戦国ちょっといい話19at SENGOKU
戦国ちょっといい話19 - 暇つぶし2ch900:人間七七四年
10/05/12 10:43:31 nTf/JTlL
幽斎さんだと自分で捌いて石井八郎左衛門と一緒に食おうと厨房で待ってるかもしれんなw

901:人間七七四年
10/05/12 12:28:46 qXAeoxV5
出てきたフナがおっきい方じゃなくて小さい方だったけどお殿様は知らないフリしました

とは成らないのは流石の鍋島さんの人徳である

902:人間七七四年
10/05/12 13:29:17 Pu+1dGa+
本多(重)さんだとまためんどくさい展開になりそうだよな

903:人間七七四年
10/05/12 13:32:01 9dEIOyaS
いい話なのかな・・・
おべっか使いの話としか見えない俺は心が歪んでいるのか・・・

904:人間七七四年
10/05/12 13:46:57 Pu+1dGa+
本人目の前にしてならともかく、全く解らない状況で言ってるんだからおべっかとは全く違うだろ


905:人間七七四年
10/05/12 13:47:39 PhhsvrOT
本人目の前にしてるだろ

906:人間七七四年
10/05/12 14:03:59 Pu+1dGa+
この時代の夜は本当に真っ暗で何も見えないぞ
声だけで判断したってことか?

907:人間七七四年
10/05/12 14:36:05 BfZ3GtaT
なるほどな。
声で殿様とわかって一芝居打った可能性もあるのか。
だが実際は殿様が一人で深夜徘徊はしないだろうから
部下の誰かが朝になって殿様に報告したってのが本当のところだろうな。

908:人間七七四年
10/05/12 14:56:27 G1jRDrQN
>>906
街灯もろくすっぽ無い山中住まいだけど
そらもう月によるとしかいいようが無い。
越してきて月明かりって明るいもんなんだなぁと思ったくらいに
出てる出てないじゃ見え方がまるで違う。

909:人間七七四年
10/05/12 15:44:53 5mrwvBjq
問題なのは「この大きさはあと2匹はおる」なのだから、
小さいヤツを身元不明の散歩侍にあげるかどうかと、
大きいヤツを殿様に献上するかどうかは、
別に関係ないってことだな。
献上するからあげられないって数じゃないよね。

910:人間七七四年
10/05/12 17:39:25 7QAy0Z8c
「主君持ちだ」って言い張ったのは「金積まれたってアンタには売れねえよ」って意味に受け取ったが。

911:人間七七四年
10/05/12 18:22:37 dV2t8HJS
>>909
なんでだよ、数匹献上したってんだから二尾では済んでないだろ。
自分の家の分含めると、声かけられた時点ではくれてやる余裕はないだろ。

912:人間七七四年
10/05/12 19:13:03 7rhPxxe9
寛永の頃、長崎の唐人町屋に「いつくゆん」という者がいた。
彼は広壮な屋敷を構え、そこを唐人商人の宿として提供し、利益を得ていた。
小間使いとして日本人を雇っていたが、中に15歳ほどの少年がいた。
宿泊した唐人の中に人相に詳しい者がいて、少年を見るなり、
「この者は天下に待望を抱くだろう。しかし、それは遂げられずに終えるはずだ」
と予言をした。

数年後、少年は戦国に終止符を打つとされる大反乱の指導者となる。
名を四郎といった。

四郎と幼い頃から親しくしていた学友は、
「彼は海で泳ぐのが好きで、魚を手掴みして捕ることができた。
その他は、別に変わったところもない少年でしたよ」
と語ったという。
深見新右衛門殿の物語りである。

(老談一言記)

913:人間七七四年
10/05/12 19:43:33 lrbhzRbM
>>912
ジェロニモさん魚のつかみ取りが上手かったのか

914:人間七七四年
10/05/13 00:38:42 NJAj1h4B
このころはまだ超人じゃなかったんだよね

915:人間七七四年
10/05/13 01:25:58 MDT+wwJk
>>914
だってオラは人間だから……

916:人間七七四年
10/05/13 13:10:52 7er2cGPB
何処の出典かも明確にしない
どこの逸話なのか検証する奴も居らず
だのに話に出てくる人物の会話が異様に濃い

武将を面白おかしく書くただのオナニースレと成り果てたか


917:人間七七四年
10/05/13 13:12:46 0SOO/QPa
上げて言う馬鹿よりはマシ

918:人間七七四年
10/05/13 13:29:19 7er2cGPB
>>917はいはいw上げて悪かったね
お?w俺何か間違った事言ってるっけ?w
最近の投稿見て思うのは
こっちに投稿する前に『逸話検証スレ』に見て貰った方がいいんじゃないのって思う?
朝倉宗滴記話とか後世の創作物の中でもゴミ屑以下の資料価値しかないしな

読みやすい様に顔文字や現代語風を少しだけ使うのは別に構わない…が

せめて何処出典か出せ
話が昔の資料じゃなくて郷土史家の本でも構わん、出せば
それがルールだ

919:人間七七四年
10/05/13 13:38:50 h8gWbfUQ
自治厨乙

920:人間七七四年
10/05/13 14:08:38 7CbMqaxS
ん?
検証スレで実話認定されないとダメで
出典書くのが当たり前だけど、朝倉宗滴記話は書いててもダメなのか?
なになに?
どうすればいいのか全然見えない。
要するに君の気にいらない書き込みはしてはいけないってこと?
それがルールなの?

