14/06/05 17:47:28.62 0
2014.06.05(木)
アンチでもマンセーでもない評論はできるか?
「AERA」のアイドル特集がさっぱりわからない。
アイドル業界もコミケとそっくりになってきた。
漫画業界にいてもコミケに関心がなく、コミケがわからなくても漫画家をやってこれたので、
アイドルも末広がりの底辺を知る必要もないと思う。
歌がヘタでも、ブスでも、誰でもアイドルと言えばアイドルになれる時代になったようだ。
そういう価値相対化、価値紊乱化が嫌いだが、資本主義は細分化した価値観をあらかじめ狙って
商品を続々と繰り出して来るので、味噌もクソも一緒になってしまうのはしょうがない。
だがこの「AERA」の特集、殺人未遂事件のあとにしては呑気すぎる。
禍々しいものが襲来して、ファンとの距離が近いが故のリスクに常にさらされなければならないアイドルブームは、
果たしてコミケブームほど安泰なのか?
連帯を失ってアノミー化した者たちを接近させるリスクは計り知れない。
濱野もアイドルをプロデュースしたがるまでに客観性を失っているが、
少女を預かる大人の社会的責任は大きいぞ。
指原莉乃の特集記事も載ってるが、マンセーする大人たちの態度が気色悪い。
福田監督の映画は史上最大の大コケらしいが、主役のせいなのか、監督のせいなのか、
頭を冷やして分析した方がいいぞ。
わしはAKBを応援したいが、運から見放された現在を直視して、その原因を考えるのが評論家の役目だ。
そういう評論を許してきたジャンルは栄えるが、評論が許されないジャンルは文化として定着しない。
アンチでもマンセーでもなく、文化として評論できるかが問われている。
URLリンク(yoshinori-kobayashi.com)