09/11/03 21:10:01
「はい、『717376』ですね!」
瞬く間にレバーを捌く。それに応えて爪先立った深紅の竜。
金髪の美少女は目を剥いた。想い人と恋敵の交わした奇妙な暗号。それだけで十分に腹
立たしいが、問題はそれだけではなかった。
「あ、暗号だと!?」
美少女が売女と罵倒し激しく憎悪を突きつける相手は、こと戦闘能力に関しては相当に
評価し得る相手でもある。彼女の全身が強張る。青い獅子も追随して足がすくんだところ
に、土の飛沫が、蒼炎が刀のような軌道を描いて急迫する。
あと数歩で一足一刀の間合いに入ろうかという距離で、宙に浮かび上がった深紅の竜。
青い獅子は依然、凝視を続けたまま。キャノピー内部でも、美少女は判断できかねたの
かレバーを半握りのまま様子を伺うに留めていた。麗しの君の狙いは、ここまで迫られて
ようやく察知し得た。
「……尻尾か!?」
獅子は前足を地に叩き付けた。舞い上がる砂と共に一歩後退を試みるが、ここまでの躊
躇に竜の肉迫が上乗せされた。
自分の身長程の高さまで跳ねた深紅の竜。豪快にして鮮やかな時計回りで、虚空に描い
たつむじ風。鞭のように尻尾がしなり、獅子の鼻先を弾いた。
瞬間、浮いていた獅子の顎。寸前の見切り。なれど完全には躱し切れなかったのか、が
くりと後ろ足が膝をつきかける。そこに乗じぬ竜ではない。落下の勢いで獅子の真っ正面
にまで迫った時にはもう一回りし、背を向けていた。
ぐらつくキャノピー内部ながら、美少女の視線は向こうで突っ込んできた竜から視線を
離さない、離しようがない。
「今度は、踵か!」
的中できても対応できない予言程、虚しいものはないだろう。背後から右全身、そして
正面と二度目の時計回りを完成させた深紅の竜。その勢いで水平に伸ばす右足の踵には鋭
利な突起が伸びていた。本来ならば地面に踏ん張る時に使うアンカーだが、こういう場面
では立派な武器となる。
獅子は左に側転。踵の真下を何度も転がり、間合いを離す。だが転がった程度では十分
な距離は離せないものだ。立ち上がった時には既に竜が追いすがっていた。翼の刃の連撃
が迫る。尚も逃げる獅子、追随する竜。
239:魔装竜外伝第二十一話 ◆.X9.4WzziA
09/11/03 21:12:16
ギルガメスはスクリーンの向こうに広がる光景に目を見張った。この難敵に、初めて優
位に立てたのではないか。その事実自体が容易に受け入れがたく、受け入れたら却って頭
が真っ白になってしまいそうだ。
少年を落ち着かせる絶好のタイミングで、今度は左側面にウインドウが開いた。
「ギル、今度は『698384』よ、OK?」
相変わらず、憧れの女性は楽しげだ。釣られて少年も口元が綻ぶ。
「OKです、『698384』! ブレイカー、行くよ!」
きっと己に対しては絶対見せそうにない感情が耳元に流入して、美少女は上気した。白
い頬が朱に染まる理由は清純さとは凡そ縁遠い。
「ふざけるな、婿殿! 私に内緒で、何を企んでいる!?」
彼女が刻印の激しい明滅とともに怒鳴りつける頃には、深紅の竜が目前に迫っていた。
馬鹿なと美少女は唇を噛み、前のめりになって真っ正面を注視するが。
水平に、翼広げた深紅の竜。翼の刃……双剣エクスブレイカーの一撃は左が先か、それ
とも右か。だが彼女の予想は盛大に外れた。
踏み込んで、捻る筈の左前足が捻らない。そのまま、もう一歩前に。それが認識できた
時には竜は肘を水平に広げていた。
獅子の下顎目掛けて、振り抜かれた竜の左肘。乾いた金属音とともにぐらついた顎目掛
けて、右の肘が襲いかかる。
美少女は狼狽しながらもレバーは正確に捌く。獅子は真後ろに跳躍するが、尚も迫る深
紅の竜。
「何だこれは! 何なんだ!?
ええい婿殿、説明せよ、何を考えておる!」
彼女の苛立ちが頂点に達するまでそう時間はいらない。だがギルガメスはそんなことな
ど知ったことではない。
「エステル先生、次は『826968』で良いですか!?」
逆に提案してきた少年の表情からは、すっかり動揺が消えていた。モニターの向こうを
覗き見て、魔女エステルはますます悪戯っぽく微笑んだ。
「そうね、じゃあ次は『826968』でいきましょう」
「わかりました、『826968』!」
少年主従の攻勢が続く。
エステルはモニター下部の時計に目を細めた。
240:魔装竜外伝第二十一話 ◆.X9.4WzziA
09/11/03 21:14:30
(十五分、経過したわ。良いわ、その調子よ、その調子……)
彼女は黒の短髪をかき上げると腕を組み、右手で頬杖をついた。不動のポーズこそ愛弟
子優勢の証だ。だがそれに留まらず、口元・目許の緩みが止まらない。これはまずいと思
ったのか、彼女は頬杖していた右手で口元を隠すが、こみ上げる笑いが堪え切れず、やや
前屈み気味だ。
その様子が、橙色のキャノピー内部・左側面に広がるウインドウでも映し出され、美少
女はますます苛立ちを募らせる。
「カエサル! 聞こえるか!?」
声に応じ、右側面にウインドウが広がった。……金属の骨組みに囲まれた真っ赤な光球。
ゾイドコアだ。その真上に銀色の獅子がへばりつき、半ば同化している。オーガノイドユ
ニット・カエサルは「B」の忠実な僕にして、戦闘時にはオーガノイドシステム特有のシ
ンクロによる副作用を軽減する役目を担う。
「カエサル、奴らの暗号を解析しろ!」
待つこと数十秒。その間にも少年主従の猛攻を凌ぎつつ、ようやく表示された文章に美
少女は呆然となった。
「……意味のない、文字列!? ふざけるな、ちゃんと解析したのか!」
そう、意味など全くなかったのだ。ギルガメスは快進撃の中に回想する。
ある日のキャンプのことだ。夕食を終えたら勉強と、試合や万が一の戦闘に関するミー
ティングが毎日のように行なわれていた。……その頃は「B」に敗れて間もなかったため、
連日、沢山の対策を話し合ってきた。
「確かにね、貴方の刻印ではテレパシーを完全にカットできないわ」
すっかり塞ぎ込んでいた愛弟子を前に、女教師エステルは思案を続けていたが、ふと、
