11/06/03 17:51:54.36 FNz98wYF
被害の背景には、当初発生した小さな火砕流が衝撃的だったことから取材競争が過熱し、
十分な知識を持たない報道関係者が、取材のため「定点」と呼ばれた山と火砕流を正面から望める地点に入ったことがある。
これにより報道関係者は消防・警察も立ち入らない危険地帯に多く滞在することとなった。
また一部の報道関係者が、避難して無人となった人家に不法侵入するなど騒動を起こし、
6月1日にはテレビ局の取材班による盗電も発生していたため、不安を憶えた地元住民が住居に帰ったり、命令を受けた消防団員、警察官が事件再発を防ぐために設けられた警戒本部に出動させられた。
結果、火砕流は「定点」に居座った報道陣のみならず、消防団員、警察官、地元住民を飲み込んで犠牲者を出すことになった。
なお、火砕流で殉職した日本テレビのカメラマンが使用していた業務用ビデオカメラが、2005年(平成17年)6月になって発見された。
カメラは火砕流による高熱で溶解し高度に破損していたが、内部のテープを取り出し修復することに成功した。
ビデオには、避難を警告する警官らや、それを無視し火砕流が襲来する直前まで取材を続ける記者らの姿や音声が記録されていた。