは野球に対する
真摯な取り組みと、これまで多くの関係者に多大な迷惑を掛けてきたことを反省し続ける強い心が
必要だろう。迷惑を掛けてきた関係者や、応援してくれるファンのために1日でも早く1軍に昇格して、
そのパフォーマンスを見せ、西武を勝利に導くことに他ならない。(『週刊野球太郎』編集部)
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