921:人間七七四年
10/05/13 14:28:36 4cCTgIiT
>>918
逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
スレリンク(sengoku板)

922:人間七七四年
10/05/13 15:09:23 UWlMUA86
まあこの手のケチを付けたいだけの馬鹿に触らない方がいいよ。馬鹿がうつる。

923:人間七七四年
10/05/13 16:09:18 j3QJ/FfD
ぉぃ、釣られすぎだぞw

924:人間七七四年
10/05/13 16:32:45 UWlMUA86
良い話か悪い話か迷ったがこっちに。


慶長五年(1600〉6月6日、徳川家康は上杉景勝に謀反の企てありとし、大阪城西の丸に諸将を招集し
この討伐を宣言。発向を16日として参加する将の署名を求めた。
そして署名した者を再び西の丸に集め、『6月21日出陣』と発表をした。

さて、この命令を皆が承り退出するとき、山内一豊が藤堂高虎に囁きかけた

「今度の上杉征伐だが、奉行達が連署で、少なくとも年があけるまで引き伸ばすべきだと諌めたのに
徳川殿はそれをお聞きになられなかった。どうして奉行達を無視したのだろう?」

高虎これに答える
「徳川殿が奉行の提言を無視したのは、ご深慮があるため、だと思う。」

「ご深慮?」

「先ず第一に、国に叛臣がある時は素早く兵を出して、敵の準備が未だ整わないうちにこれを討つものだと、
これは昔から言われていることだ。

第二に、反乱者の退治が遅くなれば、相手に城の備えを堅固にし兵を多く集め、兵糧を備蓄する
余裕を与えてしまう。そうなってしまえばこれを攻めても非常に時間がかかることになる。まして年明けまで
待つなどということをしたら相手に万全の備えをさせてしまうだろう。

第三に、連署を出した奉行連中の中に、景勝と親しい者が多い。このため徳川殿は、さてはわざと
上杉討伐を引き延させて景勝に籠城の準備をする余裕を与えようとしているのだ、と察したのかもしれないな。

第四に、景勝が謀反を起こしたのには、彼に同調する勢力があるためだと考えるべきだろう。
これは時間が立てば立つほど多くなるに違いない。しかしその勢力が未だ少ないうちに討伐すれば、
同類の輩は動きを自重し大人しくするだろう、と考えられたか。

そして今回、再び諸将を集めて軍議を行われたのは、その中に景勝への同調者がいれば、そいつはきっと
軍の出動の遅延を申し立てるであろうし、そうでなくても顔色や雰囲気からそれが見えてくるものだ。
このようにして徳川殿敵味方をざっと判断して、その上での計策があるためであると、拙者は考える。」

「なるほど…。所で前の軍議の時堀監物が『会津の背灸と言う場所は大変な難所なので充分に気をつけなければならない』
と言ったのを、徳川殿は気に入られない様子であった。あれはどういう事であろうか?」

「ははは、説明するほどの事でもないさ。背灸と言えば奥州第一の険阻であり、一人動けなくなるとそれに続く万人が
進めなくなる、なんて事は、みんな知っている話だ。だから、みんなそれを見ないうちから心を重くしているのに、
実際に現地を案内する堀兄弟が『切所です!難所です!大変なんです!』なんて言ったせいで、
あの時の座の面々の顔を覚えているか?みんな青くなってた。徳川殿はそれを悟って、勇を励ますために
堀を叱り飛ばしたのさ。良将の知恵という奴だな。

かつて故太閤が徳川殿のことを『あいつは軍慮の知識だ』なんておっしゃっていたが、あれはこの事なのだな、と思ったよ。」

「ふむ。そう言う事か。
…ところで佐渡守(高虎)、徳川殿は、天下を取るか?」

高虎たちまち笑い出し
「おいおい、壁に耳ありというではないか。そんなことを話していたと聞かれたら、どう噂されるかわかったものではないぞ?
だがな」

高虎、一豊の傍で小さく囁いた
「みんなそう思っているだろ?(誰も斯くこそ存ずる)」


会津征伐出陣前の、藤堂高虎と山内一豊の会話である。

925:人間七七四年
10/05/13 16:42:10 It/j1a14

永禄三年の桶狭間の合戦の際。
圧倒的な戦力を持ちながら総大将今川義元の戦死という形で敗北した駿遠三三国の
軍勢。

大高城で義元の死を聞いた松平元康も岡崎城への撤退を始める。
すなおに東海道を東へ帰ればいいモノを、何故か母、伝通院を頼って知多半島を南
下。そこから海を渡って岡崎へと逃れたという。

が、如何に縁者とは言え、水野家や久松家の立場もある。
落ち延びていく軍勢に救いの手を差し伸べるワケにもいかない。
元康一行は現在の半田市の辺りで空腹のあまり立ち往生してしまう。

