05/06/15 17:36:20 UyMhoAMs
>>112 同意
すし板なんだしもうそろそろその嘘の定説やめたいよね?
いくら江戸時代でもなんでもまさか東京湾の中で今の
「本鮪」 がワンサカ泳いでいたと思う?実際は今の三崎や洲崎沖まで
漕ぎ出した江戸や腰越辺りの船が日本橋河岸まで持ってきてたんだ。
風任せなんで帰路かなり時間を要したと思う。
たまになんかの拍子に湾内に群れ紛れ込むことはあっても、ほとんどがバチやキワダだったんだよ。
ほんでたまに本マグロ取れても冷凍冷蔵技術が無い当時としてはトロ部分は日持ちしない
アシが早いし、〆られない漬けにも脂が染み出し適さない。鮨屋としては「猫またぎ」と称して
その部分を見向きもしなかっただけ。しょうがないんで河岸では葱鮪鍋にほりこまれたり
焼かれたり、日本橋界隈でしか食えなかった。
残りは佃島の業者が佃煮他惣菜に加工したりといろいろ。正解は捨ててはいない。
当時の河岸界隈の人々は非常に ゴージャスな葱鮪鍋を喰っていた訳であり、遠洋航海術や
冷蔵技術が発達する 大正末期~戦前に日本橋の某鮨屋がホンマグロのその部位を「トロ」と言い出す
までは寿司の歴史上、所謂現在の「トロ」は存在していなかったと言うわけだ。
それ程当時から江戸前寿司は食中毒に気を使っていたし、イキのいいネタを重視
していた。ただし、河岸界隈の鮨屋では出してたらしい。単純に『鮪(シビ)』として。赤身、中トロ、大トロ
の区別なく、果ては黒(本)鮪、メバチ、キハダの区別無く下魚扱い。鰯、鯖、秋刀魚と同じ青魚。
しかも、関東の武家社会ではその呼び名「シビ」が「死日」に通じるとして敬遠され下魚に貶められる
一因となってたんだ。江戸末期屋台の寿司屋で赤身のヅケが好評を得るようになってから今の「まぐろ」
と呼ばれるようになったが、町人文化の下町河岸界隈じゃそのままシビと呼ばれてた。
今でも寿司屋が成魚をシビ幼魚をメジと称すのはその名残。西日本の漁師の鮪もまぐろを
シビと呼ぶところが残っている。
【煮詰め(ソース)塗っときますねw】
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