戦国ちょっといい話19at SENGOKU
戦国ちょっといい話19 - 暇つぶし2ch750:人間七七四年
10/05/07 22:33:05 w9CJUEBm
うちの田舎ではホトトギスの鳴き声は縁起が悪いといわれている
啼くと死人が出るとか

751:人間七七四年
10/05/07 23:38:35 gEfAntk6
中国の故事とかでは
国に帰れなくなった男が彷徨う内にホトトギスに変じ、
そのうち国が滅びたのを聞いて嘆き悲しんで血を吐いて死んだ、的な逸話があって、
また鋭い鳴き声をあげるのと口の中が赤いので血を吐いた連想をするとか、
トイレの中で鳴き声を聞くと死ぬとか、ホトトギスの逸話や伝説は不吉なものばっかりです。
冥界を行き来すると言われ魂迎え鳥の異名を持つ、ってのは
前にここでも紹介されてましたね。

しかし日本では古来から鳴き声を珍重されてきました。
数々の和歌や文学にも登場しますし、あまり嫌われていた印象はないですね。
個人的な印象として、不吉な逸話は中国発祥のものが多いんじゃないかという気がします。


752:人間七七四年
10/05/07 23:52:54 wvu1VWtG
夜のホトトギスが縁起悪いと言われてる
昼はそうでもない

753:人間七七四年
10/05/08 00:31:40 9t+Hxlhp
そういえば、うつけバーのNOBUママは自分のホトトギスを…いや、なんでもない

754:人間七七四年
10/05/08 00:32:26 /dZK7o9L
鯖移転完了かな
URLリンク(iiwarui.blog90.fc2.com)の派生話ぽいですが…


大坂の陣が終わった後、所司代・板倉勝重のもとに訴人が現れた。
「伊勢大神宮の御師どもが関東調伏の祈祷をしていた!」というのだ。
彼によれば、大野修理から多額の謝礼とともに依頼があり、有縁の禰宜達が大勢示し合わせた上、
人形を造って将軍家父子を呪詛したのだという。
勝重は事実を確認すると、家康に厳罰を求めた。

だが、報告を受け取った家康は次のように答えたという。
「禰宜山伏の類が、金銭をとって祈祷をするのは当然のことだ。珍しいことじゃあるまい。
こちらがもっと銭を払っておれば、逆に秀頼を呪っておっただろ。
だいたい、やつら程度の手で転がるような運気で、天下がとれたらたまらんわ。
命はとらず、伊勢から追い払うにとどめろ」
こうして、神官達は所払いとなり、命は助かったという。  (老談一言記)

家康の苦笑が見えるようなお話。

755:人間七七四年
10/05/08 01:09:38 8QavOBgw
固い言葉を使うと
人を呪っても刑事罰の対象とはならないという判例を示したわけで
世界的に見ても先進的だったんではないでしょうか。

756:人間七七四年
10/05/08 01:38:47 MpZ9KUx9
方向寺の梵鐘に因縁つけた人とはとても思えませんなぁ~

757:人間七七四年
10/05/08 01:46:34 OmHIRbdi
>>756
あれは呪いじゃなくて「諱の無断使用」っていう、「非礼問題」だもの。
つまり家康の面子を潰した事件。だから家康も後の幕府も「証拠」をちゃんと残した。

758:人間七七四年
10/05/08 01:56:08 DhC6tBQA
>>751
国によって不吉だったり幸運を呼ぶといわれてる黒猫みたいだな

759:人間七七四年
10/05/08 08:37:38 WSenWaKF
>>757
家康「何か問題になってるようだけど、実際の所はどうなんだ?」
羅山「右僕射源朝臣家康は、家康を射るという意味です!呪詛です!」

家康「(呪詛なんか効果あるか、というか右僕射って右大臣の意味だろ・・・)何か問題は?」
五山の僧「呪詛なんかじゃありません。ただ、諱を避けなかったのは問題あるかと思います。無礼になるので、普通はやりませんし」
清韓(銘文作った人)「かくし題として、家康の名を使わせてもらいました。目的は国家長久です」

あらかじめ下調整して、幕府からOKもらわなかったのが悪いって説ね。銘文作った人も「偶然の一致です」と言い張れば
言い逃れはできたかもしれないとか

760:人間七七四年
10/05/08 08:52:39 vd1PsHSM
諱って中国ではともかく、日本じゃ問題にされないでしょ?
名前は全てオープンなんだし

761:人間七七四年
10/05/08 09:17:17 ZzDsg+Jv
>>760
尾張中村の農民の息子なら問題にならないだろうよ
 
超インテリ階級の貴族だったら…

762:人間七七四年
10/05/08 09:26:52 vd1PsHSM
超インテリ階級の貴族って誰のこと?

要は、家康も分かってない・気にしていないような事を、豊臣家潰しにうまく利用したって事でしょ
「諱」なんて概念は中国かぶれしか問題にしないよ

763:人間七七四年
10/05/08 09:38:43 l2heR1z0
確かに面と向かって口に出すのは非礼だけど、書状など字として使う分には特に問題はされていなかったな>諱
現代に残された書状を見れば判るけど、家康とか信長とか平然と記されている。

764:人間七七四年
10/05/08 09:41:27 WSenWaKF
言っとくけど、五山の僧侶の返事は「武家ではどうかは知らないけど、禅宗の世界では常識」という答え
幕府のブレーンには禅僧が少なからず居たり、武家とのつながりも大きいわけだし・・・逆説的には「中国かぶれ」は多かったことに

765:人間七七四年
10/05/08 09:42:51 ndRIiMyT
>>762
あの時代って尾張中村の農民の孫と超インテリの貴族が同じ人物を指す特殊な世界があったよね。

766:人間七七四年
10/05/08 11:16:25 OmHIRbdi
>>760
> 諱って中国ではともかく、日本じゃ問題にされないでしょ?

とんでもない。むちゃくちゃ気を使っていた。
公の場で、特に下の者が上位者の諱を言うのは公然とした侮辱行為であり、
合戦などで敵対する相手するような行為だった。

例えば、秀吉の弟の羽柴秀長の場合、信長の生前は信、長の諱にある
「長」の文字を下に持ってくるのは恐れ多いと羽柴「長秀」と名乗っていた。
これほど諱と言うのは扱いに細心さが求められた。

日本人が諱を気にしなくなったのは幕末くらいから。その辺の感覚の違いをきちんと頭に
入れておかないと歴史は理解出来ないぞ?