そんな時、ある農家の軒先に吊るされた「あるモノ」を元康が見つける。

「あれは何だ?」
「あれは煎餅でございます。ああやって干したモノを焼いて、煎餅として食してい
るのです」

家臣が答える間もジッと煎餅から目を離さない元康に、農家の娘はビクビクとしな
がら声をかける。

「……まだ乾ききっておりませんが、今、焼きましょうか?」

「いや、よい」

うんうん、そこまで飢えてなかったか。痩せ我慢が出来るならまだダイジョーブ。
と、家臣達が思った次の瞬間。

「焼くヒマも惜しい。アレをそのまま貰えぬだろうか?」
「はぁっ!?」
「……と、殿!?」

慌てた家臣が止める間もなく、元康は生のままの煎餅を、美味そうに頬張ってしま
った。
それどころか、その味が気に入ってしまったのか、自分が半田に来た際には生のま
まの煎餅を献上してはくれぬだろうか、とまで百姓達におねだりする有様。

「生せんべい」は現在でも半田市の名物として販売されている。


出典?生せんべいを販売している店のサイト。www
検証スレに出しても絶対史実とは認定してもらえないし、そもそも僕自身が史実と
は思ってないが、こんな話は投稿しちゃいけないんでしょうかぁ?

926:人間七七四年
10/05/13 17:32:46 b2phG6Jb
生せんべいがうまいのかまずいのか
そちらの方が気になる

927:人間七七四年
10/05/13 17:58:36 96I+LN2k
>>924
一豊は本当にこんなすっとぼけた人だったのか、それともそういうキャラで探りを入れてたのか・・
後者なら食えない人だなあ

928:人間七七四年
10/05/13 17:59:14 j3QJ/FfD
一豊さん半端ねぇwww
高虎さんも一豊さんだからこそ最後の台詞になるんだろうなw

929:人間七七四年
10/05/13 18:21:59 j/ZRC8d6
>>924
その話、一豊の最後のセリフが無い以外は
まるまる同じ内容で、会話の相手が高虎でなく
大谷吉継のバージョンのもあるな(名将言行録)
どっちが先に出来たんだろ

930:929
10/05/13 18:25:38 j/ZRC8d6
間違った、

×一豊の最後のセリフ
○高虎の最後のセリフ

931:人間七七四年
10/05/13 18:35:13 UWlMUA86
>>929
924は「古今武家盛衰記」に載っていたもので、古今武家盛衰記は寛文(1661~1672)の頃の
成立だそうなので、こっちのバージョンの方がほうが先でしょうね。

932:人間七七四年
10/05/13 18:36:09 lsD1229N
濡れせんべいってのもあるから、意外に食べれるものかもしれない。
でも、味気なかっただろうな。

933:人間七七四年
10/05/13 18:42:01 PEqFGfUj
一豊は堀尾さんの城献上案を横取りするほど腹黒いからな。

934:人間七七四年
10/05/13 20:08:52 ufwJm/+3
「この母にして……」

このスレでも何かと話題の初代紀州藩主頼宣さんの少年時代の話。
昼になってもまだ朝顔が咲いているのを見つけ、母・お万の方に手紙と一緒に贈った。

頼宣「朝顔が昼になってもまだこんなに元気に咲いてますよ。どうぞ御覧になって下さい」

これに対するお万の返事は……

お万「朝顔の贈りもの、ありがとうね。人間もこの花のようなもの。的確な養生をすれば短い生命も長くなるというものです。
   これを忘れないように。家や国というものも、この心で見れば長久を保つことが出来るのですよ」

朝顔一つでも家や国家についての説教に変えてしまう。これが賢母というものであろうか。
こんな母からどうしてあんなにヤンチャな子が……と思ったら、彼女自身がとんでもないことをやっていた。
小田原の陣。上総勝浦城主正木左近大夫頼忠の娘であった彼女は、落城の際に海に面した50m近い断崖絶壁に布を垂らして、
それを伝って海上脱出に成功したのだという。しかも弟や母を背負って……当時14歳。(10歳説もある)
単純に15階位のマンションから布を伝って脱出するようなものだ。
史実としては辻褄が合わない点も色々あるが、現在でもそこは観光名所であり、この伝説が掲示されている。
色んな意味で、戦国の女はやっぱりすごい。

935:人間七七四年
10/05/13 21:11:35 tSZ9c/c7
>>924
背あぶり山には秀吉が奥州仕置きの際通ったと言われる関白平という場所があってなかなか見晴らしがいいです

936:人間七七四年
10/05/13 23:36:12 B1gok89Y
>>926
ういろうっぽい味だったよ

937:人間七七四年
10/05/14 18:40:09 j+CHyr3B
うん、半田の生せんべいは甘ったるい。

938:sage
10/05/14 20:49:28 X4nhv7+C
戦国の女は凄いの流れに乗って 久々に投下

「身代わりの侍女」

1600年(慶長5年)7月 石田三成挙兵に 派手な方の加藤家・黒田家などが 無事脱出したのは このスレ住人なら周知の事実
だが逃げ遅れた家の中に島津家も いた
8月に本国にいる義久が西上し 亀寿と人質の務めを交代しようと云う話があったが
8月は 関が原前哨戦がドンパチやってて とても義久が行ける状況じゃない
妙案が浮かばないまま 関が原本戦当日となり西軍が敗れる

