11/07/29 16:21:33.04 nUeiHAtW0
>>548つづき
引用
1号機が水素爆発を起こしたときは、もう目の前が真っ暗でした。
ベントをしたのに、いきなりの爆発でしょう。最悪の事態です。
免震棟内もパニック状態で、「帰らせてくれ」と言う作業員、社員も出てきました。
私たちには、それをとめることはできません。
とにかく残った人間でやるしかない。もうフクイチで被曝(ひばく)して死んでゆくのか、
これまで原発で過ごしてきた何年もの日々が一瞬、頭をよぎりました。
当時は知らなかったのですが、政府は震災当日の11日午後9時23分に、原発から「半径3キロ圏内」の住民に避難指示を出し、
その後、翌12日午前5時44分に「10キロ圏内」、
午後6時25分に「20キロ圏内」--と次第に範囲を拡大していった。
でも、現場ではもっと広い範囲、少なくとも半径50キロは避難していると思った。
なんといっても、あれだけの爆発だったんですから。
結局、避難範囲が半径3キロ圏内と聞いたときも、「大丈夫か?」と思ったのが正直な印象ですね。
米政府は当時、半径50マイル(約80キロ)圏内の自国民に対して避難勧告を出しました。
チェルノブイリ事故では、国際原子力機関(IAEA)の報告によると、旧ソ連の汚染地域は約14万5千平方キロメートルで、約300キロ離れた地域でも高いレベルの汚染があったことがわかっている。
爆発が相次ぐ中、当時は私自身、半径30キロどころか、青森から関東まで住めなくなるのではないかと思ったほどです。
本社と政府の話し合いで決まったんだろうけど、余震の危険性などを考えれば、
最低でも半径50キロ、できれば半径70キロ、万全を期すならば半径100キロでも不思議はなかった。
最初は広範囲にして、それから「SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測システム)」の予測などをもとに
狭めていけばよかったのではないでしょうか。
いま原発は何とか安定していますが、放射性物質がかなり飛散しているのが実態です。
避難地域の見直しが必要だと思います。
>>>実際、もう半径20キロ圏内は戻れないと、そろそろ発表してもいいんじゃないか。
>>>子どもたちが学校に通うのは無理です。
>>>最初からもっと広範囲で避難させていればと悔やまれます。