767:人間七七四年
10/05/08 11:21:52 ZzDsg+Jv
豊臣は当時日本のインテリ層だった貴族のトップ
方広寺は東大寺レベルの規模
その銘文を起草した人は漢文の造詣が深い
当時豊臣と徳川は微妙な関係
 
意図せずにやったとしたら相当なマヌケだろ


768:人間七七四年
10/05/08 11:22:09 k8og8OgH
>>766の言ってることが正しいな。
時代劇や歴史小説では、お互いをイミナで呼び合ってるけど現実にはありえない話。
イミナ問題についてはこれが分かりやすくて面白いよ。

やる夫で学ぶ「実名敬避俗」
URLリンク(version45.blog85.fc2.com)

769:人間七七四年
10/05/08 11:24:35 L385cJE4
私は貝になりたい

ある日、戸次(立花)道雪が家臣たちを呼び寄せた。
「おーい、お前たちも来て見ろ、珍しいものが届いたぞ!」
臼杵の浜から、海産物が大量に届いたのだ。鎧ヶ嶽の山城で暮らす戸次家の人々は、海の幸の到来を喜んだ。

道雪はさまざまな海産物のうち、ハマグリが盛られた台に目を止めた。
「おお、『耳白』があるな。」「?『みみしろ』、でございますか?」問いかける家臣に、道雪は答えた。

「そうだ。ハマグリの中でも形が整い、真珠のように白いものを『耳白』と言う。同じハマグリでもな、この『耳白』は
女子の遊びの貝合わせに用いるので、殻まで売り物になり、容れ物の桶でさえ結構な値がするものよ。
『耳白』でなくては役に立たず、他の殻はゴミとして捨てられ割られ、土に帰るのみ。

人も同じで、『耳白』を探すように見ていれば、才覚の一端が伺える者が必ずいるし、そうして取り上げられた者は
『耳白』が高値で扱われるごとく、良き働きをするものだ。

ただし、人は貝にあらず。『耳白』のように殻、すなわち上辺を磨くのではなく、心を磨くことが肝要だ。
一度武に志した者は、常に「こうであろう」と心を配り磨いてこそ、メシの種となるものよ。
今まで手柄の機会に恵まれずとも、事に慣れた者の武辺話など良く聞き、実践すれば、「利口者」と呼ばれても
非難されることはあるまい。それもまた、正当な立身の道である。」

770:人間七七四年
10/05/08 11:28:07 Sp2NLOgJ
>>769
>女子の遊びの貝合わせ
実際は神経衰弱的な遊びだということを理解していても
反応してしまう

771:人間七七四年
10/05/08 11:33:12 OmHIRbdi
ID:ZzDsg+Jvは申し訳ないが、思い込み以外のソースを出して欲しい。

実際には諱に関しては非常に気を使っていたことはそれこそ奈良平安の昔から確認されているし、
江戸期だともっと資料が豊富で、将軍や将軍世子、藩主や藩主世子が代わるたびに、
それらの諱に抵触する諱の旗本や藩士が、諱変更をした記録がいくらでも残っている。

日本人は、それも君の言う中国かぶれのインテリではなくても、一般に諱に非常に気を使っていた。
中国とは別の形でね。これは間違いない。

772:人間七七四年
10/05/08 12:32:39 2j08FwaJ
その話、終わったよ!(・∀・)

773:人間七七四年
10/05/08 12:37:24 oFR1Ig8q
>>769
嫁入り道具だと漆や金箔でゴテゴテに塗りたくられた上に
絵を描かれたようだし、白くなくとも形が良ければおkだったかもw

嫁といえばプロポーズが「名前を教えろ」だったんだよな大昔は
名前つか真名?

774:人間七七四年
10/05/08 13:25:35 HWAbs+JD
女には名前は一つしかないんじゃね?
名を名乗る事=支配下に入る事なんだろうね

775:人間七七四年
10/05/08 13:56:43 O07T2+xb
この前の合コンで、誰も名前を教えてくれなかったのはそのせいか

776:人間七七四年
10/05/08 15:17:46 QGo6TV9h
>>775
それはお前が…いやなんでもない

777:人間七七四年
10/05/08 16:29:25 l2heR1z0
諱については日本ではまったく気にしなかったわけではないが、中国と比べればたしかに軽かった。

あちらでは皇帝の諱を避けるために他人の名前は変える地名は変える。
他所の国の学校名に皇帝の諱が使われていたらその書状は受け取れない。

778:人間七七四年
10/05/08 17:18:09 aoz7PQJP
立花宗茂はなんであんなに変えたんだろうってぐらい変えてるな
本当に気を使うものなの?って思ったりしたよ >諱

779:人間七七四年
10/05/08 17:38:17 ioM235Ut
>>777
同じ意味の漢字が(発音違いで)ふたつ以上あるのもそのせいだとか。

780:人間七七四年
10/05/08 17:40:45 GkX4OATc
産女(うぶめ)という妖怪をご存知だろうか?
出産の際に死んだ妊婦の霊が妖怪と化したモノだといい、母ではなく赤子の霊をそ
う呼ぶコトもあり、ある時は鳥の姿で描かれるコトもある。
共通するのは「出産に纏わる亡霊」という一点のみで、姿も性質も様々。名前もそ
の時々で色んな漢字が当てられている。

室町から戦国に時代が移ろうか、という頃。
鎌倉の街中にこの産女が現れた。
血で染まった腰巻をまとい、赤子を抱いて川端にたたずむ。典型的な産女のパター
ンの一つである。

夜な夜な現れる亡霊の話を聞き、大巧寺の住職、日棟上人は産女の現れる川まで、
わざわざ会いに行く。

「今、鎌倉中があなたに怯え、不安に思っている。我が子を産み落とせなかった無
念は察するにあまりあるが、何故そのように化けて出てくるのだ」

上人の言葉に、産女は泣きながら答える。

「私は大倉の住人、秋山勘解由の妻です。出産に際して不運にも死んでしまいまし
たが、子供を思うとこの世に未練が残り、我が家へ帰ろうとこの川を渡ろうとして
いる所なのです。しかし、私が川に入ろうとすると水が汚い血と化し、渡る事が出
来ません」

上人が、共に亡くなった子供の為にも成仏すべきであるコトを説き、大巧寺で末永
く供養をしてあげるコトを約束すると、産女は納得したのか姿を消した。

数日後、約束通り産女の供養をしていた日棟上人の前に一人の女が現れ、
「先日のお礼としてお納めください」
と、包みに入った金を渡して立ち去った。

月明かりの下で見た血塗れの恐ろしげな姿からは想像も出来なかったが、まだ若く
美しい容姿のその女は、紛れもなくあの産女であり、秋山勘解由の死んだ妻であっ
た。

大巧寺では産女から寄進された金で仏塔を建て、お産の苦しみから女性を護る「産
女霊神」として彼女を祀ったという。
現在も鎌倉大巧寺は安産祈願の「おんめさま」として多くの参拝客が訪れている。



781:人間七七四年
10/05/08 17:43:36 GkX4OATc

室町か戦国か、微妙な時代の話をも一つ。
室町六代将軍、義教の頃、有名な僧侶として法華宗の日親が居た。

この日親、僧としての実績は申し分ないのだが、ゴリゴリの法華宗強硬派であり、
他宗派とは付き合わない、施しも受けない、馴れ合わない。他宗派の人間は全て悪
人、と言わんばかりの……日本版フロイスとでも言うべき人間であった。

ある時、将軍義教に直接面会出来る機会を得た。義教は足利氏一門の長であるから、
当然禅宗(臨済宗)の門徒である。
その義教に対して日親、

「土一揆やら後南朝の反乱やらと天下が治まらず、関東の情勢も不穏な様子が続い
ているのは、全て天下人である貴方に問題がある。具体的に言うと貴方は法華宗に
帰依していない!今すぐ我が宗派に改宗し、法華経の徳に縋って仁政を行うべきな
のです!」