敵中突破な無茶をやらかしたので 大坂の島津屋敷には義弘戦死の誤報が届いた
これを利用しない方はない
義弘の葬儀のためと 豊臣家に帰国を願い出る
豊臣家は もちろん承知。だが許可したのは義弘夫人だけで亀寿には帰国の許可が出ない
そこで義久系家臣の重鎮であり家老の平田は 時代劇定番の侍女を身代わりにするというベタな案を思いつく

「私が御上様の身代わりになります」
と名乗り出たのが 大田於松だ
大田家の息女で 慶長年間より侍女となった この時22歳

9月19日 義弘夫人と侍女の扮した亀寿と どういう経緯が書かれていないが秋月種長夫人が同行し
「義弘の葬儀のため」に大坂を出て 薩摩へと帰国の途に着く

9月22日に西宮で ボロボロになった義弘・島津勢と義弘夫人・亀寿・秋月夫人が合流する

一方、侍女の於松は 身代わりの大役を果たした後に 大坂城下の混乱を利用し自力で脱出し
この西宮で 一行に追いつき合流している

彼女が どのように機転を利かせたかは 元ソースには記載されていないが
於松は 身代わりの功績で後日 300石の知行を拝領している

彼女は生涯独身だったらしく300石は 於松の死後、弟が相続したそうだ

その後 島津一行は 完璧武将 立花宗茂と偶然出会うが
宗茂が島津義弘を助けたのは 義弘一行に夫人たちが いたからかもです

ソース 国分衆・町田氏正統家譜より




939:sage
10/05/14 21:08:08 X4nhv7+C
>>938

間違った「町田氏正統系譜」です
さくざさんに叱られて来ます。。。

940:人間七七四年
10/05/14 21:19:11 SWbhYFLV
干して軽く炙って食えば美味そうじゃね? > 半田の生せんべい

941:人間七七四年
10/05/15 02:10:34 2PQE5YSW
鮭様と夜泣き力士

秀次事件で処刑された愛娘の為に義光は天童の名刹専称寺を
駒姫の為に勧進した。

移築には多くの人足が集められ、本堂伽藍には名匠左甚五郎によって
梁を支えるまわしまで締めた「力士像」も作られた。

落成が終わり義光が山形城に戻り仮眠をとっていると
夢の中に今詣でてきた専称寺が出てきた。

でも、なにかおかしい・・・

境内で力士達が相撲をとっているではないか!?

義光「・・・ここ、駒姫の菩提を弔う菩提寺だよね?なんで相撲をとってるの?」

力士達「いやぁ、屋根を支えるのって意外とヒマで大変なんですよ~」

義光「!?!?」

何度か同じ夢を見るにあたり義光が専称寺に足を運んだところ、
成程、確かに伽藍の四方で夢に見た力士像達が屋根を支えていた。

次の夢に力士達が出るに当たり義光は静かに切り出した・・・

義光「お前たちは駒姫を魔から守る為に作られたんだよ?
その役目も果たせないなら・・・釘で足を固定して持ち場を守ってもらうか・・・
真面目に働くならそんな事はしないけど、
もし役目を果たさず相撲をとってるところを見たら次は種子島で撃つよ・・・」

以降専称寺からは夜な夜な力士像達の屋根の重荷に耐える「アッー!」と啼く声が聞こえたという。

*「出羽に伝わる昔話」より(「夜泣き力士」にはいくつか違う種類の昔話が伝わっております)

942:人間七七四年
10/05/15 02:17:48 5PYrpSlw
奥州仕置にて、大谷吉継・木村重茲が出羽仙北の検地を行った際に、
大谷配下の代官が農民を斬り捨てたことなどに反発して大規模な一揆が勃発した。
このとき上杉勢も奥州仕置に駆り出されており、吉継の要請を受けた景勝は
鮮やかな速攻で瞬く間に一揆を鎮圧し、吉継も大いに感嘆したという。(大谷吉継此軍謀ヲ感シケル)

そして後日、上杉勢の在陣する大森城へ吉継を招くと、景勝曰く
「こないだの一揆起きた件、あれな、思うにやり方が手ぬるいせいじゃないの?
 このままにしとくとまた絶対似たようなこと起きるよ。
 というわけで、武士だけといわず商人から百姓まで、分け隔て無く人質を取るのがいいと思うんだけどどう?」
(頃日川津良 山田 益田等一揆ノ蜂起 想フニ号令ノ軽キ故ナルヘシ
 後日ニ至テモ如何有ヘシ 然ラハ諸士 商客 百姓等マテ差出タル者トモヨリ証人ヲ出サスヘシ)

これには吉継も同意し、4歳から65歳までの老若男女、実に20人を超える人質を得、
大森の周辺に番人を置いて見張らせた。
以降、さしたる騒動もなく出羽仙北の仕置は滞りなく完了したという。
(出典:景勝公御年譜)

二代目さんはさすが伊達に領内で何年も苦労してないなと思わせる話。
この辺の記述は一揆やら検地やらでてんてこ舞いのはずなのに、妙にほのぼのしてて和むw

943:人間七七四年
10/05/15 02:32:38 EUKW/W+r
武士商人百姓老若男女あわせて20人って
少ないな…と感じるのは感覚が麻痺してるんだろうか。