頬杖していた右手を離した。
「取り敢えず、いくつか対策を決めておきましょう。
防ぎ切れないものは仕方がない。『B』のペースに乗らないためにも、仕掛けられた時
の反撃を考えた方が良いわ」
「例えば、どんな……?」
身を乗り出してきた愛弟子。円らな瞳が意欲と、若干の好奇心で心持ち輝きを取り戻す。
「でたらめな暗号とかね。私が、合図を送るわ。ギル、貴方は単に復唱してから攻撃に転
じて。攻め方は、貴方のお好みで。
241:魔装竜外伝第二十一話 ◆.X9.4WzziA
09/11/03 21:16:33
気持ちを読まれることがわかり切っているなら、読んでみろと誘うのも一つの手段よ。
読みにふければ反応はその分遅れる。そこでなるべく『B』の意表をつける攻撃を混ぜて
いけば……」
「そうか、暗号の解読とゾイドの操作の両立は流石に難しいですね。しかも、絶対解けな
い暗号。下手すりゃいつまで考え続けるか……」
少年は合点した様子でポンと両手を叩いたが、やがてそっぽを向きながら苦笑いを浮か
べた。その様子が不可解で、女教師は首を捻った。
「な、何よ、どうしたの……?」
「先生も案外、ずるいことを考えるよなって……」
切れ長の蒼き瞳が半月程に見開かれた。
「あら、失礼ね! 命のやり取りなんだから、何でも考えるに決まってるでしょう?」
口元を尖らせつつも、師弟は顔を見合わせ苦笑いし、その日も様々な提案が行なわれた。
屈辱から何とかして脱しようとしていた日々の記憶が、少しずつだが良い思い出に昇華
していようとしている。そのためにもこの場を凌ぎ切らなければいけない。ギルガメスは
気を引き締め、だが快調にレバーを捌き、ペダルを踏み込む。
その耳元に、怒鳴り声が響いた。
「ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな!
売女ごときと馴れ合いおって! ギルガメス、お前が抱くのは私ひとりだ!」
少年は無視を通した。寧ろこの程度なら無視して十分だ。
242:魔装竜外伝第二十一話 ◆.X9.4WzziA
09/11/03 21:19:24
だがキャノピー内部で、美少女が白のワンピースのボタンを突如、外し始めたことまで
はわからない。
たちまち、拘束具は一糸まとわぬ裸身のみを押さえ付ける格好となった。足下にはワン
ピースが無造作に打ち捨てられている。
美少女は銀の瞳をすっかり血走らせると、驚く程低い声で呟いた。
「カエサル、ダメージ、オン」
声を合図に、白磁のような裸身の至る所に赤い擦り傷、切り傷が浮かび上がっていく。
シンクロによる副作用がが再現され始めたのだ。少しだけ、美少女は顔を歪めたが不意に
顔を伏せ、自らの両肩を抱き締めると、やがて浮かび上がった狂気の笑みには恍惚が降り
混ざっていた。
そんなことなど露知らず、深紅の竜は再度の肉迫。
既に一足一刀の間合いどころかあと数メートルで互いが触れ合う距離にまで到達した時、
美少女は恍惚の笑顔を振り上げた。
「カエサル、行け!」
吠え立てた青い獅子。その口腔内から射出された銀色の弾丸を、間合いの近過ぎる少年
主従も遠過ぎる魔女も、捉えられよう筈がなかった。
覆い被さる筈の深紅の竜が、叩き折られた弓のように胴体を折り曲げた。その巨体がも
んどりうって地面に崩れ落ちるまでに数秒も要らない。
(第三章ここまで)
243:魔装竜外伝第二十一話 ◆.X9.4WzziA
09/11/07 12:36:02
【第四章】
エステルは自らを押さえ付ける拘束具をはね除けんばかりの勢いで身を乗り出した。腕
組み、頬杖、そういった余裕のポーズを振りほどき、絶句した口元を両手で隠す。
すり鉢の縁でひしめく観客も、一体何が起こったのかわからない。はっきり見て取れる
のは優位に立った筈の深紅の竜ブレイカーが突然倒れたこと、それのみだ。何故に倒れた
のか……青い獅子ブレードライガーが如何なる秘技を決めたのか、遠目には全く判断でき
ない。だからひたすら、どよめきだけが地震のように大きくなっていく。
だがエステルのみは、口元を覆っていた両手を叩き付けるようにレバーを握り締めると
切れ長の瞳で斬り付けるように彼方を睨み、ビークルのエンジンを吹かす。……憤怒の形
相のまま、ビークルはすり鉢の斜面を伝い、相対する二匹のもとへと猛追の開始。
しかしブレイカーに追随し得る彼女のビークルとはいえ、試合場は広い。
彼女を嘲笑うかのように、青い獅子ブレードライガーは青空を見上げ、雄叫びした。
……その足下では、深紅の竜ブレイカーがまるで食あたりにでもあったかのように痙攣し、
のたうっている。
胸部コクピット内部での若き主人の苦しみようはもっと無惨だ。込み上げる嘔吐感。左
手で慌てて押さえ付けるも、今度は喉へ、胃袋へと蛇か何かが駆け巡るようだ。喉を胸を、
腹を掻きむしってもこの異様な不快感は収まらない。円らな瞳に涙を溜め込みながらも、
残る右手でレバーを捌き、コントロールパネルを弾き。
「ブレイカー、どうしたんだブレイカー!?」
問いかけに応じ、全方位スクリーンの右側面に浮かんだウインドウは奇妙な断面図を描
いた。竜の胴体に翼の生えた、まさしく相棒のそれだ。胴体部に明滅する赤い球体の周囲
を、何やら白く発光する物体がぐるぐると円を描いている。
「ブレイカーの中に、何かが入り込んだ……!?」
「オーガノイドユニットさ!」
全方位スクリーンの真っ正面を、視界を覆うようにウインドウが広がった。その向こう
では明らかに故意的なそれをやり遂げそうな人物が、淫靡と悪辣さを兼ね備えた笑みを浮
かべている。
244:魔装竜外伝第二十一話 ◆.X9.4WzziA
09/11/07 12:39:35
「『B』……!」
「シンクロの副作用を断ち切る我がユニット『カエサル』が、魔装竜ジェノブレイカーの
内部に入り込んだのさ。
ユニットがゾイドコアを支配すれば、本体さえも支配できる。我が足下に跪いて、靴を
舐めるジェノブレイカーに拝めるとは何とも至福よ!
