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日本ではブサヨのほうが過激
東アジア反日武装戦線は第二次世界大戦以前の日本を完全な悪と捉えており、太平洋戦争を侵略戦争として憎んでいたが、
戦前・戦中に日本の重工業を支え、戦後も日本を代表する重工メーカーであり、防衛産業を手掛け、海外進出を行っていた三菱重工業は現在においても「帝国主義」であり、
グループの政治思想に基づき「経済的にアジアを侵略している」として無差別爆破テロに至った。
1974年8月30日、「狼」の4人は、午後0時25分[3]ごろ三菱重工業東京本社ビル(現:丸の内二丁目ビル)1階出入り口のフラワーポット脇に時限爆弾を仕掛けた。これは三菱重工業東京本社ビルと道を隔てて反対側にある三菱電機ビルの両方を破壊する意図からであった。
現場から立ち去ったあと午後0時45分に時限爆弾が炸裂した。この爆発の衝撃で1階部分が破壊され玄関ロビーは大破、建物内にいた社員が殺傷されたほか、表通りにも破片が降り注ぎ多数の通行人が巻き込まれ死傷した。
結果、爆風と飛び散ったガラス片などで通行人を含む376人が負傷し、死者8人(即死5人、病院収容後に死亡3人)という戦後日本最悪の爆弾テロ事件となった。
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