11/09/25 21:18:12.90 Dq1auYek0
応永の外寇
朝鮮の兵力は精鋭部隊1万3000人(奇襲上陸)
それを迎えうった対馬兵は、留守番役で数が少なく足軽級もいれて、たったの600人。(当時、藩主他、主力は京都や天津にいた)
それで、当時対馬にいた中国人が記録してるが、もう笑っちゃうほどに朝鮮将兵は弱かった。
最初の弓合戦でも、ただの一矢も朝鮮側は届かすことが出来ず、逆に対馬兵の弓矢は百発百中、
それだけで、対馬兵に殺され放題だった。
日本武士は、一人で600人斬ったのもいたそうで、最後は、適当、バラバラに斬り込んで、斬り殺し放題
朝鮮将兵は、日本刀で切られると、刀、兜、鎧ごと、スパスパ切り落とされるので、泣き喚いて逃げてたと。
最初の朝鮮軍の奇襲で殺された対馬村民以外は、朝鮮将兵は一方的に狩り取られた
日本側は多勢に無勢を気にする風もなく、奇襲強襲、釣り野伏せ(待ち伏せ)など、したい放題で一方的に勝利
600人で1万3000人を10日ほどで完敗させ、朝鮮側は最終的に対馬が日本であることを再確認させられ、
その上、毎年大量の米を対馬に献上することを約束させられた