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たとえ本音であれ、発言者の自覚や品性が疑われるようなことは公言しない。それが良識というものだ。権力を持つ人ならば、
なおのこと。発言の影響を想像し、言っていいこと、悪いことを慎重に考えねばならない。
こんな当たり前の思慮分別がないのだろうか。そう疑わざるを得ない政府・民主党の議員の発言が相次いでいる。同党の
小沢一郎幹事長の資金管理団体をめぐる政治資金規正法違反容疑事件にからんでのことだ。
原口一博総務相が記者会見で「関係者という報道は、検察の関係者なのか、被疑者の関係者なのか。少なくともそこは明確に
しなければ、電波という公共のものを使ってやるにしては不適だ」と批判した。テレビ、ラジオ報道を想定しての発言だろう。
情報源は可能な限り明示するべきだ。しかし取材源を隠さないと得られない情報もある。その場合、情報源を守るのは最も重要な
報道倫理の一つである。必要な情報を社会に提供し、民主主義を守るというジャーナリズムの役割を果たすために不可欠なことだ。
報道に携わる者は安易にあいまいな表現をしないよう、自らを厳しく律しなければならない。しかし、最終的にどう報じるかは、あくまで
各報道機関が独自に決めることだ。
それを規制するかのような発言を、放送局に免許を与える権限を持つ総務相がした。原口氏はその後、「放送内容に介入する気は
ない」と釈明したが、自らの言葉が報道への圧力になりかねないということについて、あまりにも自覚がなさすぎる。
民主党は「捜査情報の漏洩(ろうえい)問題対策チーム」の設置を決めた。「政治が検察によって抹殺されてよいのか」という激しい声
を上げる議員グループもある。総務省政策会議の場で、記者クラブについて「各省庁のクラブは全部省庁に乗っ取られて、まともな記事
が書けない」と述べた議員もいる。
政権党の議員として短慮としかいえない。権力を持つことの意味を理解しているのだろうか。
民主党議員はまず、疑惑を持たれている小沢氏に対し、記者会見をせよ、国会で説明を尽くせと求めるのが筋ではないか。だが、
そうした声はあまり聞こえない。同党は小沢氏の国会への参考人招致にも応じない構えだ。
小沢氏は選挙対策や党の資金、人事を差配する立場にいる。昨年暮れの予算編成も「要望」にほぼ沿う形で決着した。だからと
いって、小沢氏の機嫌を損ねることは言えないのであれば、政権党の議員の資格を疑われる。
捜査や報道への乱暴な批判の代わりに、疑惑を晴らすことに力を注ぐべきだ。野党ではない。国家権力を担い、国の針路を定める
政権党である。その自覚をしっかり持ってもらいたい。
ソース(朝日新聞・社説) URLリンク(www.asahi.com)