__京都皇統の裏天皇・堀川、国内外で政治工作・外交・経済復興に関与、満鮮経略や王道ワンワールド構想を推進、憲法九条も計画に組込 [827565401]at POVERTY
__京都皇統の裏天皇・堀川、国内外で政治工作・外交・経済復興に関与、満鮮経略や王道ワンワールド構想を推進、憲法九条も計画に組込 [827565401] - 暇つぶし2ch1: NSA
26/01/10 11:20:13.40 TC8KjYuy0.net BE:827565401-2BP(1515)
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京都皇統の「裏天皇」と呼ばれる存在は、表向きの明治天皇(南朝系)と区別され、北朝系の皇族が秘密裏に京都に残る「皇統二元体制」のもとで動いていました。この体制では、東京の政府や皇統が直接関われない特殊な役割を果たすことになり、堀川辰吉郎(1889~1972)が代表的な裏天皇として活動しました。辰吉郎は、睦仁親王(北朝皇統)と羽林家千種家の女官の子として生まれ、堀川御所を拠点に育ちます。

幼少期の辰吉郎は福岡の政治工作結社「玄洋社」に預けられ、社長・頭山満と影の後見人・杉山茂丸の下で育てられました。学習院中等科で問題行動を起こして放校処分を受けた辰吉郎は、13歳で中国に渡り孫文の革命活動に加わります。その後、奉天で「世界紅卍字会」会長となり、日本と中国の折衝を担い、1912年に帰国して映画配給会社を経営、1935年には「大日本国粋会」第3代総裁となりましたが、反軍閥運動により再び中国に渡ります。

辰吉郎は、日露戦争後に日本に接近を図った清朝末裔の愛新覚羅(満州族皇族)と孫文(漢族革命家)の双方を支援し、満州の宗主権維持と満漢分離を推進しました。明治43年(1910年)には紫禁城に入り、満州で張作霖や張学良と義兄弟契りを結び、国民党とも関係を維持しました。また、欧州各国王室との婚姻政策も担当し、48人の妻と88人の子供を持つと自称していました。

辰吉郎の国内での政治介入としては「昭和天一坊事件」があります。乾新兵衛の債権回収問題に関わり、司法に圧力をかけることで乾を無罪にした事件です。また、戦後の経済復興に影響を与えた「黄金の百合奪還工作」では、米軍が接収した戦時中の金銀塊を返還させ、日本の経済再建に役立てました。

裏天皇・辰吉郎を支える勢力として、薩摩出身の軍人や玄洋社を中心とした「薩摩ワンワールド勢力」が存在しました。この勢力は、欧米との交流や技術導入を重視する国際協調的なグループで、井上馨や伊藤博文らの「開明派」も含まれていました。一方、京都皇統は「大江山衆(八咫烏)」や丹波上田氏を通じ、宗教・霊媒を活用して国内外の情報網を築き、満州経略や「王道ワンワールド」の構想を推進しました。

戦前の日本には二つのワンワールド勢力がありました。欧米派(薩摩)=国際主義、満鮮派(長州)=国粋主義です。明治維新後、政体天皇(東京皇統)と國體天皇(京都皇統)の対立により、両派は陸軍・海軍を中心に分かれます。辰吉郎や玄洋社は、満鮮経略の重要性を認識し、京都皇統の立場で国内外に影響力を及ぼしました。さらに、大本教や世界紅卍会とも連携し、満州で理想国家を構築する活動に関わりました。

昭和期に入り、英米派グローバリストの西園寺公望らが、薩長や政國両体の分断に成功します。この結果、大本教は弾圧され、陸軍統制派は日米開戦に巻き込まれ、海軍条約派も分断されました。敗戦後、日本は米国支配下の戦後占領体制に置かれ、日本国憲法による非武装化が強制されました。しかし、憲法九条は、辰吉郎が京都皇統の立場から「時限装置」として組み込んだもので、国際環境の変化に応じた改憲機運を見越しての計画であったとされます。
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