ま、怒るよね、フツー。www
当然義教への面会禁止となり、布教活動も禁止させられる。

が、日親にしてみれば自ら信じる正論を述べ、天下泰平の為に唯一の道を示したの
である。だから彼は諦めなかった。
「立正治国論」を著し、禅宗や天台宗に基づいた政治を批判。あくまでも将軍が法
華宗に改宗するコトが天下の政道であるとした。

ま、怒るわな、jk。www
今度は面会禁止では済まなかった。逮捕され、持論の撤回を迫られた。

が、日親にしてみれば(以下略)

終いには拷問として真っ赤に焼けた鉄鍋を頭に被せられたが、それでも日親は屈す
るコトなく法華経を説き続けた。
幕府はこれ以上日親に口を開かせないよう、舌先を切り取った上で開放した。

この拷問の後、日親は四十年以上を生き、八十歳を超える長寿を記録している。
言葉を失ってからも日親は精力的に布教を続け、権力者に逆らい、他宗派に喧嘩を
売っていた。
その態度から他宗派のみならず、法華宗内にも敵は多かったようだが、何度投獄さ
れてもまた復帰し、僧としての名声を失わなかったコトを見ると、この「ゴリ押し」
も「毅然とした態度」として一定以上の支持は受けていたらしい。

ちなみに拷問の際に被せられた鉄鍋は頭の皮膚に張り付いてはがれず、生涯鍋を被
ったままだったと伝説には伝わる。
日親の名前は「なべかむり日親」「鍋被り上人」として信仰の対象にすらなってい
る。

明らかに悪い話だと思うんだが、日親の逸話は暴君の拷問に屈せず信仰と信念を貫
き通した名僧、というニュアンスで紹介されてるモノが殆ど。
後世で信仰の対象にもなっているそうなので、とりあえずコチラに投下しておこう
かな。

782:人間七七四年
10/05/08 17:58:05 OmHIRbdi
この人安土桃山に生きてたら、間違いなく不受不施派になってただろうなw

しかしどの宗教にも狂信者と言うのはいるものだけど、この手の
一種の社会運動家的な狂信性というのは、日本の仏教では日蓮宗以外には余り見られないな。

783:人間七七四年
10/05/08 18:06:03 6W4H8GaH
というより狂信者の受け皿が日蓮宗だったのでは?
他の宗派から始めてもそういう気質の者は弾かれそうだし

784:人間七七四年
10/05/08 18:09:40 dzNaUZ+4
>>778
本音はどうかは知らないが、みんなのアイドルな兄ちゃんも信幸→信之に変えてるね
通説的には、父親と同じ名前を捨てて、縁を切ったという意思表示ととられてるようだが

785:人間七七四年
10/05/08 18:35:59 M1chJv08
混交をよしとする日本の宗教にあって、日蓮宗は原理主義的傾向だったんだろね
どの世界にも原理主義組織は現れて、歴史上存在感を示す時期があるし

786:人間七七四年
10/05/08 19:33:01 DZkk3aOu
>>766
新田次郎の「武田勝頼」で、軍議中に徳川信康が酒井忠次のことを「忠次!」と呼び捨てにしていて、信康でも不謹慎(せめて雅楽頭と呼ぶべきであった)とコメントしている。

ということだから、やはり直接名前で呼ぶことは気を使うことだったかもしれない。
他のセリフでは結構名前で呼んでいるけど、これは小説の便宜上の問題なのかな。

787:人間七七四年
10/05/08 19:42:05 DZkk3aOu
>>786
追加だけど、忠次は左衛門尉で雅楽頭じゃないかもしれないが、小説のままカキコしました。

788:人間七七四年
10/05/08 19:43:13 DZkk3aOu
>>786
追加だけど、忠次は左衛門尉で雅楽頭じゃないかもしれないが、小説のままカキコしました。

789:人間七七四年
10/05/08 19:51:06 ztEV7xdm
大事な事なので二回言いました

790:人間七七四年
10/05/08 20:37:49 DNuLQUBW
>>777
そもそも諱の字を与えたり貰ったりする時点で中国の感覚ではないからな>日本

791:人間七七四年
10/05/08 20:44:13 DZkk3aOu
>>789
重複スマソ

792:人間七七四年
10/05/08 21:49:44 M3oVVTfC
>>777
当方愛媛県の出身だがたしか崇徳だか後鳥羽だかの諱と同じになるってんで地名を変えたところがあったはず。
共通点のある天皇だが、無論流刑になる前のことで祟るかどうかは関係ない。
戦国時代とは違うが諱を憚って変名するとか地名を変えるとかは日本にもあった。
ただ武家が天下を取ると偏諱を受けるとか授けるとかが当たり前の習俗になってそのあたりの意識は変わったんだろう。
しかし価値があるからこそ与えたり受け継いだりしたのであって、軽がろしいものなら偏諱も忌諱も成り立たないだろうし、通称や官名も同じことだろう。


793:人間七七四年
10/05/08 22:01:45 DNuLQUBW
諱と言えば、いい話か悪い話かで
大谷のよっちゃんに「輝」と略されてたTERU

794:人間七七四年
10/05/08 22:11:55 35DHlGhe
>>792
愛媛だと憚って「徳川」という地名を改めた話の方がよかったかもね。
そこにあるお宮はずっと徳川神社のままらしいですが。

795:人間七七四年
10/05/08 22:13:10 S4RSl/9L
崇徳天皇と同じ忌み名なんてそりゃあれ何か後ろに気配嗚呼嗚呼ああああs4d5tf6ygふいjこpl@;:「

796:人間七七四年
10/05/08 22:32:29 9b9gjFYB
>>793
大谷吉継も変えてるよな。三好義継に通じるから縁起悪い、だっけか。

797:人間七七四年
10/05/08 22:43:43 eSNlqpST
>>790
諱で有名ば逸話と言えば後醍醐天皇が尊治という諱の尊の字を足利高氏に与えた為に天下を奪われたと
いう話があるな。
さらに時代を遡ると淳和天皇の諱が大伴なので古代からの有力氏族である大伴氏が伴に改姓してる。

ただ武家は一字拝領とか通字があるし、中国の諱を避けるって概念は全くないよな

798:人間七七四年
10/05/08 22:51:28 OmHIRbdi
>>797
江戸期の藩だと、君主の世子が元服して諱が決められると、その諱の文字が
自分の諱にある家臣は、諱の変更をすると言うのが普通だったみたい。

一字拝領と言うのはあくまで特権で、そういう特別な許可がないものはやはり
諱の文字は避けなければならなかったようだ。

799:人間七七四年
10/05/08 22:54:07 DNuLQUBW
江戸時代は朱子学全盛期だからな

800:人間七七四年
10/05/09 00:46:36 W9MgulCy
>>798
確か黒田家の菅さんが、秀忠だかその偏諱を受けた長政の息子の忠之だかを憚って
忠利から正利に改名してたはず
江戸時代っていってもかなり初期も初期の話だわな

801:人間七七四年
10/05/09 00:49:54 nidw/DUZ
江戸時代どころか戦国時代に、秀吉の弟の羽柴秀長が
信長の「長」を後ろに置くのは恐れ多いとして「長秀」に改名してる。

802:人間七七四年
10/05/09 00:59:00 zdgL4HBx
>>801
秀長から長秀じゃなくて、長秀から秀長だった記憶が…
いや、どっちがどっちだったか覚えてないから、
なんとも言えないけど

