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『日本の原発危険地帯』より抜粋
七三年六月二十六日、第一原発廃棄物地下貯蔵庫から廃液もれの事故が発生したとき、
大熊町の遠藤正助役(当時)は、入院していた志賀町長を訪ね、「怒りましょう」といったとのことである
(『原発の現場』朝日新聞いわき支局編)。怒りも計算ずくである。
>>899
> また、原発の運転を認めた国、運転していた東電に対し「多数の被害者が出ているにも
> かかわらず、刑事訴訟法に問われないのが不思議」など、糾弾の言を重ねている。
双葉の町長もきっと、誰かと打ち合わせた「怒り」だよね