10/05/25 00:10:40
(※抜粋です。全文は「週刊ポスト」誌面でどうぞ)
大河ドラマ『龍馬伝』を見ている人も、見ていない人も、一度は感じたことはないだろうか?「武市半平太(あるいは攘夷派の武士たち)は
なんてバカなんだろう」ということだ。
敵は強大なパワーを持つ汽船(蒸気船)に、日本には存在しない鋼鉄製の大砲を搭載し、日本の青銅製の大砲では届かない距離から、
砲弾を撃ち込んでくるのである。使っている銃も、雨の中でも使用可能な連発銃だ。にもかかわらず、攘夷派は日本刀と火縄銃と旧式の砲で
勝てると思い込んでいる。
黒船来航以前ならともかく、黒船はその巨大な姿を見せているのだ。だが、攘夷派たちは、中学生でもわかるはずの「これでは勝てない」という
現実を認めようとしない。それどころか、そういう現実を指摘する勝海舟や佐久間象山を斬り殺そうとする。いや、海舟の義弟(妻が海舟の妹)
である象山は実際に攘夷派浪人に暗殺されてしまった。海舟だって何度も命を狙われた。「これでは勝てない」という真実を口にし続けたために―。
「攘夷派って、どうしようもないバカだな」と嘲笑するのは簡単だ。確かに彼等は「中学生にもわかる理屈」をわかろうとしないばかりか、「真実」を
知る人間を排除しようとする、とんでもない連中だ。
だが、ここで胸に手を当てて頂きたい。われわれ現代の日本人が、彼等を本当にバカにする資格があるのか、ということを。特に、団塊の世代
より上の方々で、かつて日本社会党の熱烈な支持者だった人々に申し上げる。「日本刀では黒船に対抗して国が守れない」ように、「平和憲法
というルールでは核ミサイルに対抗できない」、これは中学生でもわかる話じゃありませんか?
ここで肝心なのは、武市半平太も勝海舟も「この国を外国の侵略から守りたい」という理想は同一である。ならば本来は「同志」つまり同じ志を
持つ者として助け合ってもいいはずだ。しかし、武市のグループは勝のグループを殺そうとした。どちらが悪いのか?
言うまでもないだろう。勝が主張するように開国し国を近代化するしか欧米列強には対抗できない。その道を頭から認めず、「ダメなものはダメ」
と潰しにかかったのだ。「理想」は同じでも、やってることは結局「理想をダメにする逆行」である。
ここで、ぜひ心にとめておいて頂きたいことは、現代の視点では「愚か者」に見える武市半平太は、決して同じ土佐出身の岡田以蔵のように
無学ではなく、むしろ当時の学問水準なら「東大卒」といってもいいぐらいの教養を持っていたことだ。これは武市だけではない、同じく強硬な
攘夷論者だった長州の久坂玄瑞も「東大卒」であった。
日本史においては、いや現代もそうだから、日本においては、と言い直すが、しばしば最高の教養を持ったはずの人々、最高学府を卒業した
人々が、「中学生でもわかるはずの理屈」がわからず、国を危険に陥れるという、諸外国にはない珍しい特徴がある。
たとえば、誰かが「日本を守るためには、軍隊の所有を禁じている日本国憲法を改正すべきだ」と言ったとしても、それは「戦争をしたい」という
こととは違う。厳密に言えば、戦争をしたいがためにそう言っている人々が絶無とは言えないかもしれない。しかし、そう主張する人々の大多数は、
「日本刀で黒船に対抗できないように、平和憲法では核ミサイルに対抗できないから」そうすべきだと言っているのであって、そういう意味では
「憲法絶対支持論者」と「日本の平和を守る」という点では一致する。すなわち同志であるはずだ。
ところが、こういう絶対論者は「改正などない、改悪だ」と叫び、相手の意見に対して一切聞く耳は持たない。江戸時代なら、まさに相手を
暗殺していただろう。もう、おわかりのように、そういう考えしか持てない人々の中には「東大卒」もいる。
私は時々、日本における教育、最高学府とは一体何なのか、と思う。まず、現実を直視すること、それが学問の基本ではないのか。ところが、
その一番肝心な部分がすっぽり抜け落ちたような人が、学者や評論家やジャーナリスト、それどころか政治家にもいる。こういう人々にはぜひ、
「幕末史」を他山の石として頂きたいものだ。
ソース(週刊ポスト 6/4号 126~129ページ 「逆説の日本史」 作家・井沢元彦氏)