10/07/14 22:40:44 3n0E/54/
>>182
上皇方の鎮西八郎為朝が夜討を進言したところ、悪左府こと藤原頼長が却下。
そうこうしてるうちに、義朝が夜討をかけてきて・・・という流れじゃなかったっけ?
184:人間七七四年
10/07/15 00:54:50 rmmOO+na
>>183
あら!?その通りです。お恥ずかしい・・・。
185:人間七七四年
10/07/15 16:18:24 qwej1Opl
刀は目釘固定じゃなく、フルタングナイフのように中子を(もう少し長くして)グリップ素材で挟む構造ではいけないのでしょうか?
ねじがない時代だと固定してしまうと外せなくなり、湿気の多い日本には不適…というような事も考えましたが。
恩賞としての価値があるような刀ならともかく、数打ちの実用品はそんな感じでもよかったんじゃないかと思います。
あるいは単純に革巻きとか。
186:人間七七四年
10/07/15 18:40:38 ZcDtTMh9
>>185
あの方法がベストだから後世までこれで残った。以上。
187:人間七七四年
10/07/16 22:05:18 8dtTXIdx
群書類従に信長が岐阜と名付けたのは嘘で昔から岐阜という地名はあった
というようなことが書いてあったのですが本当でしょうか?
188:人間七七四年
10/07/16 22:33:30 Gx/9XZvj
>>187
本当ですよ。
189:人間七七四年
10/07/17 03:31:52 DuIkVqSD
今川家の将、福島正成が上条河原合戦で荻原常陸介に討たれたというのは本当ですか?
190:人間七七四年
10/07/17 03:35:34 JzzgTHR6
>>183
頼長は軍隊で威圧行為を行った後に政治的駆け引きをやる予定で本気で開戦する気がなかったのでは? という見方もあった筈。
191:人間七七四年
10/07/19 15:57:44 lxOzsayr
荻原昌勝は指揮をとっていたが、直接大将同士の戦いなんてのはない。
武田の圧勝の戦いだからなおさらありえない。
192:人間七七四年
10/07/21 07:25:32 r0N7OK8K
真田信之は無敗の将らしいですが、本当のことですか?
193:人間七七四年
10/07/21 21:18:25 wPoOObNn
まともに関わった戦が上田合戦、小田原役、関ヶ原だけだしな。
194:人間七七四年
10/07/25 10:15:44 FGCJEsf7
>>192
お前も生涯無敗だろ?
195:人間七七四年
10/07/25 23:23:11 lu+CidN5
武家の娘は、12~15歳くらいで嫁ぐのが一般的で、20歳の独身女は行き遅れ。
というイメージがあるわけですけど、これは庶民についても同様だったのでしょうか?
196:仙台藩百姓
10/07/26 08:50:14 UGg+TLtZ
少なくとも正室で15歳以下の輿入れはレアケースではないかお( ^ω^)
著名な大名の例で見ると17~20歳ぐらいが多いお
10歳にも満たない場合の婚約や婚姻もあるけれど実際の輿入れは一定年齢に達してからだお( ^ω^)
庶民については資料がないから不明としかいいようがないお( ^ω^)
197:人間七七四年
10/07/26 11:54:22 lLZwP5Mi
江戸期になると徐々に晩婚化の傾向が見られる。
あと、初婚が若くても離婚も多く、20代、30代での結婚も珍しくなかった。
これは戦国期もそんなには変わらなかったと推測できる。
戦国期の著名な大名の結婚といえば、武田信玄の最初の結婚は12歳の時で、
相手の上杉朝興娘の年齢はわからないが、おそらくは同年代だったと考えられる。
しかもその年のうちに妊娠させている(出産の再母子ともに死亡)
198:人間七七四年
10/07/26 19:04:35 PwdS9sS7
レアか?
信長の嫁13歳
秀吉の嫁14歳
家康の嫁15歳
政宗の嫁12歳
利家の嫁12歳
秀頼の嫁7歳
秀忠の嫁6歳
八丈島の嫁15歳
199:人間七七四年
10/07/26 20:03:17 lLZwP5Mi
>>198
子供まで産ませたのは信玄と利家くらいだろ
200:人間七七四年
10/07/26 20:41:13 PwdS9sS7
正室として嫁いだ年齢の話してんのに孕む孕まないは関係ないんだが
201:人間七七四年
10/07/28 05:50:09 FsU3KuGM
利家とまつってひとまわり以上離れてるんだっけか
202:人間七七四年
10/07/28 12:50:41 nApKwByj
信玄の場合、嫁ではなく信玄の方に、12歳で性衝動があったことの方がすごいな。
203:人間七七四年
10/07/28 16:17:22 e8FcrV3d
質問です
戦国時代に双子の大名とか武将はいなかったのでしょうか?
それとも間引かれたり双子とかまれだったのでしょうか?
204:人間七七四年
10/07/28 17:14:05 zbj3iDE5
あくまでも予想の域を出ないが
家康と恵最・・正室の子と側室の子で同日生まれとされているが、双子だったと言われている。
結城秀康と永見貞愛は信憑性が高い。
205:人間七七四年
10/07/28 17:15:22 rMPjYouh
918 名前: 人間七七四年 [sage] 投稿日: 2010/05/19(水) 21:59:36 ID:ty0ZkTvA
双子の記録って全く見ないんですが
双子だった・双子の可能性のある戦国時代の人物って記録ないのでしょうか?
