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これって本当の事か?本当なら、どいつもこいつもなのか…
◆福島原発と渡部恒三、半世紀の癒着
【原発・大震災 報じられない裏と事件簿】
日刊ゲンダイ 2011年(平成23年5月2日)掲載
福島原発の暴走は誰も止められない惨状だが、そんな中、この人の責任がなぜかあまり報じられていない。厚
相だった1984年、「原発つくれば国民は長生き」の舌禍で叩かれた民主党最高顧問の渡部恒三(78)だ。
59年に26歳で福島県議に初当選。69年に国政に転じ、半世紀以上にわたって原子力行政に深く関わってき
たのが渡部なのだ。
「選挙区の会津には、猪苗代水系を使った東電の水力発電所が12カ所もあり、昔から東電とのパイプは太か
った。60年には同郷で東電社長の木川田一隆氏の原発計画に呼応し、県議会の一員として原発用地の提供を申
し出た。恒三サンは原発の生みの親のひとりなのです」(福島県政関係者)
国政では自民党・田中派に所属し、石油危機後に通産族として原発推進の旗を振った。74年には「電源3法
交付金」の制定に尽力。電力会社から吸い上げた税金を原発立地自治体にバラまく仕組みを完成させ、地元・福
島で豊富な交付金を差配し、権勢を振るった。
その後も党電源立地等推進本部の事務局長として、福島第2原発や柏崎刈羽原発の用地買収に関与。80年に
は党商工部会長となり、前年比45.1%増のエネルギー関連予算を獲得し、「史上空前の予算増」で通産省に
も恩を売った。81年発行の自著にはこう書いている。
「原発をやらないと、21世紀のエネルギーは確保できない。政治生命をかけてもいい」
通産相就任は91年。ついに原発行政のトップに上り詰めたのである。
「民主党参加後は電力労組に接近。東電と東北電という2つの労組の票を束ね、元秘書で甥の佐藤雄平・現福
島県知事や、玄葉光一郎・現国家戦略相、増子輝彦・前経産副大臣と子飼いの政治家を次々と政治の表舞台に送
り込んだのです」(前出の福島県政関係者)
昨年、佐藤知事と増子副大臣は佐藤栄佐久前知事が抵抗した福島原発のプルサーマル計画を承諾し、それが恐
怖の3号機の暴走につながっていく。そんなのが最高顧問の民主党に原発処理は任せられない。