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3月12日の朝が近づくと、東電の役員を自らせっつくために、菅首相は福島第1原発に飛んだ。
午前7時頃、10人乗りの自衛隊ヘリコプター、スーパーピューマは、菅首相と複数の補佐官を乗せ発電所に到着した。
一行が緊急の対策本部に入ると、東電の職員が放射線レベルをガイガーカウンターで確認した。
同行した補佐官は振り返る。
同時に入った発電作業員の放射線量が非常に高く、測定した職員はこう叫んだ。「あー、結構高いな、ここは」
グレーの会議用テーブルが二列に並んだ小さな部屋では、
東電の原子力事業を率いる武藤栄副社長と発電所長の吉田昌郎氏の正面に菅首相が座った。
同席した人々によると、菅首相は、白髪長身の原子力技術者、武藤副社長と衝突した。
武藤副社長は、発電所の電力の問題があるため、あと4時間蒸気放出はできないと言った。
作業員を送り込んで、蒸気排出弁を手動で開けることを検討しているが、
原子炉付近の放射線レベルが非常に高いため、そうすべきかどうか確定できない。
1時間ほどで決定すると、武藤副社長は言った。
同席していた人によると、菅首相は「悠長なことを言っている場合じゃない、出来ることは何でもやって、早くしろ」と怒鳴った。
この件に関して、武藤副社長、吉田所長からのコメントは得られなかった。
東電の広報担当者は、武藤副社長の発言を確認することはできないと言った。
東電は常に、事態収束のために、政府などからの支援を進んで受けてきたと広報担当者は語った。
菅首相は、このミーティングの後すぐに福島第1原発を離れた。
午前8時18分、発電所の技術者が最初に菅首相らに1号機から蒸気を排出したいと伝えてから7時間後、
東電は首相官邸にあと1時間ほどでバルブを開けると伝えた。
かなり遅れたものの、安全弁はまだ開放が可能だった。
問題はこうだ。
通常、それは制御室で電動か圧縮空気で開閉するが、いずれのシステムも機能していなかった。
その結果、高い放射線量の建屋内で作業員が安全弁を手動で開放しなければならなかった。
福島第1原発のシフト・マネジャーは、最初にバルブに挑戦するのは自分の責任だと考えた。
関係者によると、彼は「俺が行く」と言った。
彼は完全防護服を着用し、マスクと酸素ボンベも身につけた。
そうまでしても、彼が戻ったときには放射線レベルは106.3ミリシーベルトに達していたという。
この数値は、日本で放射線を扱う職場で、1年間に認められている値の2倍だった。
1年間で一般の人が浴びる量と比較すると、100倍以上だった。
記者: Yuka Hayashi and Phred Dvorak