昭和天皇、戦争責任を取らず総理大臣にまでなった岸信介を嫌っていたことが判明 [884040186]at POVERTY
昭和天皇、戦争責任を取らず総理大臣にまでなった岸信介を嫌っていたことが判明 [884040186] - 暇つぶし2ch1:番組の途中ですがアフィサイトへの\(^o^)/です (テテンテンテン MM34-q9LC)
23/07/18 15:38:04.77 QkpQ/8uTM●.net BE:884040186-2BP(2000)
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「どうして岸信介を外務大臣にしたのか」安倍晋三の祖父を「天皇が嫌っていた」理由…「戦争責任の重大さは東條以上」

(中略)

昭和天皇の怒りの理由

「どうして岸信介を外務大臣にしたのか」安倍晋三の祖父を「天皇が嫌っていた」理由…「戦争責任の重大さは東條以上」

当時、60年安保は議会で審議中だったのだが、岸首相は与党勢力が多数派であることを利用して、強引な議会運営を始めていた。安保条約の内容についても、野党の質問により次第に綻びが出てくるなど、極めて杜撰な対応であった。

 「安保反対、岸を倒せ」というスローガンに、国民の意思は次第に集約されていった。岸は、そういう国民の反対を「共産主義者の煽動」呼ばわりするなど、強引に対抗しようと画策していた。

 岸の前の首相である湛山は、健康を害してわずか60日余で退陣するが、最大派閥を動かしている岸が外務大臣であり、次期首相は岸にすんなりと譲ることになった。

 ただし湛山と岸の政策はまったく異なっていて、分かりやすく言えばハト派とタカ派の違いとも言えた。岸の強引な政治手法に、湛山は我慢ならなかったのだろう。そこで書いた私信であったのだ。

 そこにはこう書かれていた。湛山が首相になり、閣僚名簿を「ある一人の人」に見せたのだが、その人は名簿を見て、次のように言ったというのだ。

 「自分はこの名簿に対して只一つたずねたいことがある。どうして岸を外務大臣にしたのか、彼は先般の戦争に於いて責任がある。その重大さは東條(英機)以上であると思う」(『自由思想』2016年5月号)

 湛山は私信のなかで「天皇」という語は用いていない。「ある一人の人」と書いている。

 しかし、一文を読めば分かるのだが、これは天皇以外にありえない。戦時下の岸への天皇の不信感は、歴史の流れに則った怒りであり、その感情は戦後も一貫して継続していたと言うべきであろう。「東條以上」との言は、一閣僚ではあるが、軍人よりも責任が重いと断定していたという意味だ。

URLリンク(news.yahoo.co.jp)


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