803:人間七七四年
10/05/09 00:59:55 AiSQrS5W
その忠之も将軍家を憚ってだったと思うが改名してるしね。2回も。

804:人間七七四年
10/05/09 01:26:06 O2wFELSV
将軍の忌み名を拝借した例といれば義輝や義晴に対して多くの人物が挙げられるな
将軍家の力がどんどん衰えていたこの時代
地方の大名は大義名分を得るために
将軍家は援助してもらうために
お互いの利害が一致していたからこその現象なのかな

805:人間七七四年
10/05/09 01:36:55 9hJpnEBZ
戦国期の書状でも諱をそのまま書くのは普通じゃないからな
敵対してたり仲が悪かったりする相手ならある話だが
普通は通称か官名を使っている
友好関係があるなら諱を記すのは自署くらいだ

806:人間七七四年
10/05/09 02:19:52 /5kkr/4x
>>793
あれは略されてないよ
書き込んだやつのネタか勘違い
その後のレスでつっこまれていた

807:人間七七四年
10/05/09 02:38:38 V5+WCNJL
皇帝と同じ漢字は恐れ多いから抜いた李勣みたいなの考えれば
上はマズイので下にしておこうで済む日本は適度に軽いというかなんというか

808:人間七七四年
10/05/09 03:19:32 wt/HP+g6
上下逆だろw

809:人間七七四年
10/05/09 07:33:07 m9Fwx1FZ
>>797
源義経は追討令を出された時に、鎌倉側から勝手に「義行(よしゆき)」に改名させられてるね
理由は九条兼実の息子、良経と同じ読みなので
その後いつまで経っても捕まらないから、「上手く隠れるという意味の能行と同じ読みになるのがまずいんじゃない?」と今度は
「義顕(よしあき)」に改名させられたというオマケまである

810:人間七七四年
10/05/09 08:31:39 +U92Xeq+
現代社会じゃ諱って概念はほぼ無くなったね
今や、偉い人の名前にあやかって同名の名前を付けたりするし、名を避けるよりも同じにして敬愛の念を示すように

811:人間七七四年
10/05/09 08:40:39 l4PTHzkp
>>809
俺はむしろ近江のゲリラ屋、山本“義経”さんがどう思っていたかが気になる。
この人も改名したのかな? それとも「我こそ本家義経」と言い張ったのか?

812:人間七七四年
10/05/09 09:53:25 nw9n6rPP
「………」毛利輝元の前で、吉川広家は苦り切っていた。

「見てみて広家、この茶碗!良いものが焼けたでしょ?そうだ、これを“萩焼”と命名しよう!」
「輝元様…所領も大幅に減り、萩で新たに築城中の今、そういう道楽ごとはお慎み下され。
だいたい、あなた昔っから無駄遣いのことで…」
「な、なんだよ?!」
「ご母堂の尾崎局さまから、こんな手紙↓受け取ってるじゃないですか。」

『あき人きたり候や。たれか見候てとり候や。やくにもたたぬ物とりおき候ては、造作に候…』
(商人が来たそうだけど、誰か付き添って買い物を見てくれたの?役に立たない物を買うと、後で面倒ですよ?)

「親から叱られてることなんだから、自重して下さいよ。」
「ふ、ふーんだ!そういう広家だって…」
「?」
「ついこないだ(慶長十一年)、新庄局からこんな手紙↓もらったんですけどー。」

『ひろいへは、その身ひゃうしや(病者)ゆへ、よろづとどきまいらせ候はぬ御事のみにて候ま々、
(中略)いよ々々かたじけなくぞんじ候べく候…』
(ウチの広家ちゃん最近病気がちだから、いろいろ行き届かないことばかりでしょうけど、
(重用してもらって)ますますありがたく思っておりますのよ。)

「は、母上…」
「四十過ぎて、カーチャンから上司に口添えしてもらう男ってどうよ?」
「何ですと!」「なんだよ!」
「……………」「……………」
「…仕事、しよっか………」「はい………」



お か あ さ ん 、 あ り が と う 。

813:人間七七四年
10/05/09 10:14:20 ev3BDaov
・萩焼の奨励
・輝元が幼少の頃に母からもらって手紙
・関ヶ原後、広家を心配する母の手紙

それぞれ時系列の違う逸話を「母の日」に合わせて創作するとこういう話ができるんだ

814:人間七七四年
10/05/09 10:48:48 0G8r6kep
うん?創作なのか?
でも和んだー、母は大事にせねばアカンね

815:人間七七四年
10/05/09 14:08:01 SQ/k1mxn
>>810
どっちも(悪く言えば)おべっか的な意味では本質は変わってない気が
名前が同じなのを憚るのは謙虚のおべっかで
名前を同じにするのは追従のおべっかだろ
呪われるとか縁起が悪いとか、そういう言霊的な忌む意味での諱って
それこそ鎌倉時代以前まで遡らないと無いと思うぞ
足利尊氏なんて北朝作った後も後醍醐帝の「尊」の字を使ってるんだから
本人の気分次第が実際だろ

816:人間七七四年
10/05/09 14:11:15 m9Fwx1FZ
>>815
それ以前の高氏の名も、北条高時から由来するものだし、いまさら戻せないだろうからね

817:人間七七四年
10/05/09 14:17:22 SQ/k1mxn
そもそも「高」氏のまま北条滅ぼしたんだけどね
偽帝の拝領が縁起が悪いって本当に一般常識で思われているなら
別の「たか」の字を持ってくればよかったんだし
これが中国だと「朱全忠って俺が皇帝なのに忠尽くすのはおかしいだろ?」で変えるし

818:人間七七四年
10/05/09 14:24:43 baGTeZyl
お後はこちらで、

諱を語る
スレリンク(sengoku板)

819:人間七七四年
10/05/09 18:21:45 P3FVMx9c
天正19年(1591)、前田利家は突然、豊臣秀吉に聚楽第へ呼び出された。「やぁ又左、大儀。」
「して、殿下。本日お呼びの御用向きとは?」
「うん、蒲生と伊達の騒動なんだけどさー。法的決着は着いたんだけど、和解交渉が難航しちゃって。
今、別室で二人がキレる一歩手前になってんのよ。ちょっと行って仲裁してくんね?」

工エエェェ(´д`)ェェエエ工

利家が交渉中の座敷に入ると、当事者二人と浅野長政、前田玄以、細川忠興、佐竹義宣、金森、有馬等
そうそうたる大少名がにらみ合っていた。(ホントに一触即発だコレ――!?)

