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命懸け原発補修「代われるなら」
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15日午前6時15分―。東京電力福島第1原発2号機で爆発音が響いた。
付近住民に避難や屋内退避の指示が出る中、原発のメンテナンスをする
「東北エンタープライズ」社長の名嘉幸照(ゆきてる)さん(69)=伊是名村出身=
は全社員を避難させた。だが、同日夕、東京電力からの要請で、技術を持った
社員3人が現場に戻ることに。「社員は家族や地域、国民を守る使命感で職場に
戻った。命を懸けて働く社員やその家族を思うとつらい。できるなら自分が代わり
たいが…」。名嘉さんは声を震わせた。(吉川毅)
早朝の爆発直後、名嘉さんはメールで全社員75人に「避難」を指示し、妻と一緒
に約50キロ離れたいわき市へ。避難する車の中で携帯電話を握り、全社員が無事
に、自衛隊の車両などで避難したことを確認した。
しかし、ほっとしたのもつかの間。夕方、いったん避難したベテラン社員3人に対し
「現場に戻してほしい」と東京電力の要請。名嘉さんは苦渋の決断を迫られた。
「余震と被ばくの恐怖に耐え、みんな不眠不休で疲労もピーク。3人の家族も当然、
強く反対した。子どもを戦場に送るような心の痛みをこらえ、家族には泣いてお願いした」。
名嘉さんは沖縄タイムス社の電話取材に対し、疲れ切った声で語った。
名嘉さんは同原発建設時から、エンジニアとして事業に携わり、30年前に独立。
東電の下請けとして技術提供を行ってきた。
地震発生から5日目。爆発で原発の機器が次々に故障。補修や仮設機材の設置、
放射線の測定作業に追われた。これまでまったく予想しなかったことが現実となった。
社員の中には家族や知人が行方不明の人もいる。
地震発生当時、高台にある事務所にいた名嘉さんは、見慣れた街並みが波でつぶされ
ていく様子を見た。福島に住んで約40年。体感したことのない揺れと、見たことのない
大津波。港や原発から約10キロしか離れていない富岡町の事務所と自宅は無事だったが、
周りの景色は一瞬にして無くなり、多くの人も消えた。「社員とその家族の無事を祈るだけで、
今後の事は考えられない。早く悪夢が終わってほしい。それしか言うことはない」