11/08/13 17:46:44.94 xoFn3Qzb0
水俣病
1956年(昭和31年)、熊本大学医学部の研究チームにより、有機水銀原因説が有力視されたのだが、
同年11月12日には厚生省食品衛生調査会常任委員会・水俣食中毒特別部会が大学と同様の答申を出したところ、
厚生省は翌13日に同部会を突如解散。
1960年(昭和35年)4月、日本化学工業協会が塩化ビニール酢酸特別委員会の付属機関として、
田宮猛雄・日本医学会会長を委員長とする「田宮委員会」を設置。後に熊本大学医学部研究班も加わることとなった。
有機水銀説に対する異説として清浦雷作・東京工業大学教授らがアミン説を発表し、
彼らの主張がそのままマスコミによって報道されたため、原因は未解明という印象を与えた
裁判になったのは1973(昭和48)年
日本人は水俣病からいったい何を学んだのか
同じようにマスコミと御用学者にいいように踊らされ、最後に苦しむのは自分自身なのに