919 名前: 人間七七四年 [sage] 投稿日: 2010/05/19(水) 22:11:01 ID:3mPlvQ20
>>918
戦国期双子は畜生腹として忌まれ、双子の片割れは殺されたり里子に出されたりした。
有名なところだと結城秀康(徳川家康次男)と、永見貞愛(知立神社神職)が双子であった、
と言う説があるらしい。実際はわからないが。
920 名前: 人間七七四年 [sage] 投稿日: 2010/05/19(水) 22:11:52 ID:OoqArQxs
徳川家康が竹千代と二郎三郎の双子説じゃないかな一応
923 名前: 人間七七四年 [sage] 投稿日: 2010/05/19(水) 23:47:15 ID:7DCPS+c3
宇喜多忠家と春家は同一人物説と双子説あった気がする
924 名前: 人間七七四年 [sage] 投稿日: 2010/05/19(水) 23:56:51 ID:c+kfAEYE
真田んとこも双子説あった気がする
206:人間七七四年
10/07/28 20:59:03 e8FcrV3d
>>204
>>205
ありがとうございます!
説が多種で実在というのは難しいのですね
歴史の教師がはぐらかしているのに
ここは本当に凄いですね
高校の自由研究にしようと思いましたが
ちょっと断念します
ありがとうございました
207:人間七七四年
10/07/30 18:20:50 QNDzHghx
関ヶ原の時に山形城に対上杉に備えて
東北諸勢力が収集されているのですが、その中に「小笠原勝俊」という人がいて
兵を500程率いているんですが、この人は誰なんでしょう?検索しても全然ヒットしなかったので
よろしくお願いします。
208:人間七七四年
10/07/30 19:06:21 eO+sp0dZ
>>207
推測だが、あの地域で東軍方で、小笠原って言うことは、
出羽戸田氏の家臣で小笠原庶流を名乗っていた樽崎氏の縁者ではないだろうか?
209:人間七七四年
10/07/30 19:08:03 eO+sp0dZ
間違えた
×樽崎氏
○楢岡氏
210:人間七七四年
10/07/30 19:50:49 1LZjGkqh
>>207
津軽家の重臣に小笠原信浄って人物が居るけど、その家系の人かもしれない
その息子の名前を検索してもHITしないのが気になるが…
211:人間七七四年
10/07/30 20:38:44 QNDzHghx
>>208-210
ありがとう。>>208の線で調べてみます
212:人間七七四年
10/07/31 03:19:44 TB5E0ErK
戦国時代に行われた僭称についてですが
土地の実効支配者も、僭称者を役職名通りに呼ぶんでしょうか
仮に現地支配者の伊東義祐が明智光秀を論う場合でも「明智日向守」と?
213:人間七七四年
10/07/31 13:06:12 tmKB7t2n
>>212
光秀の日向守は僭称じゃないし。
つーか君は先ず、官位というものをきちんと勉強したほうがいいと思うぞ?
日本全国どこであっても誰が相手であっても、日向守は日向守だ。
214:仙台藩百姓
10/07/31 16:25:12 Y2SoGSyF
いやいや、明智の例えが悪かっただけで良い質問ではないかお( ^ω^)
例えば上総介を自称していた織田信長に対して、上総を実効支配していた里見氏などが書状を送る場合
織田上総介殿と書くのだろうかと言う事だおね( ^ω^)
まあ、当時織田氏と里見氏などは接触がなかったからお互いどうでもよかったろうけど
小田原北条氏なんかが上総介を自称したら洒落にならないお( ^ω^)
実際、各勢力が実効支配又は侵略を目論む場合
その地の国司系官位の争奪に躍起になっていたのは事実だお( ^ω^)
つまり大義を官位に求めていたのは間違いなく
敵対勢力などは僭称された官位をわざわざ呼んであげる事は有り得ないはずだお( ^ω^)
漏れの地方では大名の僭称があまりないから詳しくないけど
実例などを挙げてみると面白いと思うお( ^ω^)
215:人間七七四年
10/07/31 17:16:59 16amabj/
百姓が言わなければ似たような返答を書こうかと思っていたわ。
自分たちも各地方の受領名を使ってるんだから、よその武士が何を名乗ろうが、
ある程度は許容するのが常識。
216:人間七七四年
10/07/31 21:06:15 JOGD4KBH
大内が少弐に対抗するため太宰少弐をわざわざ朝廷からもらったな
僭称は…挙げたらきりがないな
217:人間七七四年
10/07/31 21:20:17 yn7PZPNi
大内氏は受領名ではなく家臣団にも正式な官位を授けていたと聞きます。
長門守護代の内藤興盛は従五位下、下野守を賜っていますが
この場合、代々下野守を世襲していた宇都宮尚綱は官職を去るのでしょうか?
218:人間七七四年
10/07/31 21:57:27 SsjWq97G
昔は一生懸命ではなく一所懸命と言って一つのこと一つの場所に根ざして頑張ったそうですが
それにもかかわらず戦国時代から江戸時代初期にかけて、一代で最も転封を繰り返した大名って誰ですか?
江戸時代の大名家では前橋松平家が有名ですが・・・
219:人間七七四年
10/07/31 23:38:00 yn7PZPNi
中位の位階で中位の官職の足利義晴と高位の位階で低位の官職の大内義隆
朝廷での序列はどちらが上だったのでしょうか?
足利義晴
位階・・従三位
官職・・権大納言(正三位相当)、右近衛大将(従三位相当)
備考:信長の野望天道では1546年時点で義輝が大名になっており存在抹消。
大内義隆
位階・・従二位(1546年時点は正三位)
官職・・兵部卿(正四位下相当)、大宰大弐(従四位下相当)、侍従(従五位下相当)
備考:信長の野望天道では兵部卿(ゲーム内では一つ下の従四位上扱い)のみで兼任していない。
よってゲーム内では参議(正四位下)の北畠晴具、足利義輝より低い扱い。