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スレタイ いつまでも たえることなく ともだちでいよう
東日本大震災:「友達は大事だな」被災高校生に支援 千葉
「来たよ」。津波で多数の死者を出した千葉県旭市飯岡地区。被災から数日後、高校3年、浅木
美憂さん(18)方を小中学時代の同級生や高校の仲間が訪ねてきた。浅木さん一家の被災を人
づてに聞き、駆けつけた。
自宅の窓や壁に、津波の水位を示す跡が今も生々しく残る。倒壊こそ免れたが、浸水で家財道
具は使い物にならない。「すごくうれしかった。『友達は大事だな』と改めて思いました」
16日も40人ほどが集まり、家財道具の運び出しや近所の高齢者宅の片付けを手伝った。作業
の休憩時、友人が差し入れた温かい豚汁を紙コップに分け、みんなで食べた。「いつも食べている
ものよりおいしく感じました」と浅木さんは言った。
4人家族。地震の時は自宅に1人でおり、近くの小学校に避難して無事だった。13日昼に自宅の
様子を見に行った。「今も信じられないけど、自分が何を見ているのか分かりませんでした」
浅木さんの部屋に、1台のグランドピアノが残っている。5歳の時、病気で40歳で他界した母栄子
さんの形見だ。栄子さんは生前、自宅でピアノ教室を開いていた。津波で土まみれになったピアノの
鍵盤を、一つたたいてみた。音は出たが鍵盤が上に戻らない。「もう使えません。この家も壊すかも
しれない。ずっと残しておく訳にはいかない。仕方がありません」
地震発生から5日。余震は続き、津波の再来におびえながら日々を過ごしている。今後のことも不
安だ。「元の飯岡に戻したい。生まれてずっと育ってきたまち。何もないけど人が温ったかい。ずっと
飯岡にいたい」。目に涙を浮かべ、言葉を詰まらせた。【荻野公一】
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