944:人間七七四年
10/05/15 02:44:12 2PQE5YSW
鮭様と下美作(しも みまさか)

慶長出羽合戦後、志村光安の計らいによって上杉旧臣・酒田大川の下吉忠が
最上幕下に加わった。
吉忠の従兄弟の下美作もその一人。
ただ、美作は内心志駄義秀と量り、越後・米沢へ帰りたかった様である。

中野陣屋で義光は下吉忠と面会したが、その席には美作も同席した。

義光「今回は最上家入りを了していただいて感謝しております。
酒田に関しては今は貴方の方がお詳しいでしょうから
まずは兵2000と兵糧、それに楯岡と志村もお使いください。
まずは家禄で5000石、いずれは1万石で大川城代の職を見ては頂けないでしょうか?」

内心義光を「謀将、敵将」としてしか見ていなかった下一族はこの義光の一言に涙を落として
感動したという。

下一族は庄内の上杉旧臣を交渉、戦闘によって平定し、
下吉忠は大川城持ち、下美作も数千石を領し最上家の為に尽くしたという。

「余目余記」最上傘下の下美作の項には「下美作被贈鮭」(下美作鮭を贈られる?)の文がある事より
最上色にどっぷり?漬かったことが受け止められる。

945:人間七七四年
10/05/15 03:17:57 5qziDoic
吉継くんでもヘマするんだ~ ってのが一番の感想なんだがw


946:人間七七四年
10/05/15 03:47:43 KSiGjJLq
>>944
こいつも鮭か!!鮭ネタにホント事欠かないね最上は

947:人間七七四年
10/05/15 04:56:38 HSGfVX0n
突撃!最上の朝御飯!!

慶長出羽合戦、直江軍と対峙していた時の鮭様のご飯の内訳

・白米
・豆
・香枝
・胡桃
・松
・栗
・柿

白米は消化が良いから
他は豆(マメ=元気)に香枝(かえって)胡桃(来る身)松(待つ)
勝ち栗
勝ち=柿を掛けたらしい。

鮭?
今回はちょっと見つからなかったorz

948:丼
10/05/15 05:56:56 HSGfVX0n
歴史の寄り道

最上軍の戦力は?

慶長出羽合戦で現在考証されている兵力は
直江軍18000~25000
最上軍7000(内2000は小野寺勢と対抗)
伊達軍3000
くらいではないかと言われている。

ただし最上軍5000の内
畑谷城350
長谷堂1000と推定されているため
最上義光直参は約3500余

伊達の援軍は終始小白川(現在の山形大学~山形南高付近)で
眺望していた為に実際の
上杉と最上の兵力差は少なく見積もっても約4対1

最上家には火縄銃2000があり、その大半を長谷堂に運び込み、
最上流(日置流へぎりゅう?)鉄砲術(一人が打ち、
後方何人かが撃った人間に弾込めの終わった銃を渡していくという
変則的三段撃ちの様な形態)を採っていたといわれる。

関ヶ原の敗戦で撤退する直江軍を最上軍は殲滅出来なかったと
言われるが、1人で4人を相手取る様な戦いに殲滅戦を行えるはずもなく、
半日で十数回、数Kmの範囲に渡る大激戦が繰り広げられた。

政宗に「最上の兵が弱すぎて」と手紙にも残される戦いだが
最上側では「味方の戦死者623人敵の戦死者1580人」
上杉側は「敵の戦死者2100余り」とするこの戦いの元の兵力さも考えてほしい。

949:人間七七四年
10/05/15 07:03:09 rctcm5mW
寄り道っていうかスレチだわな

950:人間七七四年
10/05/15 09:05:24 oNCzHPjV
>>941
これって、力士の像を脅迫した悪い話の気が…

951:土井利勝
10/05/15 12:48:51 WvQmC/3f
「人物はよほど親しくならないと分かるものではない。
玄関で見た来客をたいしたことはないと思っても、書院でじっくり話すと見直すことがある。
その時に見直さなかったとしても、居間で話をしてハッとさせられることだってある。
つまり、人間は少しの印象だけで判断できるものではない。

……とはいえ、やはり玄関先の印象を良くすることが一番大事なことだ。
玄関先から書院に通して話す人など十人中、四人か三人、居間ともなれば一人いるかどうか。
見直されるような人物でも玄関で終わっては意味がなかろう?特に若者は心に留めるがよい。」

952:人間七七四年
10/05/15 13:15:03 /n6j8nFy
至言だ

953:人間七七四年
10/05/15 15:38:09 Z4aPjvNI
>>950
娘を思う良い話とも

954:人間七七四年
10/05/15 15:55:07 Z4aPjvNI
>>951
鮭延秀綱「若者でないのですが、預かり身のワタクシは?」

955:人間七七四年
10/05/15 19:08:40 Jz9RsHjR
>>951
お~、オレもこう思ってるんだよ。
よくさ、人は見かけだけで判断するもんじゃないっていうけど
見かけでもよく見られたほうがいいわけじゃん

