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アニメ…マンガの兄弟にして最強のライバル(5)
「未来少年コナン」が、それまでのアニメとはどう違ったのか。
「アニメの世界」の取材時に、アニメ作家の飯田つとむさんが、こんなことを言っていた。
「コナン以前のアニメは紙芝居。ただ絵が動いているだけといったもの。ところがコナンは違う。
動き自体にキャラクターの性格描写がある。生理的に気持ちいい動きがあるんだということに気づいたんです。
アニメでしかやれない物語を作ったのが宮崎さんだったわけです」
創成期のテレビアニメは、1秒間のカット数をギリギリまで絞り込み、さらにストップモーションの多用といった形で作られてきた。
それは、制作費や制作日数といった制限の中でやむをえないことだったが、確かに、
出来上がった作品は「動くマンガ」の域を出ていなかったかもしれない。
当時、アニメには、ある意味での「制作上の約束事」があった。そのあたりの事情を押井守さんは、
「アニメは子供の見るものだから、3分ごとにアクションを入れろとか、カットをパッパッと変えろとか、
絶えずロングからシーンを始めろとか」と言っていた。そんな決まりごとに対する「異論」が押井作品の原点だといえようか。
アニメの世界では、すでに名が知られ、実写の監督としても活躍していた彼に会うのは、自分にとっても楽しみな取材だった。
東京・杉並区内のアパートの一室での、ほんのわずかな時間のインタビューだったが、その考え方に強い印象を受けた。
押井さんは、もともとアニメーターでもマンガ家でもない。だからこそ、アニメを、手法こそ映画と違うものの、
同じ映像表現の一つとして捉えようという意識があった。その考え方のもとで作られたアニメは、宮崎作品とは別の形で、
ファンやアニメ関係者に大きな刺激を与えるものになった。
飯田さんは、後に「飯田馬之介」という名で多くの作品にかかわり、ますますの活躍が期待されていた。
しかし、昨年、読売新聞紙上でその訃報に接する。49歳という若さだった。
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