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2023.10.17の記事『「自分は弱者男性である」と自認する人たちが「若年女性支援」へバッシングすることのままならなさ』より抜粋
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僕は常々「弱者側にいる男性こそ、積極的に若年女性を含む弱い立場の人たちへの支援を推し進めることを要求しなければならない」と考えている。なぜなら、若年女性に支援の手が伸びないような社会では、男性弱者に対する支援など行われるはずもないからだ。
その理由を以下に述べる。
まず弱者男性が認識しなければいけないことは、日本社会では弱者に対する支援の手は「子供、老人、女性、男性」の順番であると考えられており、その順番はそうそう変わる事はない、という事だ。
(中略)
「限られたパイを受け取るべきは「本当に困っている人」であり、あいつらは本当に困っている人ではない。あいつらが不当に受け取っている支援を、本当に困っている人に回すべきだ」なんて事を考えている。
こうした「社会的支援には限られたパイがあり、そのパイを本当に困っている人に適切に分配するのが、正しい支援のありかた」という考え方は、完全に間違いである。
社会支援を「限られたパイをどう分配するか」という前提で考えれば、当然分配の優先順位を設定しなければならない。
最初に述べた通り「日本社会では弱者に対する支援の手は「子供、老人、女性、男性」の順番であると考えられており、その順番はそうそう変わる事はない」のだから、その基本を踏まえれば、限られたパイの分配は「子供、老人」から配られる事になる。そんな状況で「誰かに分配すれば無くなってしまうような、限られたパイ」が弱者男性に回る事は絶対に無い。
優先順位の最も後ろにいる弱者男性にまで支援を回すことを考えるならば「限られたパイを俺たちに先に回せ」ではなく、「子供老人に十分に回り、さらに女性、そして弱者男性にまで十分に回るまで、パイを大きくし続けろ」と主張するべきなのである。
(中略)
結婚や水商売などで簡単に生活を安定させられるかのように思われている女性に対して、公的な支援が届く環境が当たり前になる。そのことは「努力さえすれば簡単に生活を安定させられるかのように思われている弱者男性に対しても、公的な支援が届く環境が当たり前になる」事に、直接的に繋がるのである。