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「侍ジャパン」から始まる、野球の大逆襲 野球界が、真の改革へと動き出した(※野球イノベーション第3回)
衰退産業である野球界は、どうすればかつての熱気を取り戻すことが
できるだろうか。ひとつの方策としては、カルロス・ゴーンを招いた
日産自動車のように、外部の血を注入することが考えられる。
必要なのは、変革の足かせとなっている既成概念を吹き飛ばすことだ。
だが、構造改革の進まない日本野球機構(NPB)という組織で、
そうした手は現実的ではない。なぜなら、出るくいは権力者たちに打たれて
しまうからだ。そもそも、ゴーンのような強烈な個性は受け入れないだろう。
はたして古い日本社会の縮図である野球界は、
どうすれば変わることができるのか。その大きなカギを握るのが、
侍ジャパンというイノベーションプロジェクトである。
◆ビジネス界から人材を集める
「この日が来るのを待ち望んでいた」
2013年5月16日、アマチュア球界を束ねる全日本野球協会(BFJ)の
副会長・鈴木義信は、深い感慨にふけっていた。25年前、
1988年ソウル五輪で野茂英雄、古田敦也、野村謙二郎らの野球日本代表を
率いて銀メダルに導いた鈴木は、その日が訪れた意義を誰より感じていた。
「10年後、20年後もその日を忘れない」
北海道日本ハムファイターズや横浜DeNAベイスターズの事業部で勤務し、
2013年4月からNPBの侍ジャパン事業戦略担当を務める前沢賢は、
その日までの道程を胸に刻み込んだ。着任からたった1カ月で、
こんなにも早く第一歩目を踏み出せるとは微塵も想像していなかった。
2013年5月16日は、日本球史において特別な1日になった。NPBとBFJが
手を組み、野球日本代表マネジメント委員会(JBMC)が発足したのだ。
JBMCを誕生させるにあたり、中心になって動いたのがNPBの侍ジャパン事業部だ。
後にJBMCの委員長に就任する日本ハム球団代表の島田利正が、荒木重雄、
前述の前沢を推薦。荒木は欧米の外資系通信会社で日本法人の社長を務め、
2005年から千葉ロッテマリーンズの球団改革で辣腕を発揮したビジネスマンだ。
高校、大学と野球推薦で進んだ前沢は、人材派遣会社のパソナで働いた後に
スポーツ業界へ転身し、08年北京五輪に向けて中国で代表チーム、リーグの
マーケティングに尽力した。帰国後に日本ハム球団の事業部に入社し、
スポンサー営業で年間6億円を売り上げたこともある。
彼らに加え、12球団から国内外で実績、人脈を持つ人物がやって来た。
それまでのNPBは、外部から見るといわゆる“お役所”という印象だったが、
ビジネス界のスペシャリストたちが加入し、野球人気復活に向けて再出発を切った。
◆プロとアマの目的が合致
野球界が複雑怪奇なのは、さまざまなステークホルダーが存在するからだ。
プロだけでも12球団と両リーグ、さらにNPBが存在し、アマチュアには
高校、大学、社会人、少年世代と利害関係者がいる。それぞれの思惑が
複雑に絡み合った結果、「プロアマの壁」がそびえ立った。
(>>2-5辺りに続く)
東洋経済オンライン 2014年05月15日(スポーツライター 中島大輔)
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画像:WBCを二連覇した日本代表。国際的な舞台での活躍は、野球人気復活のために不可欠だ
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