11/01/11 22:39:41.10 XC8mDq0W0
孫正義の父親?三憲さんね。密造酒作って働いてましたね。
税務署の役人に密造酒の件でしょっちゅう摘発されていましたよ。
そのたびに始末書を書かされる。でも、またすぐに同じことを始めるんだ。
三憲さんのお母さん(李元照)は、もうパット見た瞬間から、朝鮮人という感じでしたね。
朝鮮の衣装を着られて、先の尖った朝鮮靴を履いて、手押しの車に残飯を集めて歩いていらっしゃった。
朝鮮の衣装というのは、チマチョゴリのことである。おばあちゃんは14歳で日本に密入国してきて韓国の国籍です。
孫のおばあさんの言葉は完全な朝鮮訛りでしたね。家のまえでゼンマイも干していましたが、朝鮮人はあんな粗末なものまで食べるとは思いませんでした。密造酒も作っていました。
漁船が想像以上のオンボロ船なので途中で浸水してきた。このままでは本当に沈みかねない。
三憲は「だから俺は日本になんか帰りたくなかったんだ」と大泣きした。
その後、別の船で博多の志賀島に無事上陸し、知人に誘わ島柄の駅前の朝鮮部落にやっと居を定めることができた。
「もし、日本に向かう密航船が沈没していたら、孫正義も生まれていなかったし、ソフトバンクも存在しなかった。もちろん私も生まれていませんでした。」
孫一家は正義が小学生に上がる頃、島柄の朝鮮部落を離れ、北九州市八幡西区に移り住んだ。在日韓国・朝鮮人が比較的多く住む場所として地元では知られている。
孫が島柄を離れたもう一つの理由は、三憲の密造酒づくりから、闇金業に変わったからである。
三憲の闇金融業へのこの転身も 元はといえば、祖母の李元照が始めた水商売女相手の小口融資に発端があった。
孫正義が十歳になった頃、三憲は闇金業からパチンコ屋に転身した。
孫一族七人兄妹で福岡と佐賀だけでパチンコ屋56軒もあった。
孫一家がかつて暮らした鳥柄駅前の「無番地」のバラック建ての家は、別の朝鮮人に貸しつけた。
URLリンク(c.photo.my.hp009.com)
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週刊孫正義伝
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