【インタビュー】 部落解放同盟奈良県連委員長・川口正志さん、毎日新聞に語るat WILDPLUS
【インタビュー】 部落解放同盟奈良県連委員長・川口正志さん、毎日新聞に語る - 暇つぶし2ch1:バーガーゴロッケン@第拾九代目 おまコン(090416)φ ★
09/03/25 01:46:43
Speaking:そこが聞きたい 部落解放同盟県連委員長・川口正志さん /奈良
 ◆今後の運動や同和行政の在り方を語る--部落解放同盟県連委員長・川口正志さん

 ◇厳しい現状を正さねば 「人間は尊い」が基本
 昨年に再建50年を迎えた部落解放同盟県連。これまで多くの差別問題に取り組んできたが不祥事や財政難を機に、
奈良市や生駒市などではこれまでの同和行政の方針を見直し、抜本的な改革に乗り出している。今後の運動の方向性
や同和行政の在り方について、部落解放同盟県連委員長の川口正志さん(74)に聞いた。【阿部亮介】

 ◇社会浄化のために
 --部落解放運動に参加したきっかけを教えてください。

 川口さん 解放運動には生活改善を目指す大和同志会と、外部からの圧迫に抵抗する水平社の二つの流れがありました。
私が生まれた家は水平社系でした。商売をやろうと思っていたので15歳で地元中学を卒業し、京都市の皮革屋に2年間、
丁稚(でっち)に行きました。製造、卸、小売、靴作りまで部落産業の実態を経験しました。故郷に帰ってから地元の青年団
に入り、20歳で社会教育委員になりました。学校には長欠児童が多く、村内にヒロポン(覚せい剤の一種)がまん延していた
時期でした。夜間学級の実現などを通して、社会浄化のために奉仕しようと思ったのがきっかけです。

 --部落解放同盟県連はどういう経緯で再建されたのですか。

 川口さん 運動に参加した当初は、水平社の流れをくむ六日会に誘われ学びました。戦後左派系のもう一つの団体の部落
解放地方委員会と合流して、部落解放同盟県連が再建されました。六日会のリーダーたちに恵まれ、書記から始まり、書記
次長、書記長を20年間勤め、その後は委員長に25年以上就いています。

 --再建された当時の差別状況はどうでしたか。

 川口さん (再建された)50年前は、どこも自転車を買えるのが精いっぱいという経済事情で、電話やテレビもなく、道も狭かった。
差別的な言動で非難されたりしました。1954年には、同和地区出身の女性教師が、交際していた男性の両親から結婚反対の
差別的な言動で自殺を決意し、女性教師が男性に硫酸をかける事件などが奈良で起こりました。

 --川口さん自身、どんな差別を受けましたか。

 川口さん 結婚差別を受けました。京都で丁稚をしていた時、結婚しようと思った女性がいました。同和地区出身ということで
女性の両親が反対し、結婚はかないませんでした。

 --現在ではどんな差別が残っていると考えてますか。

 川口さん 目に見える差別はなくなってきていますが、結婚や就職に関する差別はまだ残ってます。差別意識も薄くなってきてい
ますが、同和地区出身とそれ以外の出身の人とのお見合い結婚は、まずありません。就職差別をなくすための対策として、自治体
の現業部門に就職したとしても、きつくてつらい3K労働を担ってきたという状況です。

 --一方で、支部の役員だった元奈良市職員が長期欠勤しながら給与を受け取る不祥事が起きました。

 川口さん 楽をしながら幸せになろうというずるい欲望が人間には存在します。今回の事件では、休職中の元職員に給与を出したのは
市だが、もちろん組織として責任を負わないといけません。たまたま同和地区の人が事件を起こしたという事情はありますが、部落解放
同盟は差別のない世の中に住みたいという人の集まりです。抱擁して人を育てるのが基本ですが、ずるい人間に対して指弾、糾弾せざる
をえません。元職員については運動体の誇りを悪用したため、除名という糾弾をした訳です。

以下略、全文はソースで。

毎日新聞 2009年3月18日 地方版
URLリンク(mainichi.jp)


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