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板東はムチャ
引き分け規定の新設
昭和33年、徳島商・板東投手は春季四国大会・準決勝の高知商戦で延長16回、
翌日決勝の高松商戦で延長25回を一人で投げたのがきっかけとなり、日本高野連は直後の夏の選手権大会から
「延長戦は18回で打ち切り、勝負がつかない場合は引分再試合」とする大会規定を設けた。
▼昭和33年春季四国大会・決勝 =延長25回= (高松)石川陽造 (徳島)板東英二
高松商 000 000 000 000 000 000 000 000 2=2
徳島商 000 000 000 000 000 000 000 000 0=0
▼昭和33年選手権大会・準々決勝 =延長18回・大会規定により引分=
(徳島)板東英二 (魚津)村椿輝雄
徳島商 000 000 000 000 000 000=0
魚_津 000 000 000 000 000 000=0
甲子園史上最多の83奪三振
再試合では、板東は再び先発したが、魚津は村椿を控えに回して1年生の森内正親投手を先発させた。
徳島商が4回に1点を先取したところで村椿が救援したが、徳島商は6回に2点を追加、終盤の魚津の猛攻を板東が1点に抑え込み、2日間に渡る死闘は決着した。
板東は、最初の試合で延長18回参考記録ながら1試合最多の25奪三振、再試合でも9奪三振。大会通算の奪三振は66を数えていた。
▼昭和33年選手権大会・準々決勝 =再試合=
(徳島)板東英二 (魚津)森内正親、村椿輝雄
徳島商 000 102 000=3
魚_津 000 000 100=1