11/08/11 04:33:51.94 npjgR7RtP BE:3732996479-PLT(12086) ポイント特典
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9日、長崎は66回目の原爆の日を迎えた。原爆犠牲者の追悼と、恒久平和を願う平和祈念式典が今年も
長崎市松山町の平和公園であり、6000人が参列した。この日は、市内外で平和を願うさまざまな催しが開かれ、長崎は祈りに包まれた。
◇絶望を乗り越えて 語り部・小峰さん、被災地へ希望の歌声「生きてきてよかった」
♪「生きてきてよかった!」--。長崎市の平和祈念式典会場で、被爆体験の語り部、小峰秀孝さん(70)が、
合唱団「被爆者歌う会『ひまわり』」の一員としてステージに立ち、東日本大震災の被災地に思いを込めて歌い上げた。
被爆で両足や腹部にケロイドが残り、いじめや差別を受けて自殺未遂も図った。そんな経験から、
福島第1原発事故で出口の見えない日々を送る人々に「明日を信じて、生き抜いて」と願う。【釣田祐喜】
小峰さんが睡眠薬で服毒自殺を図ったのは24歳の時だった。結婚を考えた女性の父親に被爆者と知られ「娘に近付かないように」と絶縁を言い渡された。
死にきれなかったが、その後、偏見を恐れ被爆を隠し続けた。
大震災後、被災者が自ら命を絶ったという報道を見聞きするたび、小峰さんはやりきれない気持ちになる。
4歳の時、爆心地の北1・5キロ、自宅近くでセミ取りをしていて被爆した。
右足甲のケロイドで足首を曲げられず、右足を引きずってしか歩けなかった幼少期は「腐れ足」といじめられた。
手術などで歩けるようになっても、がんなどの後障害におびえた。“絶縁”された女性と再会、結婚し3人の子供をもうけたが、結局破綻した。
40代の頃、転機が訪れた。被爆者団体「長崎原爆被災者協議会」への参加だった。
涙ながらに体験を聞かせてくれる仲間たち。自身も受け入れられたと気付き、苦しみ続けた経験を、せきを切ったように話し始めた。
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