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従来、天皇は開戦直前まで戦争回避を願っていたという印象が強かった。41年9月6日、政府と軍の幹部が国策を決めた御前会議では、祖父の明治天皇が日露戦争開戦時に戦争回避を願って詠んだ歌「四方(よも)の海」を朗読した。10月9日には皇族軍人の伏見宮(ふしみのみや)が米国に対する開戦やむなしとする「主戦論」を唱えたのに対して議論となり、百武の日記に「やや紅潮ご昂奮(こうふん)あらせらるる様拝す」と記された。
しかし百武の日記を精査した森山が実感したのは、天皇が41年10月中旬以降、これまでの資料で想定されたよりも、開戦に前のめりだったということだ。10月13日の日記によると、天皇と会った宮内大臣の松平恒雄(まつだいらつねお)が「すでに覚悟あらせられるご様子」と述べ、天皇の政務を補佐する内大臣の木戸幸一も「ときどきご先行をお引き止め申し上ぐる」と語っていた。
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