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松山市の中村時広市長は9日の記者会見で、松山城二の丸跡の井戸で発見されたロシア人の男性捕虜と日本人とみられる
2人の名前が刻まれた1899年製ロシア金貨について、日本人は近くの病院で勤務していた女性看護師の可能性が高いと発表した。
中村市長は「国を越えての恋愛を社会が許さず、金貨に2人の思いを凝縮したのかもしれない」と話している。
松山市教育委員会によると、当時の海南新聞(現愛媛新聞)に、2人が恋愛関係にあったことや、関係が引き裂かれたことを
うかがわせる記述があった。
日露戦争当時、松山に送られたロシア人捕虜は人道的な扱いで厚遇されてたらしい。街中や道後への外出も認められて一般人
との交流もあったようだ。今もロシア人墓地は綺麗に掃除されてる。
戦傷者も収容されていて看護する女性の勤労奉仕も募られてたらしい。もしこの時代に都さんが居たら隣県からでも金比羅街道
歩いて参加しただろうと思う。
都さんも愛ある愛媛の国際文化学科のある女子大に来ていたら悲劇に見舞われることもなかったのに…。