11/07/13 00:27:05.76 KAanba95O
俺たちはプロ野球選手だった 建築業 佐藤剛士さん
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高校時代、彼らと共に「BIG3」と言われていた選手がいた。
佐藤剛士。秋田商のエースとして春夏二度の甲子園に出場。
「みちのくの豪腕」はドラフト1位でプロ野球の扉を開いた。
これから始まる戦い。佐藤は頭に自分の将来像を描いていた。1軍デビュー、二桁勝利、ゆくゆくは日本代表、そして・・・
光の溢れる道を行き、同期と共に野球界の未来を担っていく・・・はずだった。
2年目の2006年、1軍デビュー。しかし、緊張からか、本来の自分の持ち味が出せない。
3回途中9失点でKOされ、敗戦投手になった。
「得られたものは何もない。」そういい残して、佐藤は1軍を去った。これが、佐藤の最初で最後の1軍登板だった。
その後は度重なる故障に泣かされ、ファームでも成績が落ち込んだ。
ライバルのダルビッシュや涌井が結果を出していく中、悶々とした日々を送る。
2010年には右肘を手術。再起にかけるものの、自慢の直球は130キロ台にまで落ち込む。
生き残るためサイドスローに着手するも、結果はついてこない。
9月、ファームで記録した佐藤の球速は130キロにも届いていなかった。それから数日後、戦力外通告を受けた。
心身共に疲れ果てた佐藤に、もう野球をやる気力は残っていなかった。
合同トライアウトにも参加せず、佐藤が選んだ新たな舞台は広島市内の建築会社の小さな倉庫だった。
「知人から紹介されたんです。今は、今で楽しくやれていますよ」
ダルビッシュが5億、涌井が2億5000万の年俸を貰う一方、再スタートを切る佐藤の年収は300万にも届かない。
それでも、これからはこの仕事で精一杯生きていくと誓った。12月から、研修に参加している。
佐藤剛士、24歳。かつて「みちのくの豪腕」と男は、気丈にも土にまみれながら空を見上げた。
参考
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今村を佐藤2世とか開幕前に叫んでいたヤツがいたけど、さすがに球速・コントロールが違いすぎるな・・・・