(あああああ、利家殿!良いところに来てくださった!)(ちょっと玄以ちゃん、これどういうことなの?)
(いや、蒲生殿押し気味で話が進んでるのですが、取り巻きが納得せず…

・佐竹義宣………伊達派の中心。血縁・地縁からか、政宗寄りの発言を連発。
・細川忠興………蒲生派の中心。立場・趣味など氏郷に近い親友、言わずもがな。
・浅野長政………中立派の中心。伊達家の申次で、蒲生とも親しい仲裁すべき人物だが、沈黙。

こんな感じで他の大名たちもモメてモメて。私ではもう変に口を挟めず、もう利家殿だけが頼りなんです!)
(気の滅入る情報、アリガト…)

利家が当事者二人を見ると、政宗は服こそ礼法にかなった肩衣だが、朱鞘に一尺八、九寸の大脇差を差し、
氏郷は雨鞘(雨天等用に滑りにくい仕立てにした、実戦向きの鞘)の脇差。どう見ても殺る気である。

「伊達殿、その脇差…」「いや、拙者は遠国の田舎者ゆえ、かかる不調法なものを…されど
「いや、さすが『伊達』な仕立ての物を持っておられるのぅ!!」(原文:政宗ハだて成仕立とご挨拶…)
「………」「………」
「い、いやぁホラ………『だて』だけに?」
「……………」「……………」

( ● ,_ゝ゚) ゚,_ゝ゚)プッ

その後、座敷に酒肴が運び込まれ、無事に利家の功(?)により難事の手打ちは済んだ。

820:人間七七四年
10/05/09 18:33:16 e8QWyFSE
取り成したのに笑われる利家カワイソスww

821:人間七七四年
10/05/09 18:38:46 OUN/9G5U
>>819
蒲生さんはともかく、何で政宗の方がキレてるのか分からんwww
しかし、佐竹義宣が伊達側に立ってるのは意外だなぁ。
政宗は嫌いだけど、弟の領土である会津を奪った形になった蒲生さんの方がさらに気に食わなかったのかもしれん。

822:人間七七四年
10/05/09 18:57:12 m9Fwx1FZ
義宣さんは、おかんが伊達家の出身で政宗びいきだったらしいし。なんだかんだ言っても、従兄弟だったから

823:人間七七四年
10/05/09 19:00:50 t3wxqJ7z
あとまぁ、隣と仲悪くて隣の隣とは仲良くするって割とよくある

824:人間七七四年
10/05/09 20:13:11 CxngBlhq
>>823
遠交近攻か、遠交近攻なんだな!?

825:人間七七四年
10/05/09 20:30:07 ptVAjRyB
>>812
 所領が減ったならなおさら焼き物その他の産業が盛んになるように動かないといかんような気がするが……

826:人間七七四年
10/05/09 22:13:28 Li3UqYul
実際に殺しあったらレオンが勝つんだろーか

827:人間七七四年
10/05/09 23:00:32 c7t7BlAR
>>819
> 佐竹義宣………伊達派の中心。血縁・地縁からか、政宗寄りの発言を連発。


佐竹と伊達は激しくたたかっているのにね・・・

828:人間七七四年
10/05/09 23:01:19 HBED5gkt
>>826
どういう形にしろ、大戦争になるのは間違いないと思う。

829:人間七七四年
10/05/09 23:04:08 nidw/DUZ
>>826
蒲生軍の最初に突撃してきた部隊を全滅させれば伊達の勝ち。

830:人間七七四年
10/05/09 23:29:59 zdgL4HBx
>>829
むしろ戦場で友軍となって、
隣の突撃する蒲生軍に向かって誤射すれば伊達の勝ち

831:人間七七四年
10/05/10 00:40:26 ex58SQ9v
「レオンは最前線にいるのか?」
「ちょっと違うな、レオンのいるところが最前線なんだ」

832:人間七七四年
10/05/10 00:46:22 seh8Hd+V
むしろレオンとngmsの戦いを見てみたい

833:丼
10/05/10 00:46:44 TD8G5OMp
楯岡満茂と出世魚

天童氏攻めには事前の延沢満延の抱きこみもあり、
天童八楯からは多くの離反者が続出し最上側の勝利に終わった。
尚、この戦いから最上支族の楯岡氏、満茂が最上家武将として名を加える事となった。

氏家守棟「はて、どちら様でしたか・・・?」
(´▽`)「元は八楯でございましたが、主が死にました為代表となりました楯岡満茂と申します。」

中略

有野峠の戦い後
鮭延越前「此度は楯岡殿も凄い活躍でしたな」
(´▽`)「おかげさまで。仙北を新領として認められましたがゆえ、湯沢を名乗りたいと思います。」

慶長出羽合戦後
志村光安「湯沢殿、我らも加増じゃの」
(´▽`)「これを機に新領の赤尾津を名乗ります。」

庄内検地
志村光安「これは赤尾津殿、貴殿も見回りか?」
(´▽`)「城を変えましたがゆえ、今は本庄満茂でございます」

下の名前を変える事は良く聞いても、これだけ短期間に名字を変えるのは珍しい部類か

(´・ω・`)「・・・(いずれ最上満茂を名乗る日がくる・・・?)」

最上家中最大の4万5000石を領した
偉くなる毎に名字を変える楯岡満茂にとって「縁起のいい(?)」話。

ちなみに先日山形であった「楯岡満茂展」には延沢光昌級の40kg近くの鎧が展示なされていたそうな。

834:人間七七四年
10/05/10 01:13:33 fQVfssw+
うーむ、どうしても松波庄五郎さんの事が思い浮かんでしまうw

835:人間七七四年
10/05/10 02:56:45 TD8G5OMp
>>834油売りさんか

鮭様絡みでもう一個

脳筋綱引き

鮭様には当時描かれた肖像画は伝わっていない。長谷堂屏風も肖像画として捉えるには心細い。
広く流布している烏帽子姿の肖像画は、近世以降描かれたものと言われている。
伝えられるところによれば、鮭様は色が白く冷静そうな目をしており、
尋常でない雰囲気をたたえてた巨躯だったという。

以前書いた延沢光昌の鎧の件で、仮に父と息子が似たような体型・体格ならば
180cmを超える最上義光に対し、延沢満延も170から180cmは超える
平均身長が155cmくらいと言われる当時としてはガチムキの巨漢の部類に入る。

仮に鮭様より身長が低かったにしても
桜の木ごと引っこ抜く様は一例にしてみれば

桜に抱きつく熊を木ごと引き抜く愚地独歩先生という事か

奥さん、嫁、妹、娘、小動物どころかガチムキにも弱かった(?)鮭様を思いながら寝ることにする。

836:人間七七四年
10/05/10 03:02:21 TD8G5OMp
直江兼続が「長身美男」と書かれてるのは「常山紀談」が元ネタでわかるんですが、
伊達政宗が「面暗くして何を考えてるか分からない」と鮭様と比較されてる様な書き方がされていた書物があったかと思うのですが
有志の方、教えていただけると助かります。

837:人間七七四年
10/05/10 20:57:27 Fg5Lf5gH
鮭ネタはいらない
本当にいらない

838:人間七七四年
10/05/10 21:19:40 hbFTmNop
>>833
ちょw名字変えすぎwww

>>835
鮭様身長高いな
鮭様には、殺すはずだった人を大食いだからって気に入ってた逸話あったね
豪快な人が大好きだったのかも?脳筋だったみたいだし


839:人間七七四年
10/05/10 21:25:10 GeuAQG3J
鮭さまネタと言うか顔文字はやめて欲しい
これは政宗もそうなんだが。。。

840:人間七七四年
10/05/10 21:26:02 CLkIK8Z7
>>836
前に「見苦敷親父にて…」と評されていたが、あれは鮭様関連ネタではなかったな

