11/07/18 00:07:07.25 qR/2aWO70 BE:354249937-PLT(12001) ポイント特典
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「ヴォーカロイドが“神”になるということ」
ヴォーカロイドに存在感をもたらしているのひとつに、「ヴォーカロイドが“魂の入った神様”になっていること」があると思う。
“魂の入った神様”というのは、それを崇拝する人がいて、崇拝する人の存在によって魂が吹き込まれて神が宿る―そういう神様のことだ。
八百万の国とも呼ばれる、このアニミズムの息づく国では、そう珍しい現象でもない。
この国において、人形、フィギュア、そしてキャラクターといった“本当はモノでしかないもの”に、魂を感じ取るのはむしろ自然なことではないか。
オタク系ショップは、神社のような装置として働いているとも言えるし、アニメの舞台を旅することを“聖地巡礼”と呼び倣うオタクスラングも、
実は、本来の聖地巡礼のニュアンスに案外近いのではないかと思う。
自分が好きなキャラクターの存在感をより強く感じるにあたり、そのキャラクター達が描かれていた風景や舞台を訪れてみるのは、確かに効果的な手段に違いなかろう。
で、ヴォーカロイドの場合……である。
彼女達は、“本当はモノでしかない”どころか“本当はデータでしかない”。が、モノかデータかは大した問題ではない。
ヴォーカロイドは、「絶対に触ることが出来ない」。これは欠点のように思えるが、神性を孕むにはかえって好都合になっている。
歌を伴っているとなれば尚更だ! もう、“神”になるしかない。
注目しなければならないのは、インターネットツールが果たした役割だ。
フィギュアを自室で愛玩するような「キャラクターに魂を感じる」の場合、プライベートな次元で終わってしまう。
ところがニコニコ動画で「キャラクターに魂を感じる」の場合は、この限りではない。第三者にも観測できる現象になる。
神様を乗せた御神輿を都大路でワッショイする風景、になるわけだ。
要約するなら、「万物に魂を感じるようなアニミズムの精神風土」という土壌の存在が、ヴォーカロイドに魂を感じるファンを存在させ、
ファンの心がインターネットツールを介して特濃レベルに集まりに集まって、ヴォーカロイドは本当に“神”になっちゃったんじゃないのか、ということだ。
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