10/11/10 18:24:03.57 IJkh0gwk0 BE:3214613287-PLT(12001)
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(>>1の続き)
「18歳という年齢の定義は、婚姻が16歳で許されている中で整合性が問題になると思います。
それに、(「児童ポルノ」にあたるのは)被写体がどう写されている場合か、
定義し直す必要があると思います。
また、単純所持を禁止することに実効性があるとしても、そこから生まれる冤罪の危険性や、
権力の増大といった不利益。それらも、当然議論していかなければならないでしょう」
橋本氏の議論すべきポイントは、規制に反対を唱える人々のそれと変わらない。
橋本氏が国民運動に名を連ねた理由は、規制を進める運動をしている人たちには
「そうした思慮が、まったくない」と考えたからだ。
「母が理事だった頃は、(ユニセフ協会は)全国樺太連盟のビルに入っていて
貧しい世帯でやってた。それが、ああしたビルを建てて、
私の兄も"オフクロがやっていた時とは違う団体になった"と話していた」
ユニセフ協会の職員も多くの人は本来の業務に関しては真面目に、使命感を持ってやっている。
それは、昔も今も変わりはない。
しかし、組織が巨大になった今、さまざまな問題や批判を抱えているのは確かだ。
本論とも外れるので詳細は省くが、橋本氏は現在のユニセフ協会そのものの問題点してくれた。
もちろん、無謬の組織なんて決してあり得ない。組織を維持し発展させる中で、
次々とトラブルが発生し、批判が巻き起こるのは当然だ。
そうした時に、きちんと問題解決のために議論したり、批判に対応できることは、
公共性を持った組織であれば、当然の義務と言える。
ところが、なぜか「児童ポルノ」をめぐって、巻き起こった批判に対する
ユニセフ協会の対応は、非常に官僚的で思慮に欠けているのではないかと、筆者は感じている。
そうした中で、橋本氏は国民運動に参加した中で感じた違和感を隠そうとはしない。
(続く)