だが我が本来の望みはそれに留まらない……」
満を持して、ゆっくり歩を進めた青い獅子。
依然としてのたうち回る深紅の竜。若き主人ギルガメスは口を抑えていた左手をレバー
に戻し、小刻みに弄り回す。宿敵「B」の言葉より得たヒントは、こうやって苦しんでい
る内は、オーガノイドユニット「カエサル」の支配下に完全に置かれてはいないというこ
とだ。今のうちに距離をとって、カエサルを追い出す手段を考えなければいけない。
だがこの銀色の刺客とその主人は余りにも非情だ。目の前にまで近付くと、弱点を見せ
まいとうつ伏せになる竜の首に噛み付き、ぐいと捻り上げる。
露になった竜の胴体、そしてコクピットハッチ。
懸命にのたうつ竜など知ったことかと言いたげに、青い獅子は右前足で左腕を、左前足
で右腕を踏みつけた。
そのまま、獅子は首を降ろす。その鼻先にコクピットハッチが見える。
深紅の竜は首を振り上げ拙い抵抗を試みるが、獅子は鼻先で殴りつけ、弾き飛ばした。
そのままハッチの目前に鼻先をつけると、橙色のキャノピーが開く。
中から現れた全裸の美少女。両耳上で束ねた金髪を揺らめかせ、淫猥に微笑むと拘束具
を蹴り、飛び降りてハッチの目の前に降り立った。
全裸の美少女はハッチを密閉する接合部に手をかけた。大型ゾイドの殴打でさえびくと
もしないブレイカーのハッチではあるが、この美少女にそんな常識は通用しない。金髪揺
らめかせ、額の刻印と銀の瞳を爛々と輝かせればたちまちメキメキとハッチが音を立てて
開かれていく。
本体の天地が逆転している以上、このコクピット内部も同様にひっくり返っている。美
少女が無理矢理に力を加えてハッチを閉じると、映像が分断されて奇妙な光景を生み出し
た外周は元通りに外の様子を映し始めた。
245:魔装竜外伝第二十一話 ◆.X9.4WzziA
09/11/07 12:47:08
さてギルガメスは座席に拘束具で括りつけられたまま、逆さの状態で肩で息しながら、
この無法な侵入者を睨みつけている。座席下部のポケットに忍ばせてあるゾイド猟用ナイ
フに手を伸ばそうとしたが、いざ両手をレバーから離したくとも、指一本とてレバーに吸
い付いてびくともしない。彼は唇を噛んだ。美少女の仕掛けた金縛りだ。
美少女は彼の動揺を見透かすかのように、上目遣いで呟いた。
「『どうすれば追い出せるか』……そんなことを、考えているな?」
ギルガメスは鼻さえ鳴らさず、只ひたすらに円らな瞳で睨みつけるのをやめない。無言
の抵抗。だが美少女「B」はそんな彼の心情を尚も嘲笑う。
「心だけは折れぬとでも言うつもりか。
だが折れなければ、溶かしてしまえば良い。ククク……」
元々広いコクピット内を、小さな体格の美少女が歩くものだから、彼女の視線は自然と
少年の股間辺りに向けられた。……一歩、又一歩、床となった天井を踏みしめてにじり寄
る。舌舐めずりし、自らの秘所を弄りながらも、銀色の瞳は百獣の王者でさえも震え上が
る狩人のような眼光を放ち、少年の全身を眺め回す。
だがその淫猥な微笑みがわずかに歪んだ。二度、三度としかめた顔に、ギルガメスは微
かな異変を察知したが、それが何を意味するのかはわからない。それでも、彼女の眼差し
が少年の円らな瞳よりはそれより若干上に向けられがちなことには気付くことができた。
(僕の刻印を見ている。今更、何のつもりだ……)
美少女の呼吸はやや荒い。自らの額に指を当てると刻印の輝きが強くなった。それと共
にしかめ面が幾分収まり、やがて浮かび上がった満面の笑みは何とも淫ら。
「いい塩梅に刻印が育ったなぁ。今が『食べ頃』だ、ククク……」
ギルガメスは円らな瞳をますます丸くした。彼にしてみれば刻印は突如発生したもの。
「育つ」などという考え方があること自体、初めて聞いた概念だ。
「『育つ』って……どういう意味だ」
今度目を丸くしたのは美少女の方だ。数秒は沈黙したが、すぐに我慢し切れなくなり、
天井と化した床を見上げて大笑いを始めた。ギルガメスは訝しんだが、それも束の間。
「ふざけるな! 婿殿、何も知らんのか、知らされてはおらんのか!」
246:魔装竜外伝第二十一話 ◆.X9.4WzziA
09/11/07 12:50:22
一転、口角泡を飛ばす程に怒鳴りつけると、彼女は長い指先を少年の真っ正面に突きつ
ける。
「婿殿、お前はイブに選ばれし者だ。
額の刻印は、私やあの売女のような古代ゾイド人と同等の力を持つ証だ!」
唖然という言葉はこういう時に使うべきか。ギルガメスが知っている限りのことを述べ
る口調は、だから却って淡々としていた。
「……僕の刻印は、ブレイカーと出会った時に勝手に浮かんだものだ。
それにお前が今仕掛けてる金縛りのような力は、何も持ち合わせてなどいない」
当惑の少年に呆れ果てたのか、美少女は金髪を掻きむしった。
「ええい、あの売女は本当に何も喋っておらんのか!? なんて奴だ!