ただ、伊達政宗の容貌の話になると冷静になれない人が出てきて
外見をとやかくいう奴の気が知れないだの
政宗を貶めているだのと感情論に走ってスレが荒れるので
あまり話題に出さないほうがいいかもしれない。

841:人間七七四年
10/05/10 21:33:21 IBjl1wF9
鮭いらない鮭うるせーなとか言う奴がなんで湧いてんだ最上ネタなんてどこにあるんだよ
って思ってたら専ブラのNGwordに引っかかってただけだった

顔文字使って会話文にするのは普通に逸話書くよりも
書く方にとっても読む方にとっても敷居が低くなるからだと思われる
最上も伊達もそんなに興味ないから顔文字使おうがどうでもいいけど

842:人間七七四年
10/05/10 21:38:21 S0nHe/cR
顔文字ウザイと思う人の気持ちもわかる。
>>819の政宗みたく1つならともかく、>>833の最上のとこみたく複数の顔文字を多用してあると見ずらいしイラッとする。

843:人間七七四年
10/05/10 21:39:25 vSaI9+t+
顔文字駄目ってどんなジジイだよw
スレがスレだけにしょうがないかw

844:人間七七四年
10/05/10 21:41:41 4x95VNdK
絵文字デコメが全盛なのにいまどき顔文字って(ry

845:人間七七四年
10/05/10 21:45:40 8XTJugOY
なら>>844は絵文字で書き込みしてろ

846:人間七七四年
10/05/10 21:47:11 pBu6ITJK
顔文字論議は他所でやって

847:人間七七四年
10/05/10 22:01:39 myiDM0jy
伊達と最上って実際も信者も仲悪いのな。
うちの近所のお寺さんには政宗孫の墓と義光弟の墓が仲良く並んであるのに・・・
ちなみに近所のお寺さんってのは九州小倉の安国寺ね。

とここまで書いて1つ思い出した。
同じく小倉に安全寺と言うお寺さんがある。
この安全寺、精神年齢三歳さまが小倉の城下町を整備したときに一度破却している。
しかしその後、三歳さまの夢枕に一人の武者が現れてこう言った。
「私は昔の小倉城主高橋鑑種だ。私の寺を崩すとは無礼ではないか」
三歳さまが安全寺を調べてみると鑑種の位牌が見つかりました。
これが夢枕の原因か・・・と言うわけで安全寺を移転再建し鑑種の供養をしたのでした。
どちらかと言うと悪い話かもしれないな。うん。

848:人間七七四年
10/05/10 22:44:34 8XTJugOY
お礼に拙者の尻を用立てて…と続くのかと思った。よかった。

849:人間七七四年
10/05/10 23:06:44 iEndYSlq
張飛ネタは板違いw

850:人間七七四年
10/05/10 23:14:57 ec5ZhwMl
>>841
少なくとも書く方は大変だろ>顔文字
その台詞にあった顔文字を選んで考えて配置するって場合なら
普通に逸話書くより労力使っていることになる
そうやって敷居を低くすることは良いことだよね。逸話スレなんだから、敷居が低い方が色々な人に読んで貰える


851:人間七七四年
10/05/10 23:20:17 g+vodR4a
>>850
また話蒸し返すの?実際、見ずらい人がいるから文句が出てるのに。。。

852:人間七七四年
10/05/10 23:24:20 5G2sIXIm
顔文字見づらいとかいうやつは単なるクレーマー
背景がドギツイ色のサイトで目がちかちかするとかならまだわかるが・・

853:人間七七四年
10/05/10 23:28:39 g+vodR4a
>顔文字見づらいとかいうやつは単なるクレーマー
なんと言うジャイアニズムwww

854:人間七七四年
10/05/10 23:32:23 5G2sIXIm
>>839みたいな奴が一人二人書いたくらいでいきなり顔文字止めろとか強制する奴の方がよっぽど
ジャイアニズムだろ

お前何様なんだよアホか?

ここはお前の自由帳じゃねーんだよ

855:人間七七四年
10/05/10 23:32:59 pBu6ITJK
顔文字より君たちの方がよほどこのスレの迷惑ですよ。

856:人間七七四年
10/05/10 23:42:40 ec5ZhwMl
一行を長くしすぎない、区切りの良いところで段落を開ける
年号を西暦に直す、年代の推移を○年ではなく、■年後の○年と書く
とか、そういう書き手がする読みやすさの工夫の一つでしょ?

別にこういった努力をしなくて
そのまま長文の現代語訳を投下してもなんの悪いこともないけど
顔文字云々じゃなくて、そうやって投下してくれている人の努力を
敷居が低いって済ませるのがちょっとなと思っただけだよ

857:人間七七四年
10/05/10 23:44:32 NiP+MA82
>>856
そんなことはお前がやればいい
強制する必要は無い

858:人間七七四年
10/05/10 23:58:44 bP2CCbsx
>>847
安全第一、なんてな

859:人間七七四年
10/05/11 00:28:33 xc+MUzDj
>>856
和暦で書いてもらった方がいい。
戦国時代の年号なんて数個しかないんだから覚えましょう。

860:人間七七四年
10/05/11 00:34:02 UI2oeCtV
>>859
併記が良心的

861:人間七七四年
10/05/11 00:38:06 Wh8s81Es
投稿者は、読みやすいかな?とか色々考えた末、文章を投下してるはず
少なくとも自分はそう
顔文字も、より逸話に親しみを持ってもらいたいっていう投稿者の工夫の1つだと思うけど
それを頭ごなしに否定しちゃうのもちょっと悲しくない?

あ、西暦と和暦は併記が分かりやすいと思う

862:人間七七四年
10/05/11 00:48:37 hfiiiXLK
>>859
学問ならともかく趣味の領域だからなあ


863:人間七七四年
10/05/11 01:09:59 PoFNcCZz
>>861
その気遣いのせいで読みづらくなったら投稿する人も悲しいだろうし、顔文字ははじめから使わない方がいいね

864:人間七七四年
10/05/11 01:18:10 zvZRbmQm
先祖とか土地、故事絡みになると戦国時代から逸れるから
西暦の方が空いてる時間がわかりやすくていいだろうな

個人としては顔文字は別に読みづらくないし、楽しく読んでるよ
ここは2ちゃんなんだからネット文化はらしいじゃない

865:人間七七四年
10/05/11 01:19:27 tvOE9VMs
普段は顔文字も全然気にしないけど、極まれに読み易さより
顔文字を使うことを優先している投稿がある。それでちょっと
イラっとしてしまう。

866:人間七七四年
10/05/11 01:38:09 zvZRbmQm
>>859
このスレだとだいた応仁の乱~天草の乱までカバーしているから

応仁、文明、長享、延徳、明応、文亀、永正、大永、享禄、
天文、弘治、永禄、元亀、天正、文禄、慶長、元和、寛永


で19は覚えないとな

867:人間七七四年
10/05/11 02:07:08 LVelvhGg
読みやすくするために使われているならばともかく読みにくくしているのは駄目かもな

この話ここまで

868:人間七七四年
10/05/11 05:13:46 oyPkmcKT
今更2ちゃんでゴチャゴチャ規制増やしても寂れるだけだろ。
三戦板の愚を何度も繰り返すのは、無知か馬鹿。

