10/10/16 02:39:20.93 /Jg9O/xM0 BE:896952757-PLT(12073) ポイント特典
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秀吉が大量殺りく? 三木合戦「新説」に波紋
三木城主の別所長治と羽柴秀吉が戦った三木合戦の歴史を巡る有識者らの調査によって新説が表れ、
地元住民らに波紋を広げている。別所方の降伏後に秀吉が城兵を大量に殺したという説や、秀吉の本陣跡が、
従来とは別の場所だった可能性が判明。長らく史実として信じられてきただけに、衝撃的に受け止められたようだ。(藤森恵一郎)
■秀吉の大量殺りく説
秀吉の2年に及ぶ過酷な兵糧攻めで、「三木の干殺し」とも呼ばれる三木合戦。長治は一族とともに自害することで城兵の命を救ったとされてきた。
ところがこの説に一石を投じる見解が、7月に三木市教委が刊行した有識者らによる調査報告書に掲載された。
新説を打ち立てたのは、大手前大(西宮市)の小林基信准教授(56)。秀吉の書状などを根拠に、
長治の降伏後に、大量殺りくのあった可能性が高いと結論付けた。
地元では、長治の命を懸けた訴えを秀吉が受け入れたことは、一種の美談として伝わる。
秀吉は、戦後のまちの復興に尽力したとして、市民らにたたえられている。
新説にショックを受けている市民は少なくない。毎年、長治の遺徳をしのぶ「別所公春まつり」を開く
別所公奉賛会の永尾津世士代表(67)=福井=は「信じがたい。
大量に城兵が殺されていれば、うわさが多少なりとも伝わるはずだが、全く聞いたことがない」。
長治を「英雄」とたたえる、上の丸町の井上礼次郎さん(81)は「地元では理解されにくいのでは。
戦国時代なのでありえない話ではないが、事実なら長治公の犠牲が無駄だったことになってしまう」と複雑な心境を吐露する。
以下ソースで
URLリンク(www.kobe-np.co.jp)
URLリンク(www.kobe-np.co.jp)
「今はただ うらみもあらじ 諸人の いのちにかはる 我身とおもへば」。長治の辞世の句が刻まれた歌碑=三木市上の丸町、三木城址