オレはいつもそれをうまく説明できなかったんだけど
土井さんのこの言葉なら誰でも分かるな
さすがに歴史に名を残す人は違う

956:人間七七四年
10/05/15 19:59:59 WQrrrjwg
長谷堂城を攻めていた直江兼続の軍が、関ヶ原での西軍の敗北を聞き撤退を開始。その時のことである。

上杉景勝家臣の小田部大学という者が直江兼続に向かい
「直江殿、私は伊達政宗の家臣、石川弥兵衛に言いたいことがあるので、少々陣を離れても宜しいでしょうか?」

これに兼続
「なんだか良く解らんが、何か考えがあるのだろう。まあ、良いだろう。」と許可した。
小田部は大いに喜び、門田と言う所までただ一騎駆け帰り、伊達軍の旗の見えるところまで来ると馬を止め、
大声で呼びかけた

「私は上杉景勝の郎党、小田部大学というものである!伊達殿のご家中である石川弥兵衛殿に対面したい事があって
ここに罷り来た!」

これを聞いて石川弥兵衛、これも一騎伊達軍の中から出てきた
「石川弥兵衛である!何事か!?」

「おお、石川殿か!私は今度の合戦での、お主の武勇の程に大いに感じ入った!
お互い知っての通り我らは撤退するが、次の合戦の時には是非相見えんと思い、ここに暇乞いに来た!」

石川、これを聞いて吹き出した
「あっはっはっは、上杉殿のご家中に武勇の士は多いと言っても、小田部殿の働きは特に目を驚かせていたので、
機会があればぜひ対面したと考えていたのだが、いやはや、はるばるここ迄、ただ一騎敵の中を帰ってくるとは、
まさしく日本無双の剛士である!」

「では、又会おう!」
「また、戦場で。」

そうして小田部は再び、上杉勢の元に戻って行ったと言う。

厳しい戦場における、勇者同士のエール交換であった。


957:人間七七四年
10/05/15 21:08:40 JVnlT+ew
一瞬、アッー展開かと思ったが、純粋にいい話だね

958:人間七七四年
10/05/15 21:56:57 J3S04hwy
互いにいつか手合わせする日を思い描いて(股間の)槍を扱くのであった
で、どうだ?>>957

959:人間七七四年
10/05/15 22:38:32 JVnlT+ew
無理やりしなくていいw

960:人間七七四年
10/05/15 22:58:09 +kJ9pxKT
地元民だが、「門田」の現在地名は「門伝」だと思う。
直江が登ったものの霧で山形城が見えなくて「こりゃ霞城だろ」って文句言った富神山の麓らへん。
上杉の陣がある菅沢山から直線で1.5kmくらいだが、当時の悪路ならもっとあるはず。
そこを単機駈けって小田部半端ないわ。

961:人間七七四年
10/05/15 23:01:16 WwPs8c76
>>956
「山形県史」「山形市史」「仙台市史」に慶長出羽合戦で
伊達勢が関ヶ原敗戦が分かるまで戦った表記は一つもなく
「静観」「傍観」していたまたは「笹谷から撤退する準備」や「折あらば上杉勢より先に山形城に侵入しようとしていた」といったものしか見受けられないんだが。

962:人間七七四年
10/05/15 23:21:12 WwPs8c76
>>956
『武辺咄聞書』第106話〜第110話
109酒井讃岐守忠勝家来杉原彦左衛門物語に、

政宗は前方に仙台を出、国見峠を越し、信夫郡瀬の上の川を渡り、小山に陣城を構へ被居候に付、四月廿六日の曙に二万計にて小山打立。但柴田小平治・中目大学・石川弥兵衛等五千を分け、簗川の城を押へ、政宗は一万五千にて松川へ取掛る。

山形じゃないんじゃないか?

963:人間七七四年
10/05/15 23:37:45 9kreQnm0
>折あらば上杉勢より先に山形城に侵入しようとしていた

信長の野望で援軍頼まれた時は、常にこれ狙ってやってたw

964:962
10/05/15 23:44:48 WwPs8c76
すまん、中身見てなかった
962は奥州仕置きだ。

でも柏倉門伝から留守軍居留地(小白川)まで山形城の二の丸南側突っ切るし、
軍の配置的にも距離的にも無理な気がする。

965:人間七七四年
10/05/16 00:04:14 HebH+NWn
ID:WwPs8c76

【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
スレリンク(sengoku板)


966:人間七七四年
10/05/16 14:05:58 EUKL1v67
「…オレはありがたい事に、名君・義久公の実弟として生まれ、ガキの頃に自分から進んで戦場に身を置いた。
(予、辱(かたじけな)くも義久公之舎弟と為り、少之時自ずから身を弓箭之事に委ねる。)

わが島津家が、始めは周囲の国を懐柔してきたが、後に関係が危うくなり、他家と対峙せざるを得なかったからだ。
主命を奉じてからは、幾度も危険な山野を駆け抜け、数十年の間、まともな屋根のある家で休む事は少なかった。

おかげで東に戦い、西を討ち、日本国中を甲冑を着て巡り、ついには数年間、朝鮮にまで足を運んだ。
しかし、そうしてオレが敵を斬り、功を立てた事により、今の世に及び天下泰平、国家安寧の時を迎えたのは、
オレにとって実に生前の本懐、死後の名誉ではある。」



