10/12/29 13:29:47.00 Ly25xuEd0● BE:3249759078-PLT(20000) ポイント特典
sssp://img.2ch.net/ico/u_sii_angel.gif
URLリンク(www.jsports.co.jp)
このシーズンオフは日本人若手選手の海外移籍が次々と決まっている。
12月に入り、家長昭博(C大阪)のマジョルカ移籍、細貝萌(浦和)のレバークーゼン移籍が正式決定。
家長は4年半契約で、細貝も4年半契約オプションつきの2年半契約というから驚きだ。
岡崎慎司(清水)のシュツットガルト行きも秒読み段階に入っているようだし、
槙野智章(広島)のケルン、安田理大(G大阪)のフィテッセ行きも有力になりつつあるという。
今夏に欧州の扉を叩いた香川真司(ドルトムント)、内田篤人(シャルケ)、長友佑都(チェゼーナ)らに引き続き、
北京世代の海外進出が熱を帯びている。
先日、インドネシアで会った酒井友之(ペリタ・ジャヤ)が、こんな話をしていたのを思い出す。
「俺らが若かった頃は海外移籍は相当ハードルが高かった。ドルトムントやシャルケといった欧州ビッグクラブに日本人の若手が行くなんて信じられない」と。
彼の言うことはよく分かる。実際、酒井ら黄金世代は99年ワールドユース(ナイジェリア)で準優勝しているのだ。
直後に世界の主要クラブからオファーが殺到してもおかしくなかった。
小野伸二(清水)と稲本潤一(川崎)は2年後の2001年に渡欧しているが、この大会でベストイレブンに選ばれた本山雅志(鹿島)でさえ、
そのままクラブに残らざるを得なかった。
本山が「俺らは時代が早かった」とコメントしている通り、当時のJリーグは終身雇用的な考え方が根強く「移籍する者はクラブへの忠誠心が薄い」と見られがちだった。
加えて、海外移籍をサポートする代理人も不在で、日本人選手の能力を売り込むことも満足にできなかった。
(つづく)