かつて惑星Ziは、金属生命体ゾイドが闊歩するこの世の地獄だった。そこで額に宿し
た刻印の力でゾイドを自由に操り、彼らの王となって君臨したのが古代ゾイド人だ」
美少女の口調は興奮と苛立ちによる震えが混じっている。ギルガメスはそれだけでもう
んざりせざるを得なかったし、そもそも古代ゾイド人の成り立ちなどを説かれても、全く
ピンと来ない。
だが美少女は容赦ない。彼女はギルガメスの胸ぐらを掴むと、ぐいと無理矢理手を引き
上げた。純白のTシャツが無惨にも引き裂かれ引き締まった胸や腹が露になった。彼の背
筋はたちまち凍り付いていく。……くっきり浮かんだ眉間の皺は、刀で斬られたように深
い。脳裏に甦るかつての屈辱。
彼女は淫らな微笑み浮かべつつ長い指でギルガメスの胸板をまさぐり始めた。少年の口
から呻き声が漏れた。脳に、脊髄に走る痺れはやけに心地良い。彼は無理矢理に唇を噛ん
だ。悪魔のような愛撫から逃れる術は他に知らない。
美少女は少年の浮かべる苦悶の表情に満足しつつ、話しを続けた。
「……全てのZi人は進化する可能性がある。
いや、元を正せばZi人こそ古代ゾイド人から退化した種族なのだ。かつて『遠き星の
民』がもたらした技術に頼り切った結果、彼らは刻印を失った。
だが個人差はあれど、切っ掛けさえあればどのみち進化は始まる。退化したZi人の群
れの中に、少しずつ進化した者達が現れ始める。この星はいつの日にか、刻印を持つ者と
持たざる者に二分されていくだろう。
247:魔装竜外伝第二十一話 ◆.X9.4WzziA
09/11/07 12:53:24
そうなった時、互いが互いを恐れぬわけがない。やがて起こる争いの前には民族などと
いう常識は無意味だ。刻印を持てる者と持たざる者との争い……それはどちらかを滅ぼす
まで永久に続く」
「……永久に?」
「そう、永久にだ。だから婿殿を恐れて盛んに追っ手を放つ者がおるではないか。
連中は、刻印の目覚める可能性を持つ者をありとあらゆる方法で探し出し、付け狙う」
ギルガメスは目を剥いた。余りにも具体的な心当たりが脳裏をよぎる。
(だから僕は、ジュニアトライアウトを不合格にされたのか。あまつさえ家出して、ブレ
イカーと出会って刻印が発動したから、水の軍団が……。
だけど、だとしたら……僕がゾイドウォリアーを目指した時点で夢破れるか、刻印が目
覚めるかしかなかったことになる)
微かに震える、少年の唇。見る間に青ざめていくが、全方位スクリーンの輝きは案外眩
しい。明るく照らされた彼の頬は本来どんな色か、判断に苦しむ。
そんな彼の動揺を察したのかどうか。美少女は薄く笑い、言葉を続けた。だがその真意
はにわかには計りがたい。ギルガメスはだから、発言者に激しい視線を浴びせながら、彼
女の言葉を耳で拾った。
「しかし婿殿を欲する者もここにいる」
問答の外ではビークルが砂塵巻き上げ、すり鉢を下って一気に試合場を横切ろうと向か
っている。
その様子に気が付いた深紅の竜は仰向けのまま甲高く鳴いたが、のしかかる青い獅子は
容赦なく竜を顎を前足で踏みつけると、背中の排出口を又しても前方に倒してみせる。
眩い閃光。砲撃に次ぐ、砲撃。
ビークルは折れ線グラフのように、左右に揺れて難なく躱す。機上の魔女にはこれくら
い、何と言うことはない。それにこの砲撃、パイロットが乗っているとは思えぬ程に照準
が定まらない。
(だけどコントロールが不正確だってことは、パイロットが操縦していない可能性が高い
わ。だとするとあの子が危ういことに遭ってる可能性が……)
エステルは唇を噛み締め、出掛かった言葉を丸ごと呑み込んだ。
「ギル、待ってなさい!」
前屈みになって、エンジンを吹かす。真後ろになびく短髪。
248:魔装竜外伝第二十一話 ◆.X9.4WzziA
09/11/07 13:07:08
警告音と共に、天地逆転のコクピット内が赤く明滅。ウインドウが開き、その向こうに
ビークルを映し出した。ギルガメスはハッと息を呑み(物凄く嬉しかったが自分の不甲斐
なさを恥じることも忘れず口をへの字に曲げる)、「B」は忌々しげに舌打ちした。
「まあ良い,こちらにはカエサルがいる。今更どうにもならぬわ。
婿殿……いや、ギルガメス。私を娶れ。そして私を思うがままに愛し、子をなすのだ」
銀色の瞳に宿る狂気。凡そ、戦うという行為からかけ離れた言葉は艶かしさなど通り越
し、ざらついた肌触りで少年の胸中を弄ぶ。
「生まれた子に様々な刺激を与えて刻印を発動させてしまえばいい。それだけでお前の忠
実な兵士が誕生する。
……いやそもそも『生まれなくても良い』。体外培養でも十分だ。そもそも私より劣る
者の胎児でさえ、中型ゾイドを完全にコントロールする屈強の戦士となるのはお前も身を
もって知っておろう(※既にギルガメスは刻印の発動した胎児の駆るゾイドと二度、戦っ
ている)。
私と、私に対抗し得る可能性を秘めたお前との子供なら、胎児でも数名もこさえれば伝
説のキングゴジュラスさえ完全にコントロールする。……大量に培養すれば何ができるか、
わかるな?」
ギルガメスは首を縦にも横にも振らない。「子をなす」と美少女が唱えた時点で、彼女
が何故こんなにもふしだらなのか腑に落ちた。その居心地は余りにおぞましく、首を振る
意思表示さえ無意味に思えてならない。しかし彼女は少年の顔を覗き込みこそすれ、真意
を読み取る気などサラサラない様子でひたすらまくしたてる。
「最強のゾイド部隊の誕生だ!
そうなればギルガメス、お前は古代ゾイド人の王だぞ!
