11/07/17 15:47:33.99 /nWeSwpy0 BE:2649768285-PLT(12000) ポイント特典
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1993年1月13日夜、山形県新庄市立明倫中学校の体育館で、用具室に立てて巻いてあったマットに
逆さに突っ込まれた形で、同中学1年生児玉有平君の死体が発見された。
しばらくして、7人の少年が逮捕・補導された。この事件は、
日本の学校・地域の「陰湿」な体質を背景とした「いじめマット殺人」としてセンセーションを引き起こし、
地元には報道陣が殺到した。筆者は同年の5月と8月、そして翌1994年の8月に、
地元明倫学区を中心に聞き取り調査を行った。
最初は事件の背後にある子ども集団の「いじめ」体質を調査する目的だった。
ところがしばらくするうちに、事件そのものの「真相」が雲散霧消してしまった。
裁判は不可解な経過をたどった。事件の近傍に位置する人たちからは、聞き取りを拒否された。
結果として、調査対象はもっぱら事件には関わっていない近隣の大人たちとなった。
この事件を枕に行った聞き取りから、人々の「世間」が鮮やかに浮き出てきた。
それは、子どもたちの「世間」と同形の体験構造に貫かれていた。
前節の理論は、「子どもの世間」にも「おとなの世間」にもあてはまる。
児玉家は幼稚園を経営する、モダンな感じの、仲睦まじい裕福な家庭であり、
かなり目立つ立派な家に住んでいる。自宅も隣接する幼稚園も、デザインが非常に美しい。
有平君の父親の児玉昭平さんも裕福な家の生まれで、理想主義的なことを真顔で話す
珍しいタイプである。家族の団らんが趣味で、外で酒を飲まないで家で飲む。
十数年前に新庄に移ってきた。児玉家の人は全員標準語を話す。
子どもたちは「自律的な個人」となるべく育てられた。有平君は授業中に手を上げて発言し、
学校行事でも目立っていた。
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