10/12/06 15:51:10.83 wxmHXpphP BE:3384360487-PLT(12346) ポイント特典
sssp://img.2ch.net/ico/telephomen2.gif
2両編成の筑豊電鉄は起点の黒崎駅前駅(北九州市)を出ると、じきに洞海湾に面した工業地帯と並行する
ように走り、途中で南に大きく逸れて筑豊方面へ向かう。車窓越しに見えるのは低い山並みと住宅地からなる
退屈な風景だけだ。無人駅をいくつかやり過ごし、中間市に入ったあたりで下車すると、駅前から延びる
緩くて長い坂道の両脇に、戸建の住宅街が広がっていた。
かつては炭鉱町として栄えたというが、往時の面影はすでにない。それでも、薄れゆく採炭地としての記憶を
懸命に守ろうとするかのように、唯一この町で存在を誇示しているのが、町はずれにあるボタ山である。長年の
風雨によって形をだらしなく崩し、いまや雑木に覆われた小高い丘陵でしかないが、古くから地元に住む人々に
とっては“石炭の栄光”を振り返るべく、もっともノスタルジックな場所となっている。
その荒れ果てたボタ山と向き合うように、県立高校の校舎が建っていた。Tがこの学校を卒業してから、すでに
20年が経過している。彼は影の薄い男だった。「おとなしくて目立たない、クラスで最も地味なヤツでした」と、
元同級生のひとりは言う。「友達もほとんどいなかったんじゃないかなあ。いつも、ひとりで行動していた。
3年生のとき、確か家出して1週間ほど学校を休んで話題になったこともありましたね。でもそれ以外、彼の
ことって全然思い出すことができないですね」
私が話を聞いた元同級生たちは、誰もが同じ印象を口にした。「無口」「物静か」「気が弱そう」。かつての
女子生徒のなかには「T? そんな名前の人、聞いたことがない」と、存在そのものを否定する者までいた。
卒業アルバムを確認してもらってようやく出た言葉は「ああ、小太りの男。見たことはあるかもしれない」だった。
Tは一時期、生徒会の役員を務めたこともあるが、その事実すら覚えている者は少ない。「生徒会なんて誰も
やりたがらない雑用係みたいなものだったから、みんなでTに押し付けたに違いない」と断言する元同級生もいた。
存在感のなさ―その一点のみで、Tは同じ教室で過ごした者たちの記憶の端に、かろうじてぶら下がっているだけだ。
URLリンク(g2.kodansha.co.jp)
URLリンク(g2.kodansha.co.jp)