島津惟新入道義弘、「鬼石曼子」と呼ばれた猛将晩年の、自信に満ちた独白である。

967:人間七七四年
10/05/16 14:34:41 Whm/VX48
辞世の句はなんか寂しいのになぁ

968:人間七七四年
10/05/16 21:03:20 hUh25fK5
中村一氏は秀吉の最も古くからの家臣の一人であり、様々な戦いに参加し、武功を挙げてきた。
小牧長久手の戦いの際に雑賀・根来衆の一揆から岸和田城を守り抜いた功により、翌年には近江水口城主となり、従五位下式部少輔に叙任される。

一氏は秀吉の家臣団の中でも、とくに武勇に優れた人としてその名を知られていた。
賤ヶ岳七本槍の一人・加藤嘉明などは、一氏の武勇にあやかりたいと思って、息子の明成を式部少輔にしたほどであった。


しかし、式部少輔を受け継いだ加藤明成という人物は、どうにも評判が良くない人物であった。
家臣団と対立し、度重なる城郭改築からくる財政難のために圧制を敷き、民から金を巻き上げていった。

それもただ金銀を集めるのではなく、彼が集めたのは一分金ばかりであった。
人々は官名の式部少輔に引っ掛けて、加藤一分殿と揶揄したという。



式部少輔にまつわる、中村一氏のいい話と加藤明成の悪い話。

969:人間七七四年
10/05/16 22:34:10 InM/dQp8
『旧悪』

年末・・・

「秀忠さま、年末ですし○○に一時米でも賜れてはいかがでしょう」
○○とは徳川秀忠の近臣で、罪あって禁固処分を受け、許された者だった。

「何を言うか。一時米なんて言わずに旧禄の通りにせよ。処分が済んだ以上、奴の罪は消えている」
秀忠の一言で○○は没収された本領を返された。

970:人間七七四年
10/05/17 11:55:58 psMffXJB
秀忠信賞必罰徹底してんなー。
罰を受けたらそれでもう終わり!とまではなかなか言えん。

汚点でどうのとかそういう考え方ないのはすばらしい

971:人間七七四年
10/05/17 16:12:56 Wd8fOo9W
売りサイン出たなう。1.2312S

972:人間七七四年
10/05/17 16:14:14 Wd8fOo9W
すまん誤爆・・

973:人間七七四年
10/05/17 16:16:57 oERtTxGs
秀忠は乱世なら凡庸な君主で終わっただろうけど
凡人では到底及ぶことのできない何かを持っている。
家康の後いきなり家光だったら徳川家やばかったんじゃないか?

974:人間七七四年
10/05/17 17:41:07 gsvWZv3p
土井や智恵伊豆などがいてもダメか?

975:人間七七四年
10/05/17 18:03:56 audqh4y4
そろそろ次スレ立ててみる

976:人間七七四年
10/05/17 18:06:47 audqh4y4
ダメだった。誰か頼みます

↓スレタイ

戦国ちょっといい話20

↓テンプレ

戦国のホロリとくるエピソードを挙げていこう

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このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
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逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
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977:人間七七四年
10/05/17 18:09:56 HohRl8kQ
じゃあ、立ててみるよ


978:人間七七四年
10/05/17 18:11:54 HohRl8kQ
うわ、俺もダメだった。誰か頼んだー


979:人間七七四年
10/05/17 18:15:18 MNzX+Pxz
では某が

980:人間七七四年
10/05/17 18:18:03 MNzX+Pxz
立ち申した

スレリンク(sengoku板)

当スレを消費後にお使いくだされ

981:人間七七四年
10/05/17 18:36:09 QiygHxhx
>>980
忠孝、大儀である

982:人間七七四年
10/05/17 18:41:26 psMffXJB
>>980
天晴れなスレ立てである。
卒のない仕事振り大いに感じ入った

ささ備前より取り寄せた茶を一服…

983:人間七七四年
10/05/17 18:52:24 KHzDgzAH
いや、>>980殿
何とも見事なスレ立てで
まこと感服つかまつりました
備前殿の茶もよろしいが

こちらに東国より取り寄せた鮭もございますぞ

984:人間七七四年
10/05/17 19:11:44 audqh4y4
>>980
乙です。埋め替わりに

永禄11年(1568)、毛利元就に通じた立花城主、立花鑑載による大友宗麟への二度目の反乱は
戸次道雪らの活躍により鎮圧。降伏した立花鑑載は処刑された。

さて、その首を宗麟が実検したときのこと、鑑載の首は宗麟の前に出されるととたんに目を見開き、
宗麟を睨みつけたのだ。
しかしこの時宗麟は慌てず、こんな歌を詠んだ

『立花は 昔をとこになりにけり うひかふり(初冠)する心地こそすれ』

意味は「立花鑑載よ、こうして対面して私は、昔お前が元服して、初めて冠を被った時を思い出す。
その時の気持ちがよみがえるようだ。」と言うことであろうか。

これを詠むと、とたんに鑑載の首は動き出し、再び目を閉じた、との事である。

985:人間七七四年
10/05/17 19:15:55 UGL5nTc7
>>984
宗麟は和歌の腕は一級品だよな
キチガイだけど

986:人間七七四年
10/05/17 20:26:45 xdSlzRtG
久々に鮭ネタが出ていたので、埋め替わりの動画紹介
URLリンク(www.nicovideo.jp)