この惑星Ziはお前の思うがまま。お前を侮辱した者も、命を脅かした者も容易く始末
できる、最高の権力を手に入れることができるのだ!」
ますます乱反射する銀色の瞳。輝きの奥底をギルガメスが覗き込んだ時、彼はどす黒い
ものがうごめくのを感じ取った。目を細めて正体を見定めようとするとこちらが呑み込ま
れてしまいそうな、余りにも深い闇。それこそが、よもや胎児を使って戦争などという、
狂気の沙汰の根源なのか。
そこに思い至った時、ギルガメスには質問すべきことが自然と生まれた。
249:魔装竜外伝第二十一話 ◆.X9.4WzziA
09/11/07 13:10:09
「……それが、B計画なのか?」
美少女は金髪をかき上げると一笑に付した。
「今のヘリック大統領も千年前の奴も、ロストテクノロジーを使いこなす無敵の部隊が誕
生すると、その程度にしか考えておらん。
それが連中のB計画ならそうなのだろう。だが私にとってのB計画に、退化した愚か者
の飼い犬になるという筋書きはない」
そこまで聞いたギルガメスは突然、声を立てて笑い始めた。……根が朴訥なものだから、
やけに芝居がかった笑い方になる。
敢えて場の雰囲気をかき乱す笑いに銀色の瞳がキッと睨みつけた。
「婿殿、何がおかしい?」
「ハハハ、知らなかったことが色々わかったよ。
だけど『B』、お前の願いはやっぱり、叶いそうにないな」
銀色の瞳がどす黒いものをうごめかせて円らな瞳に視線をぶつけるが、今更怯まぬギル
ガメスでもない。冷静に、相手の様子を伺いながら言葉を続ける。
「僕の刻印は、エステル先生との『詠唱』なしには浮かんでこない。
そう、先生が詠わなければ,僕は只のZi人じゃあないか。
そんな僕とお前との間に古代ゾイド人が生まれる? そんなおかしなこと、あってたま
るか!」
ギルガメスはそれで彼女の考えを根底から否定したつもりだった。
ところが美少女は円らな瞳をじっと覗き込むと、何とも重苦しい溜め息をついた。投げ
掛けてきたのは暴力とは凡そ無縁な、哀れみの眼差し。
釣られるかのように少年の口から悲鳴が漏れかけ、彼はそれを懸命に呑み込んだ。露に
なった胸板には、彼女の爪の引っ掻き傷が刻み込まれ、うっすら赤いものが滴ってくる。
「この小さな体でゾイドを乗りこなすには、並み外れた鍛錬が必要だ。その上、何度も何
度も己を絶体絶命の危機に追い込めば、嫌でも刻印は発達してくる。
婿殿、いやギルガメスよ。お前は今までどれだけの試練にあった?
苛烈な試練に遭えば遭うだけ、刻印は研ぎ澄まされる。いずれは、誰かの『詠唱』がな
くとも自力で発動できるようになる。そしてそれは時間の問題だ」
ふと、彼女は何か思い付いたように再び淫靡な笑みをたたえた。
250:魔装竜外伝第二十一話 ◆.X9.4WzziA
09/11/07 13:16:18
「……千年前、私と同じ『B』でありながら、Zi人の田舎者に身体を売った愚か者がい
たわ。お前の理屈同様、Zi人の子を孕みさえすればB計画をぶち壊せるとでも思ったよ
うだな。
ギルガメスよ、何故あの売女が知っていることを何も話さないのかわかるか?
お前があの田舎者の代わりに過ぎないと、わかってしまうからだ! 何しろお前はあの
時の田舎者に面影がよく似ているのでな。しかし、お前がいくらあの売女に想いを寄せよ
うが、彼奴が抱かれたいのはお前ではない。
だからもう、あんな奴に振り向くな。私だけを見ていれば良いのだ。お前が欲しいもの
は全て与えてやる。ククク……」
そう、囁きながら先程刻み込んだ引っ掻き傷に顔を近付け、舌を這わせ始めた。それだ
けで、少年の唇は決して感じてはならない恍惚に苛まれ、小刻みに震える。円らな瞳に溜
め込んだ大粒の涙が零れ落ちてしまった時、彼は快楽とともに暗闇の奥底へと墜ちてしま
うに違いない。そしてその瞬間はもう、目の前に迫っているかに見えた。
この淫らな責め苦は、不意の衝撃によって断ち切られた。天地逆転したコクピットは揺
さぶられ、美少女は不様に少年の胸板に顔を叩き付けて思い切り舌を噛んだ。美少女が情
けなくもうずくまり顔を覆うことによって、ギルガメスの真っ正面には特大のウインドウ
が開かれたのだ。
ビークルの座席後部から伸びた物干竿のように長い銃口から、立て続けに光弾が放たれ
る。標的は今や深紅の竜を真下に抑え込む状況だから、却って格好の標的となった。青い
獅子は衝撃の波に耐え切れず膝をつき、その際の振動が真下の竜にまで伝わったのだ。
しかしこの程度で怯む獅子ではない。すぐに踏ん張り立ち上がると、首をもたげ、たて
がみを広げる。隙間から光の粒が零れ、たちまちEシールドによる光の壁を作り上げた。
光弾の波も又すぐに止んだ。こうなったらビークルもあっさりと二匹の前に到着できる。
砂塵巻き上げ急停車したビークルから、颯爽と飛び降りたエステル。紺の背広を翻し、あ
と数メートルでEシールドというところまで近付くと、意を決して彼女は額に指を当てた。
251:魔装竜外伝第二十一話 ◆.X9.4WzziA
09/11/07 13:21:34
眩く光り輝いた額の刻印。長い両腕で十字を切れば、閃光は蒼き眼差しと混ざり合って
獅子を覆う光の壁に叩き付けられる。放電。石火。光の壁が徐々に、砂粒のように散らさ
れていく。
青い獅子もそれしきで怯む様子は見せない。一層踏ん張るとたてがみを目一杯広げ、光
の粒を滝のように噴出し始めた。削り込まれた光の壁のすぐ下地となり、却って魔女エス
テルが放つ刻印の輝きを弾き返さんとする。
石火がエステルのすぐ足下にまで、弾けてきた。彼女は両腕で顔を覆うが圧力には抗い
がたく、背は高いが華奢な身体が稲穂のようにぐらぐらと揺れる。
ウインドウを隔てた向こうの光景に、ギルガメスの円らな瞳は釘付けとなった。……全
身、硬直を余儀なくされる中、只唇だけは確かな自由を確保していた。彼はその力を最大
限に駆使した。
「エステル先生!? 逃げて! いくら何でも無茶だ!」
声はスピーカーを通じて確かに外へと漏れた。しなやかな身体は屈み、踏ん張り。交叉
した両腕の隙間から魔女の漏らした大胆不敵な微笑みに、ギルガメスの視線はあっという
間に引き寄せられた。
ふと、微かに動いた魔女の唇。ギルガメスはそれをじっと凝視した。し続けて、すぐに
折れかけた背筋に喝が入った。
(すぐに、行くわ)
そう、動いたかに見えた。彼女は全身鞭のようにしならせ、交叉した両腕を振り払う。
再び解き放たれる刻印の輝き。既に彼女の頬には幾筋もの汗が伝い、全身使って呼吸せ
ざるを得ない。それ程にまで消耗しながら、蒼き眼差しは何と力強い輝きを放つのか。だ
が、それでもこれ程巨大なゾイド相手に生身で立ち向かうなんて無茶にも限度がある。
(止めさせるには僕が、どうにかしなきゃ……でも、どうすれば……!?)
