11/05/23 06:19:14.06 gUlSlc/M0
>>161
ビキニでは核実験中避難 → 3年後に帰島 → 内部被曝でひどい状態に → 30年後に再度離島
URLリンク(www.morizumi-pj.com)
ビキニから180km離れたロンゲラップ島民は避難させられずに、激しい衝撃波と爆風、
そして放射能を含んだサンゴの粉が島中に降り積もった。
いわゆる「死の灰」だ。
やがて激しい嘔吐、皮膚の炎症、脱毛などの急性放射能障害が島民を襲った。
その後米艦船に収容され、3年後、「安全宣言」を信じて、実験当時島にいなかった島民も一緒に、帰島した。
しかし、残留放射能で島は住める状態ではなかった。
実験当時島外で無事だった人も、汚染されたヤシガニやパンの実、魚などの食物などを通じて内部被曝をしてしまった。
奇形児や流産などの異常出産、甲状腺ガンや白血病で次々に斃れて行った。
1985年、放射能汚染のひどい故郷を離れたロンゲラップ島民は200km離れたクワジェレン環礁のメジャット島に脱出したのである。