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金沢はかつて全国5位の大都市だった!?
1960年代高度成長に起きた人口移動の歴史的背景
工業化によって人口は大移動!
都市は日本海側から東海道へ
宮本が対談で触れている日本海側から東海道への人口の大移動は、明治、大正、昭和戦前の工業化を経て、1960年代の高度成長期にかけて進んだ。
明治11(1878)年の都市人口ランキングをもとに、日本海側から東海道への人口移動を分析した
「週刊ダイヤモンド」(1997年8月16-23日合併号「特集 ニッポン全692都市ランキング」)を読んでみる。
「明治11(1878)年の金沢の人口は10万7878人、全国で5位である。4位の名古屋と並ぶ巨大都市だったことがわかる。ベスト10には9位に富山が入っている。人口は5万8386人だ。
続いて、15位に福井、16位に松江、17位に新潟、18位に鳥取、19位に弘前が入る。上位20都市のうち、7都市が日本海側である。」
「120年前(注・掲載時1997年)に集積していた日本海側の都市が、120年後の現在、順位を大幅に下げていることが定量的にわかる。
現在の日本海側の大都市は新潟で23位、次に金沢で32位、富山は57位、福井は85位まで下がっている。新潟だけ下降率が低い。」
「120年前の都市の人口分布は、工業化、そして戦後の高度成長を経て、人口と経済力の重心を東海道ベルト地帯へ移すことになった。」
工業化時代を迎えるまで、日本の大都市は全国に散在しており、城下町として繁栄していた。とくに日本海側は北前船の経由地として各地の物産、資金が集まっていたのである。
しかし、近代以降の工業化=資本主義化は、資本と労働力の蓄積が重要な条件になる。大陸中国や朝鮮半島ではなく、資本主義の中心はアメリカだ。
アメリカとの交易を考えれば、太平洋側へ集積させることが合理的ということになる。
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