そう考える間にも、スクリーンの向こうでは石火が弾け、エステルの頭上に降り掛かっ
てきた。息を呑んだギルガメス。危ないと、絶叫しながら,前のめりになり……気が付け
ば、右手がスクリーンを突き破るくらいの勢いで伸ばしていた。スクリーンに映る憧れの
女性を覆い隠すように伸びた掌に、ギルガメスはハッとなる。
252:魔装竜外伝第二十一話 ◆.X9.4WzziA
09/11/07 13:24:42
但し、但し。額の刻印がこれまでにないくらい強く輝いていることまでは気付かない。
気付きようもなかったのだ。彼はスクリーンを越えた遥か向こうで繰り広げられる絶望的
な戦いを、どうにかすることに完全に気を取られていた。金縛りが解けたのも、先程の衝
撃が原因だとすんなり納得してしまっていた。
ギルガメスは吠える。全身に体重を載せて、拳を叩き付けるようにレバーを倒す。
エステルは片膝をついた。だがすぐにバネのごとく立ち上がる。ここで堪えが効かずに
片手までもついてしまったら、光の壁の餌食だ。そしてそれだけでは済まないことなどわ
かり切っていたから、彼女は踏ん張る。その間、蒼き眼差しは一度たりとてこの宿敵から
視線を外さず、釘付けのまま。
魔女の献身を嘲笑うかのように、青い獅子のたてがみから噴出し続ける光の粒。刻印の
閃光が何度、光の壁を散らしても、その下からセメントでも塗り込むかのように粒は集ま
り、そして元通りの厚みを取り戻す。きりがない。一瞬、眼差しが虚ろになりかけたがす
ぐに生気は宿り、刻印より再び閃光を放ち始める。只、口元には苦痛とも微笑みともつか
ぬ微かな歪みが見て取れた。
何度目かの押し返しが続く中、ふとエステルのしなやかな身体が大きく沈んだ。ついた、
片膝。それでも先程まではすぐさま立ち上がれたのが、今は惑星Ziの重力に押し潰され
たのか、背筋を折り曲げ、首までしなだれる。地に向けられた眼差しは輝きを失い、すっ
かり虚ろ。息荒く、ひどく咳き込み、それでも心までは折れぬとばかり、首をもたげたそ
の時、目前に石火が降り注いだ。
呆然と、見守るしかなかった。走馬灯がよぎる経験など一度や二度ではないが、今度ば
かりはそれ以外の選択肢が考えられなかった。……結果的にはそれで良かった。彼女の目
前で吹き飛んだ石火。両腕を交叉させて防壁を作り、その隙間から覗き見る。
壊れた飴細工のように砕け散り、大気に溶け込んでいく光の壁。
青い獅子が、垂直に吹っ飛んだ。深紅の竜ブレイカーに胴体を蹴り上げられたのだ。自
らの身長の数倍も跳ね飛ばされ、地面に巨体が叩き付けられるまで数秒も要らない。
253:魔装竜外伝第二十一話 ◆.X9.4WzziA
09/11/07 13:27:51
その間に、深紅の竜は自らの胸元に長い爪を忍ばせた。すぐさま骨っぽい肉の塊をつま
み出し、投げ捨てる。二度、三度地面を跳ね、地にへばりついた全裸の美少女。めげるこ
となく四つん這いで何かしら怒鳴り散らしたようだが、すぐその真横を今度は銀色の塊が
吹っ飛んでいく。深紅の竜を乗っ取ったオーガノイドユニット・カエサルだ。地面に叩き
付けられるやゴロゴロと転がり、どうにか体勢を戻す。
深紅の竜はハッチを閉じながら、傍らの魔女を確認するやすぐさま首を傾け、彼女を両
手で覆い隠した。
「先生、怪我は!?」
彼女は樹木よりも太い竜の爪にもたれ掛かり、爪と爪との隙間から笑顔と右手をひょい
と伸ばしてみせた。ギルガメスはほっと胸を撫で下ろす。強張っていた表情は呆気なく緩
んだが、真後ろから襲ってきた殺気に透かさず顔と両腕が反応した。
深紅の竜はしゃがんだまま翼をかざし、腰を捻る。衝撃と共に浴びせられる弾幕。その
向こうには青い獅子が仁王立ち。弾の出所は例の背中の排出口からだ。ふと足下を見れば、
銀の光球が獅子の頭部へ飛んでいく。橙色のキャノピー内に取り込まれたことで、すぐに
光球の正体は判明した。
猛り狂った青い獅子。美しき女主人の気持ちが乗り移ったかのように吠え立てると、一
目散に突っ込んできた。
「売女! 又してもお前が邪魔をするか!」
深紅の竜はまず左手を地面から持ち上げ、残る右手の甲で衝立てを立てるようにしなが
らそっと地面から離した。エステルが右手の中から現れビークルへ駆けていくのを確認す
ると、竜は満を持して両膝伸ばし、T字バランスの姿勢で雄叫びを上げた。
さしたる障害物のないこの試合場では、獅子がその気で走ればあっという間だ。竜は早
速翼をかざす。体当たりの応酬になりかけたその時、向こうで銃声が轟いた。
獅子の足下で土が弾けた。バランスを崩すがそこは百戦錬磨、腹這いになって滑り込み、
竜の真っ正面から逸れていく。回転を掛けつつ急停止し、獅子は周囲を見渡す。
銃声の方角を、深紅の竜も魔女も確と見つめた。それだけでは収まり切れぬ急変にすぐ
気付き、彼らも周囲を見渡す。
254:魔装竜外伝第二十一話 ◆.X9.4WzziA
09/11/07 13:31:13
すり鉢の縁も最上段に、わらわらと、人の姿によく似た一つ目のゾイドが群れをなして
銃を構えている。白い装甲をまとったゴーレムだ。そして青い獅子が乗り込んできた入場
