24/08/15 10:03:31.73 OiAAuD9Q0.net BE:358195575-PLT(13302)
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8月15日、天皇の降伏宣言とともに朝鮮半島は解放された。しかし、総督府はすぐに解散されなかった。
朝鮮半島の北半部はソ連軍によって占領と日本軍の武装解除が行われたが、南半部では朝鮮治安維持のため米軍が到着するまで一時的に朝鮮総督府及び傘下行政機関を維持した。
敗亡後も総督職位を維持していた安倍は9月、米軍がソウルに進駐すると最後の手段で割復を試みようとしたが失敗した。
9月9日、結局ジョンリードハジ中将が主導した降伏造印式場に出て降伏文書に調印することになった。
ここで阿部信行は占領軍司令官だったジョン・リード・ハジ中将に、あらゆる言葉と謀略で朝鮮人民の封建的な奴隷根性と無知さを力説し、支配統治の簡便さのための否定的調査資料を渡した。
このような意図を見抜けなかったハジ中将は、朝鮮に「米軍に絶対服従しなければ朝鮮半島の独立は遅れるだろうし、これを破って敬挙詐欺する時には厳しく処罰する」という怖い警告性告知まで発表する。
以後、総督職を辞任し、初代米軍政庁長の米陸軍所長アナルド将軍に朝鮮の行政権などをすべて移譲しては日本に撤収する。
敗戦国総督として100万人の日本人を無事に帰国させる責任があった安倍は、その責任を果たさずに自分一人の家族だけ連れて逃げたが、嵐に遭って釜山港に戻ってしまう。
このハプニングで朝鮮居留日本人の反感まで買った。
彼は撤退過程で最後まで朝鮮を混乱させた。撤収していた総督府の管理者と韓国に滞在していた日本人たちの本国帰還費用を用意しようと膨大な数の朝鮮銀行券を刷った。
彼らが印刷した旧貨幣は解放後インフレを招き、当時お金を持った朝鮮人たちは莫大な損害を与えた。