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豊臣秀吉の家臣に大谷吉継という武将がいた。
ある日の茶会で、お茶の回し飲みが行なわれた。
その時、大谷吉継はハンセン病(ライ病)に侵されていて、体や顔からも膿が出るほど重いものだった。
吉継がハンセン病に侵されていることは周知のことだったので、その茶会にいた他の誰もがそれを気味悪がって、
吉継の飲んだ後の湯のみは、回ってきても飲む振りをするだけだった。
その時の吉継の心中たるや、いくら自分の病気が原因とはいえ、その恥ずかしさ、悔しさは、推して知るべし。
しかし石田三成ただ一人は、回ってきたそのお茶を、ためらうことなく飲み干した。
三成という男は、そんなつまらぬことで人の面子を潰す事はしたくない、義の男だった。
驚いたのは他ならぬ吉継。屋敷に帰った吉継は、茶会での屈辱に悔し涙を流したが、
そんな中での三成の心意気に感動し、以来、三成との友情を堅く誓ったと言う。
「吉継に100万の軍勢を与えて自由に指揮させてみたい」
豊臣秀吉にそう言わしめるほど豊臣家臣団の中でもトップクラスの優秀さを誇り、
徳川家康からの評価も非常に高かった。
徳川家康と石田光成が対立した時、光成に勝機が無い事を吉継は十分に悟っていた。
それでも、あの時の感謝と義理で敢えて光成側に加わった。
これが日本人の美徳だ。
まさしく、今のレディーガガと日本である。
俺ら日本人は必ず、全力で、この恩を返さなければならない。