口の向こうには、鋼の猿(ましら)が腕組みして立ち塞がっている。
全方位スクリーン左方にウインドウが開き、見覚えのある赤茶けた髪の美少年が手をか
ざして挨拶した。ギルガメスはあっと声を上げた。
「ギル兄ぃ、待たせたな!」
「フェイ!? どうして、ここに……」
「詳しい話しはあと、あと。
エステル先生、又会えて光栄です! でもって、そこのちんちくりん!」
「ち、ちんちくりんだと!」
青い獅子の女主人は素っ頓狂な声を上げた。ここまで馬鹿にされた覚えは久しく、ない。
相手が挑発に乗ってきたことに満足したフェイは不敵な笑みを浮かべた。
「露払いとしても随分、大胆にやってくれたな。だがそれもここまでだ」
美少女も彼の言葉にどす黒い微笑みを返す。
「ほう、シュバルツセイバーは『忘れられた村』に加勢するか。それは楽しみが増えたわ。
だが楽しみはあとに取っておく……」
青い獅子は突如、踵を返した。竜や猿(ましら)とは正反対の方角へと逃げ、すり鉢を
駆け上がっていく。ギルガメスはハッとなってレバーを押し込もうとしたがエステルがそ
れを制した。
「ギル、タイムリミット、とっくに過ぎてるわ」
獅子が駆け上がっていくすり鉢の縁では、群衆が悲鳴を上げて散り散りになっていく。
だが青い獅子は群衆など目もくれず、その間に割って入っていたゴーレム達の頭を踏みつ
けると、飛び石のように跳ねていった。すり鉢を飛び越え、その先で凄まじい銃声や轟音
がこだまするが、獅子の雄叫びが緩やかにフェードアウトするまで大した時間はいらない。
「ちょっとこの辺りをうろつく用事があったんだ。
民族自治区とガイロスってのは昔から仲が良いものでさ。何かあったら一報くれって、
この辺りにも伝えたらまあ、ものの見事に引っ掛かったわけよ」
竜と猿(ましら)は夕陽に彩られながら荒野を歩いていた。方角は北。向こうには丘が
見え、徐々に灯りが点されていくのがわかる。ギルガメスらの目的地はそこだ。辿り着い
たら猿(ましら)は東へと向かう。その先にあるのは言わずと知れた「忘れられた村」だ。
255:魔装竜外伝第二十一話 ◆.X9.4WzziA
09/11/07 13:35:21
竜の胸部コクピットハッチも猿(ましら)の頭部も開いたままである。お互い、進行は
相棒に任せたまま、素顔で語り合っていた。ビークルは竜の両掌の上に抱え込まれ、その
上ではエステルがひどく難しい顔をしながら両腕を組み、考え事でもしている様子。ギル
ガメスは少しそれが気になり、ちらちらと様子を伺いながら会話していた。
「用事? こんなところで、僕らの関係以外で何かあるの?」
「……水の総大将が失脚したらしい」
唐突な一言に師弟は顔を見合わせた。
「仕向けたのはドクター・ビヨー。彼奴の手持ちの兵力で連中を追放したっていうんだか
ら驚きだよ。
でも、それだけではすまないんだ。……ビヨーの兵力がこの辺りに近付いてきている。
『B』もその関連ってわけさ」
ギルガメスは慄然した。もしあの金髪の美少女「B」の言うことが本当だとしたら、彼
女らビヨー配下の者が押し寄せる理由は簡単に説明できる。刻印を発動させる者、及びそ
の可能性がある者を捕らえ、「繁殖」させることができたら……。
おぞましい想像にギルガメスは寒気がした。だが、そのことを彼が話すわけにはいかな
かった。彼はまだ、B計画の真実をエステルの口から直接聞いていないのだから。フェイ
もその辺を察してか、微妙な表現が続く。
「取り敢えず、物騒なことになりそうだから、兄ぃ達はここから離れた方が良いと思うぜ」
「戦争でも起きるのか……」
思いつめたような顔をしたギルガメスを見て、フェイは苦笑した。
「まあそういうのもあるんだけどさ、一応、ガイロスは兄ぃの相棒を取っ捕まえるのを諦
めてはいないんだぜ?……おっと、ブレイカー怒るなよ! 今はそんな命令、受けてない
からさ」
目を赤く光らせ威嚇した深紅の竜には両手を上げて降参のポーズを示すフェイだったが、
主人の身に直接関わる話題で冗談の通じる竜ではない。ギルガメスに嗜められても尚、低
い声で唸り続ける。
「兄ぃ、それじゃあ又な。
エステルさん、次に会う時はデートして下さいね!」
難しい顔をしていた女教師は苦笑いを浮かべ、弟子の方は目を剥いた。それも束の間、
鋼の猿(ましら)は頭部ハッチを閉めるとタリフド山脈の方へと軽快に駆けていく。夕陽
に照らされた鎧は何とも鮮烈に輝いていた。
256:魔装竜外伝第二十一話 ◆.X9.4WzziA
09/11/07 13:38:43
師弟と竜はしばらくの間じっと見送っていた。その内、最初に閉ざしていた口を開いた
のはエステルの方だ。
「今日は、よく頑張ったわね」
思わぬ労いの言葉にギルガメスは頬を赤らめ、ボサ髪の頭を掻いた。
「いや……先生やフェイの手助けがなかったらもっとひどいことになっていたと思います。
やっぱり、自分はまだまだです」
少年の返事を聞いた女教師は満足げに微笑んだ。
「それよりも、よく我慢したわよ。最後まで頭に血が上らなかったのは誇って良いわ。
……あとは、これね。もう一息なんだからね」
