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本物見抜く ご意見番
2011年9月26日14時32分
世界の屋根ヒマラヤを舞台に、登山家たちは登頂記録に挑む。
記録はすべて自己申告だ。その記録を厳格公正に判定することで、
山への愛情を表現する人たちがいる。
日本でその役割を担っているのが、日本ヒマラヤ協会顧問の
山森欣一(やまもり・きんいち)(67)だ。
ヒマラヤ登山の「ご意見番」と呼ばれている。
「8千メートル峰で無酸素登頂に成功しても、
下山途中に体調を崩して1回でも酸素を吸えば無酸素登頂とはいえない」
「ガイドが先導してエベレストを登るなら、
それは高所登山ではなく、高所遠足だ」
山森のことばは、安直な姿勢でヒマラヤに挑む者にとって、この上なく厳しい。
◇
山森はなぜヒマラヤ登山記録の認定に情熱を燃やすのか。きっかけがあった。
1978年、山森は山岳会の仲間6人と共にカラコルムの
ハチンダール・キッシュ(7163メートル)初登頂に挑んだ。
この時、27歳の隊員、亀井建樹(かめい・たてき)のロープが
5100メートル付近で切れ、墜落死した。
明るい性格で遠征を盛り上げてくれた、山森が最も信頼していた仲間だった。
険しい現場での遺体収容作業は、新たな犠牲者を生み出しかねない。
副隊長の山森は「遺体は収容しない」と冷徹な決断をした。
ベースキャンプを去って下山する際、
「亀井が『おーい』と呼んでいる気がした」と山森は言う。
遺族には遺骨の代わりに現地の石しか持って帰ることができなかった。
「亀井の死を無駄にはしない」。
遭難防止を呼びかける一方、「死の危険を承知で挑むヒマラヤだからこそ、
競技スポーツのような厳しいルールを作るべきだ」。
そう考えた山森は、無酸素登頂の定義などを提言してきた。
(続く)