869:人間七七四年
10/05/11 10:00:46 K1GFiU1c
顔文字の多用は確かにウザいけど、専ブラでNGにぶち込むだけで済むんだし、
投稿者にケチつけるのはどうかと思う。

870:人間七七四年
10/05/11 10:03:08 eaUHAbCD
使う人、使わない人で書き手の個性も見えるのがいい。
自分の好きなように揃えろ、とかあり得ない。
いやなら読み飛ばせばいいだけ。


871:人間七七四年
10/05/11 11:11:03 k7XhKBbO
文句付ける人は戦国時代のちょっといい話が好きな人じゃなくて、
文句をつけることが好きな人なんだから、つけさせとけばいいじゃない。

872:人間七七四年
10/05/11 11:16:55 IBn6XDCY
いい加減しつこい

873:人間七七四年
10/05/11 11:18:07 An4BLt4P
今までだって顔文字さんざん使われてきてたのに何をいまさら言ってるんだw

874:人間七七四年
10/05/11 11:51:34 6NzOJFuR
俺としてはAAも上手く使って
2chのノリで書いてくれた方が面白いんだがな。

875:人間七七四年
10/05/11 12:38:40 08V4aeAt
許容範囲も人それぞれだし押し付けずにやってきゃいいだけなんじゃないのか?
こりゃウザいと思ったらスルーとかさ。

ドウモー!とかの古いコピペみたいなのはさすがに勘弁して欲しいが

876:人間七七四年
10/05/11 13:09:28 tmSyyLdq
鮭ネタも顔文字も楽しんでるけど最上義光に(´・ω・`)の顔文字当てて余計な一言いわせてるのはなぜか毎回イラッとくる

877:人間七七四年
10/05/11 13:13:05 R5WMu1sD
で?っていう

878:人間七七四年
10/05/11 15:21:55 5Eh+yZX1
書き込む前に読んでね
URLリンク(info.2ch.net)
まもらねばさくざかむさしがくる

879:人間七七四年
10/05/11 15:39:40 gwVWbM7s
兼定抱えた細川殿かもしれん

880:人間七七四年
10/05/11 16:26:24 F7tXFUPX
顔文字もスルーできないのかよ?チョソ?

881:人間七七四年
10/05/11 17:27:08 yQCOyHrj
すぐ日本人を同胞認定したがるチョンが来たか

882:人間七七四年
10/05/11 18:08:31 y6Xh3eHR
「朝倉宗滴話記」より、宗滴先生のありがたいお言葉。家来との関係編

「主人には家来の罰が当たり、家来には主人の罰が当たるものだ。だから君臣の間には
油断があってはいけないんだよ。」

「家来から怖れられるようじゃいけないよ。涙を流されるくらい慕われるのが本当だ、って
昔から言うでしょ?そうじゃないと大事の時に、家臣は命をかけて働いてくれないしね。」

「主人であるのに、家来に侮られていると思い込んでいる人は、既に
ノイローゼに掛かっていると考えた方がいいよ?
何故かって言うと、人に主人と言われるほどの身の上なら、敵であってすら、その人を
侮りはしないものだ。いわんや家来が侮るようなことなんてあるだろうか?
そのようなあさましい心持は、家の乱の元にもなるんだよ。」

「人を使うときに二人候補があった場合、昔から仕えている方を選ぶべきだね。
なんでかって言うと、家来を使うと何か必ず不届きをするものだろ?で、主人であるあなたは
それをぐっと我慢する。でも家来の方も主人に対して申開きしたいことがあるのに、
それを我慢している。そんなふうにお互い我慢しあっているうちに、昔から使っている人間は
いろいろ経験を積んで大事のことも出来るようになってるものなんだ。
だから少々不出来でも、人はどんどん使うべきなんだ。」


君臣を「上使と部下」とすれば今でも通用しそうな、宗滴先生の人を使う際の心得。

883:人間七七四年
10/05/11 19:01:35 bEYyf8WT
譜代を重用するそんな朝倉家に嫌気がさした光秀さんは・・・

884:人間七七四年
10/05/11 20:50:13 K1GFiU1c
織田家で謀反を起こしてましたとさ

885:人間七七四年
10/05/11 20:50:53 zYKR+qCR
道雪さんも含めておじいちゃんの言うことはためになるな~~

886:人間七七四年
10/05/11 21:01:30 V4f2Kqie
まあ爺ちゃんになるまで生きてこられた訳だしな。

887:人間七七四年
10/05/11 21:06:37 S7z6DFOa
一栗さんの若いころの話は無いのだろうか

888:人間七七四年
10/05/11 21:38:23 fJ9GtLeZ
>>885
老境の正宗や老境の慶次がためになることを言うだろうか

889:人間七七四年
10/05/11 21:41:48 hfiiiXLK
>>888
まぁ、反面教師という言葉もあってだな

890:人間七七四年
10/05/12 01:03:11 bKKiHb5X
朧月の、静かな夜だった。

投網漁を楽しんでいた石井八郎左衛門は、散歩中らしき侍に声をかけられた。
「どうだい、獲れるかね?」
「ああ!今夜は大漁だ。」そう答え、魚籠を水面から引き上げて侍に見せてやった。

「おお、ずいぶんでかいフナがおるな!」
「この大きさのヤツが、あと二匹はおるぞ?」
「明日はご馳走だな、うらやましい!…どうだね、できれば一つ……」
侍が魚籠に手を伸ばすと、

「! さわんじゃねぇぇえ!このクソヤロー!!
いいか、こっちはこう見えても主君持ちだ!こういう時はな、殿様にいいヤツを差し上げて、
自分は小さい魚でガマンするのが忠義ってモンだ!テメエも侍なら覚えとけ!!」

「そ、それは殊勝なお心がけ。大変失礼したっ!」侍は、あわてて宵闇の中に逃げ去った。



朝、目覚めた鍋島勝茂は、料理番に今日の献立の希望を問われたが、
「まあ、少し待ってろ。今にいいものが来るから…」
「?」
そこへ石井八郎左衛門が、台所にタライを持ってやって来たとの知らせが入った。
「昨夜、獲れたばかりのフナにござる。殿に召し上がっていただきたく、お持ち致しました。」
タライには見事な大きさのフナが数匹、泳いでいた。

「ほら、な?」短く言って、勝茂は満面に笑みを浮かべた。

891:人間七七四年
10/05/12 01:59:09 qXAeoxV5
これはいい話だ

892:人間七七四年
10/05/12 02:01:53 LCP1AssU
石井さんカッコいい!そして侍は勝茂さんだったかw

893:人間七七四年
10/05/12 04:06:54 gR27E9kH
>>882
上の者は下の者を信じてやれ、仕事を委任する度量を持て、てことだよな
道雪も部下を大切にしたエピソードがあるし、彼らが理想の上司像にされてたのかなあ

894:(
10/05/12 05:32:15 qxep4UWJ
>>882
宗滴って自分自身が刀や矢で敵将を討ち取ってもとどめを部下にやらせて部下の手柄にしたり、
漂着した朝鮮か明の外国人達を外人部隊で編成してたり、なんか部下思いの武将だよな。
宗滴没後にすぐ外人部隊が失踪したりって話も宗滴の人徳で外人部隊を繋ぎ止めてたのかも。

895:人間七七四年
10/05/12 10:06:47 VVdUv8Je
>>890
普通に良いオチだった。
いい話スレだから当然だが、何か物足りなさを感じるオレはヒネクレてるんだろうか・・・・

896:人間七七四年
10/05/12 10:15:44 Cxq9MP22
>>890
ムチャクチャおいしかったろうな。

897:人間七七四年
10/05/12 10:18:54 nTf/JTlL
>>895
この状況だと酔った市松でもない限り三斎でも武蔵でも似たような話になるんじゃないかなぁ

898:人間七七四年
10/05/12 10:37:09 5mrwvBjq
幽斉様なら一句残して、後で「あああれは幽斉であった」と石井さんが気づく。
三歳様なら、「気に入った、この越中ふんどしを(ry
はともかく、
きっとフナにあう付け合わせとか料理して「まだかまだか」とイライラしたりするんじゃなかろうか。

899:人間七七四年
10/05/12 10:39:05 mnGETRy6
鬼武蔵「今日はご馳走だな。」ズバッ!