切れ長の蒼き瞳を一層細めながら、両腕を握って剣を持つ仕草をしてみせた。
ハッと、息を呑んだギルガメス。
今日、どうにか凌ぎ切れたのは、剣の特訓をこなしたからだと少年は確信する。限られ
た時間内に様々な秘策を繰り出し、粘りに粘って好機を狙うのは、多分人同士かゾイド同
士かの違いだけで、根っこは同じなのだ。
只、課題達成の暁に、ついでに女教師から聞き出す筈のB計画について、他ならぬ宿敵
から話しを聞いてしまった。今、女教師に問い質すことは可能だ。
いや、それはやめておこうと、彼はすぐに思い留まった。自分は目の前にいる女性から
話を聞きたいのだ。そのためにずっと、頑張ってきたのだから。
ギルガメスの円らな瞳は決意でみなぎっていたが、エステルの蒼き瞳は夕陽の向こうへ
と視線を外していた。その奥底を覗き込まれるのを恐れたのか、彼女はすぐにサングラス
で覆い隠した。
同じ夕陽を浴びる青い獅子は、未だに荒野を駆け続けている。全身至る所に浮かぶ煤や
凹みが、逃走の激しさを物語る。
夕陽の向こうに砂煙が浮かび、その隙間から獅子の群れが見えてきた。皆、一様に白い
骨のような鎧をまとい、整列しながら歩いている。彼らの先頭には竜の骸を積んだ、巨大
な台車が難題も居並んでいるではないか。ティラノサウルス砲だ。いつの間にかその数は
何倍にも増えていた。そして骨鎧の獅子達の群れと言い,その主人は容易に想像がつくと
言うもの。
257:魔装竜外伝第二十一話 ◆.X9.4WzziA
09/11/07 18:00:57
群れは青い獅子を確認するや、一斉に歩みを止めた。青い獅子は目標の停止に満足した
のかやや速度を緩め、群れの前に躍り出る。
ティラノサウルス砲の一匹の胴体内から、ひょっこりと現れた白衣の男。はしごを伝う
とゆったりとした足取りで群れの前に悠然と立ち塞がった。
腹這いになった青い獅子。橙色の頭部キャノピーが開き、中から白いワンピースを着直
した金髪の美少女が飛び降りた。その傍らに、人よりは大きな銀色の獅子カエサルが寄り
添う。
「ドクター・ビヨー、すぐにブレードライガーを整備せよ!
ギルガメスの覚醒はあともう一息だ!」
駆け込みながら叫び、白衣の男に促す。しかし彼は全てを聞いた上で一笑に付した。
「なりません。貴方達には休養して頂き、決戦に備えてもらいます」
「何だと?」
美少女の銀色の瞳は、男の牛乳瓶の底並みに分厚い眼鏡の奥を睨みつけた。今までにな
い、直接的な反抗は彼女にも覚えがない。
「まだ決戦まで時間があるだろう? さっさとやれ」
「お断りします。貴方こそ従ってもらいます」
美少女は顔を上気させた。今まで平身低頭を続けてきた男が、急に見せた尊大な態度。
わけがわからず、しかしそんなことを理解するよりは暴力でねじ伏せる方が彼女には手っ
取り早かった。彼女の金髪が揺らめくと、鞭となって男の首に襲いかかる。
白衣の男は至極、余裕だ。
「愚かな……」
突如、耳をつんざく高音が美少女の耳を襲った。鼓膜を突き破るような音には全く抗え
ず、両手で耳を覆い、がくりと膝をつく。それでも音は掻き消すことすらままならない。
美少女は遂に荒野に倒れ伏し、のたうち回り始めた。
「何だ……ドクター・ビヨー、この音は何なんだ!」
白衣の男はその懐から、何やら得体の知れない機械をちらりと見せた。手の平に乗る計
算機程度の多きさながら、ボタンが何個かついているのみで、外見だけではどんな用途に
使うのかさっぱりわからない。
「レアヘルツですよ。古代ゾイド人にも効果があるよう、調整しました。貴方に隠れて作
るのは中々骨が折れましたよ」
258:魔装竜外伝第二十一話 ◆.X9.4WzziA
09/11/07 18:04:31
語りながら、一歩一歩近付いてくるたび音の強さは増し、美少女を責め上げる。主人の
危機を見過ごせぬとばかり、傍らにいた銀色の獅子が飛び跳ねた。
白衣の男は懐の機械を更に弄った。銀色の獅子は空中で痙攣を起こし、バランスを崩し
たまま地面に巨体を叩き付け、のたうち回り始めた。
男は美少女の前に立つと、彼女の小さな頭を足で踏み付け、ぐりぐりと地面に押し当て
た。今までの力関係からすれば考えられない屈辱なれど、彼女の耳に届く高音が反撃の機
会を全く与えない。
「私にとっての『B計画』は、古代ゾイド人が繁殖を果たし、Zi人を滅ぼしていく過程
を遠くで観察することなのですよ。『神の視点』とでも申しますかね……。
Bよ……いや、ブライドよ、貴方の身体はギルガメス一人のものではない。これから発
見されるであろう沢山の古代ゾイド人のもの。
貴方は全ての古代ゾイド人の花嫁なのだ」
言いながら、踏み付け続ける。美少女は高音に抗う術を知らぬまま、既に意識朦朧とな
り、虚ろな銀色の瞳を曝け出した。
獅子達の群れを夕陽が覆い被さる。陽が沈み、夜が明ける頃には様々な力関係が一変し
ている筈だ。
(了)
【次回予告】
「ギルガメスは憧れる女性の決断に却って心を傷付けられるかもしれない。
気をつけろ、ギル! 不完全な覚醒の末路は如何に。
次回、魔装竜外伝第二十二話『ギルガメス、暁に死す』 ギルガメス、覚悟!」