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大正 元年 乃木希典 「明治天皇に対する殉死」 を理由に割腹自殺
昭和 2年 芥川龍之介 「未来に対する漠然たる不安」 を理由に自殺
昭和23年 太宰治 「戦前より悪い時代が来る」 を理由に自殺
昭和45年 三島由紀夫 「日本という国がなくなった」 を理由に割腹自殺
昭和47年 川端康成 「三島の割腹死にショック」 を理由にガス自殺
実はノーベル賞は三島由紀夫に内定していたが、審査員の一部から三島の楯の会の政治的活動を問題視する声があがり、
川端へ移行を検討。審査員が川端へ打診したところ、川端は三島を擁護せずにそれを承諾し三島へも、今回は私がいただ
かせてもらいます、と言った。後年、川端は、あれは三島君がもらうべきだったと知人に漏らしている。そして自責の念にかられ
てか、川端は徐々に睡眠薬中毒そして自害。