この動画、このスレ覗いてるやつが作っただろ

987:人間七七四年
10/05/17 20:44:55 jOWnqalp
>>986
こwれwはwww

988:人間七七四年
10/05/17 22:19:44 8yHZonb5
いい話だ

織田信孝は1582年に四国征伐の総司令官に任ぜられ、織田氏の宿老・丹羽長秀や従兄弟の津田信澄らを付される。
堺にて渡海の準備の最中に本能寺の変が勃発。
しかも逃亡兵が相次いだため、積極的な行動はできず、
従兄弟の津田信澄を殺害した程度である。
その後摂津国富田で「中国大返し」後の羽柴秀吉軍に合流、名目上は総大将として山崎の戦いに参戦し、仇である明智光秀を撃破した。

清洲会議では信長の弔い合戦の総大将であったにも関わらず、その存在は羽柴秀吉によって無視され、
織田氏の後継者は信孝の甥の三法師に決定し、信孝は三法師の後見役として兄・信忠の領地であった美濃国を与えられる。
その後、織田氏宿老格の柴田勝家・滝川一益らと結び、
同年12月、三法師を擁して秀吉に対して挙兵する。
しかしこの挙兵は秀吉の迅速な行動によって降伏せざるを得なくなり、降伏して人質を出し、三法師を秀吉に引き渡した。

翌、1583年、賤ヶ岳の戦いが起きると、信孝は再度挙兵する。
しかし同年4月に居城の岐阜城を包囲され、頼みの柴田勝家も北ノ庄城で自害すると開城して降伏した。
信孝は尾張国知多郡野間(愛知県美浜町)の大御堂寺(野間大坊、平安時代末に源義朝が暗殺された場所)
に送られ、迫られて自害した。享年26。命日は4月29日(西暦6月19日)と5月2日(6月21日)の二説がある。

辞世の句は「昔より 主を内海の 野間なれば 報いを待てや 羽柴筑前」(「内海」を「討つ身」とかけている。
信孝の秀吉への激しい怒りが感じられる句となっている)。
この辞世が現実のものとなるのは、それから32年後のことであった。

989:人間七七四年
10/05/17 22:42:11 T4zJhiYo
>>986
おまけが難易度高すぎるだろ・・・w

990:人間七七四年
10/05/18 00:05:19 n9GgBHUx
>>984
伊勢物語にひっかけてあるんだね
「昔をとこ」は伊勢物語の常套句だし、「初冠」は最初の章の話題だし
立花、お前も最初はあんないい男だったじゃん、てことなのか

991:人間七七四年
10/05/18 00:08:22 bo2SKpDY
>>973
なんとなくだけど、家康の後、すぐ家光だったら、
家光の代は大丈夫でもその次がヤバくなりそうな気がする。

992:人間七七四年
10/05/18 00:17:58 BXJX2/Bd
家光はいかにも戦争を知らないナチュラルボーン将軍だから、二代目はあり得ないんじゃないかなあ

993:人間七七四年
10/05/18 00:20:11 Gyf7WKsp
家康のあと、信康や秀康でもなんか秀忠のようにうまくいったとは思えない。

994:人間七七四年
10/05/18 00:23:21 8S03LsYD
大坂の陣まではその分家康が苦労することになったけどねw

995:人間七七四年
10/05/18 08:13:48 iwHeB8Gr
現代の企業訓における初代が創業、二代が守成云々は徳川幕府を意識してるんだし
逸話的にはともかくトータルでは評価されてる人物だと思う>秀忠

996:人間七七四年
10/05/18 09:32:40 7ka7HR3N
>>988
ごめん。
どの辺が「いい話」で、どの辺が「逸話」なんだ?
ただ織田信孝の概略を書いているだけじゃねーか。

997:人間七七四年
10/05/18 10:32:17 H6s7wqlo
疑心暗鬼に陥って娘婿という理由だけで、有能な信澄を殺してしまった上に
知性の欠片も感じられない辞世の句を残したことにされた悪い話ですね分かります

998:人間七七四年
10/05/18 10:50:05 5j5bImY6
>>995
徳川幕府は日本の組織史上でも最高の成功例だからね。

>>996
その人いつもそんなのばっかり投稿してる人。スルーした方がいいよ。

999:人間七七四年
10/05/18 15:33:42 zBtyv3Ar
辞世の句関連で秀吉への復讐が果たせたよ!という文をわざわざ探してきたのに、ふざけたこと書かれてむかついた

1000:人間七七四年
10/05/18 15:35:18 zBtyv3Ar
久々に真剣に腹が立ったので、サイトから無断転載しまくって逸話を全部なくしてスレ終了させる

1001:1001
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      /    `ヽ、
      ー┬―─‐ァ
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   /  秀家    ゙ヽ:::::::::',   ごくろう。このスレはみごと統一された。
  ゙|゙゙゙'''   ‐‐''""'  ';:::;r==,、  さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
.  |エi> ,'  イiエ>  レ'゙,r .,l }  
  i.  /         Y./ノ   さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
  l  {  .、          /      
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