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ギャンブルをやめられず、仕事も手につかない。こうしたギャンブル依存症(病的賭博)の人を対象にした
西日本で初めての回復施設が4月、大和高田市に開設された。施設長の三宅隆之さん(36)=斑鳩
(いかるが)町=も依存症に苦しんだ過去を持つ。「依存症は病気。治療が必要だ」と訴える。(田中祐也)
にぎやかな電子音とともに玉があふれ出る。うらやましげな視線を周りから感じ、全身が震えた。初めての
パチンコで大当たり。「気持ちいい、と思った」
三宅さんは1994年、福島県の国立大に入学。「第一志望ではなく、やる気が出なかった」。同年夏、
先輩に誘われ、初めてパチンコ店に。大当たりすると、挫折感や劣等感を忘れることができた。
「パチンコが人生のすべて」になった。親からの仕送りや夜間のバイト代をつぎ込んだ。98年に福島県の
ラジオ局に就職してからも、うその用事を作っては外出し、パチンコへ。消費者金融から4年間で600万円の
借金を重ね、親に全額肩代わりしてもらった。
そのころ、初めて精神科医の診察を受けた。「あなたはギャンブル依存症。治療しないと将来は刑務所か
自殺だよ」と言われたが、今度は会社の金を使い込み、2003年9月、退職に追い込まれた。
04年1月、東京のラジオ局に再就職したが状況は変わらない。ヤミ金に手を出し、再び会社の金を着服。
同僚の財布からも金を抜き取った。借金の返済額より多めに盗み、余った金でパチンコに行った。
すぐにばれ、窃盗容疑で書類送検。示談成立で起訴はされなかったが、会社は解雇された。次の就職先
でも会社の金に手をつけ、06年6月に解雇された。
翌月、東京の自助グループに参加した後、横浜市の回復施設に入所。共同生活を送って体験談を語り
合ううち、ギャンブル依存症と自覚できた。
1年3カ月後に退所。09年春、大学時代の友人や会社員時代の上司を訪ねて謝罪した。多くの人が
「元気になってよかった」と喜んでくれた。
(以下略・全文はソースで)
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