11/11/29 00:49:33.57 tDEvIZbN0
>>343続き
<00:33:10頃~>
Q.医療組織などからの影響
うーん。
基本的に開業医っていうものに関していうと、個人の付き合いでやってることのほうが
多いので、大学病院は正直な話、あまり関係ないですね。だから、
「開業医の人間が、ある程度自由なことを言える医師なのかな?この地区では」
というふうには思います。
病院の医師っていうのは逆に、やはり医局からの派遣っていうふうなものが非常に大事
なので、大きな輪を見だすわけにはいかないわけなんですね。
大学病院と関係ない、郡山市っていうのは大学病院ありませんので、大きい病院3つあ
りまして、その3つとも私立の病院なんですね。そこに派遣されてる医師たちも県立医大
だけじゃなくて、東京方面の大学から来てる医局も何か所かありますね。
だけれども、病院全体として県立大が占める割合が大きいので、やはり発言にある程度
制限がかかるんじゃないかなというふうには感じられますけれども。
僕は一応チェルノブイリの時も、かなり危機感を持って学生時代を過ごしてたので、今
回、正直な話、4基の原発が爆発した時点で、
「こりゃもうダメだ。もう日本終わったんじゃないか」
というふうに、子供たちの顔を見て、
「非常に申し訳ないな。我々の世代が、今世の中を動かしてると思うんですけど、我々の
世代が、この日本を壊してしまったんだ」
っていうふうに、思いました。
で、もうその時点で
「終わった」
って僕は思いました。
こちらに帰ってくるにしても、もう家族とはもう会えないだろうというふうな気持ちで、
僕は帰ってきました。
Q.相当深刻に考えてたんですね。
でも、今、なぜか家族も帰ってきてしまってるんですけどね・・・。
Q.ご家族はいつ戻られたんですか?
家族が帰ってきたのは、僕が某中学校の校長先生と個人的に知り合いで、その校長先生
に
「福島県こういう状況なので、新学期はゴールデンウィーク明けから始めるように、なん
とかなりませんか?」
というふうに、ちょっとメールを打ってみたんですが、その方非常に紳士な方で、いろん
な意見を取り入れてくださる先生なんですが、その先生ですら、
「今、この段階で5月まで待つ客観的な理由がない」
というふうにあっさり返事が来まして、そうなると、その新学期に合わせて帰ってくる意
外無いかということと、あと、一番上の子供は小学校6年生だったので、卒業式があった
んです。
「もうどうしてもそれには出たい」
ということで、結局それに合わせて帰ってきたということで、4月の初旬、3日か4日に帰
ってきましたね。
本当は僕は帰ってきてほしくなかったんですが、そういういろいろな事情がありまして、
帰ってきましたよね・・・。
だから、僕が思ってたほどひどい状態じゃないというふうには思いましたね。
僕は、
「世の中終わった」
というふうに、正直な話思ったんですけど、しかも日本中が地震活動期に入って、今現在
でもそうだと思うんですけど、じゃあそれで金沢に避難して、安全か?っていうと、まぁ
すぐ近くにもんじゅがあるわけなんですね。志賀原発もあるわけなんで、そういうのを考
えると、
「果たして本当にそこで避難して、それで安全なのか?」
続く