900:人間七七四年
10/05/12 10:43:31 nTf/JTlL
幽斎さんだと自分で捌いて石井八郎左衛門と一緒に食おうと厨房で待ってるかもしれんなw

901:人間七七四年
10/05/12 12:28:46 qXAeoxV5
出てきたフナがおっきい方じゃなくて小さい方だったけどお殿様は知らないフリしました

とは成らないのは流石の鍋島さんの人徳である

902:人間七七四年
10/05/12 13:29:17 Pu+1dGa+
本多(重)さんだとまためんどくさい展開になりそうだよな

903:人間七七四年
10/05/12 13:32:01 9dEIOyaS
いい話なのかな・・・
おべっか使いの話としか見えない俺は心が歪んでいるのか・・・

904:人間七七四年
10/05/12 13:46:57 Pu+1dGa+
本人目の前にしてならともかく、全く解らない状況で言ってるんだからおべっかとは全く違うだろ


905:人間七七四年
10/05/12 13:47:39 PhhsvrOT
本人目の前にしてるだろ

906:人間七七四年
10/05/12 14:03:59 Pu+1dGa+
この時代の夜は本当に真っ暗で何も見えないぞ
声だけで判断したってことか?

907:人間七七四年
10/05/12 14:36:05 BfZ3GtaT
なるほどな。
声で殿様とわかって一芝居打った可能性もあるのか。
だが実際は殿様が一人で深夜徘徊はしないだろうから
部下の誰かが朝になって殿様に報告したってのが本当のところだろうな。

908:人間七七四年
10/05/12 14:56:27 G1jRDrQN
>>906
街灯もろくすっぽ無い山中住まいだけど
そらもう月によるとしかいいようが無い。
越してきて月明かりって明るいもんなんだなぁと思ったくらいに
出てる出てないじゃ見え方がまるで違う。

909:人間七七四年
10/05/12 15:44:53 5mrwvBjq
問題なのは「この大きさはあと2匹はおる」なのだから、
小さいヤツを身元不明の散歩侍にあげるかどうかと、
大きいヤツを殿様に献上するかどうかは、
別に関係ないってことだな。
献上するからあげられないって数じゃないよね。

910:人間七七四年
10/05/12 17:39:25 7QAy0Z8c
「主君持ちだ」って言い張ったのは「金積まれたってアンタには売れねえよ」って意味に受け取ったが。

911:人間七七四年
10/05/12 18:22:37 dV2t8HJS
>>909
なんでだよ、数匹献上したってんだから二尾では済んでないだろ。
自分の家の分含めると、声かけられた時点ではくれてやる余裕はないだろ。

912:人間七七四年
10/05/12 19:13:03 7rhPxxe9
寛永の頃、長崎の唐人町屋に「いつくゆん」という者がいた。
彼は広壮な屋敷を構え、そこを唐人商人の宿として提供し、利益を得ていた。
小間使いとして日本人を雇っていたが、中に15歳ほどの少年がいた。
宿泊した唐人の中に人相に詳しい者がいて、少年を見るなり、
「この者は天下に待望を抱くだろう。しかし、それは遂げられずに終えるはずだ」
と予言をした。

数年後、少年は戦国に終止符を打つとされる大反乱の指導者となる。
名を四郎といった。

四郎と幼い頃から親しくしていた学友は、
「彼は海で泳ぐのが好きで、魚を手掴みして捕ることができた。
その他は、別に変わったところもない少年でしたよ」
と語ったという。
深見新右衛門殿の物語りである。

(老談一言記)

913:人間七七四年
10/05/12 19:43:33 lrbhzRbM
>>912
ジェロニモさん魚のつかみ取りが上手かったのか

914:人間七七四年
10/05/13 00:38:42 NJAj1h4B
このころはまだ超人じゃなかったんだよね

915:人間七七四年
10/05/13 01:25:58 MDT+wwJk
>>914
だってオラは人間だから……

916:人間七七四年
10/05/13 13:10:52 7er2cGPB
何処の出典かも明確にしない
どこの逸話なのか検証する奴も居らず
だのに話に出てくる人物の会話が異様に濃い

武将を面白おかしく書くただのオナニースレと成り果てたか


917:人間七七四年
10/05/13 13:12:46 0SOO/QPa
上げて言う馬鹿よりはマシ

918:人間七七四年
10/05/13 13:29:19 7er2cGPB
>>917はいはいw上げて悪かったね
お?w俺何か間違った事言ってるっけ?w
最近の投稿見て思うのは
こっちに投稿する前に『逸話検証スレ』に見て貰った方がいいんじゃないのって思う?
朝倉宗滴記話とか後世の創作物の中でもゴミ屑以下の資料価値しかないしな

読みやすい様に顔文字や現代語風を少しだけ使うのは別に構わない…が

せめて何処出典か出せ
話が昔の資料じゃなくて郷土史家の本でも構わん、出せば
それがルールだ

919:人間七七四年
10/05/13 13:38:50 h8gWbfUQ
自治厨乙

920:人間七七四年
10/05/13 14:08:38 7CbMqaxS
ん?
検証スレで実話認定されないとダメで
出典書くのが当たり前だけど、朝倉宗滴記話は書いててもダメなのか?
なになに?
どうすればいいのか全然見えない。
要するに君の気にいらない書き込みはしてはいけないってこと?
それがルールなの?

921:人間七七四年
10/05/13 14:28:36 4cCTgIiT
>>918
逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
スレリンク(sengoku板)

922:人間七七四年
10/05/13 15:09:23 UWlMUA86
まあこの手のケチを付けたいだけの馬鹿に触らない方がいいよ。馬鹿がうつる。

923:人間七七四年
10/05/13 16:09:18 j3QJ/FfD
ぉぃ、釣られすぎだぞw

924:人間七七四年
10/05/13 16:32:45 UWlMUA86
良い話か悪い話か迷ったがこっちに。


慶長五年(1600〉6月6日、徳川家康は上杉景勝に謀反の企てありとし、大阪城西の丸に諸将を招集し
この討伐を宣言。発向を16日として参加する将の署名を求めた。
そして署名した者を再び西の丸に集め、『6月21日出陣』と発表をした。

さて、この命令を皆が承り退出するとき、山内一豊が藤堂高虎に囁きかけた

「今度の上杉征伐だが、奉行達が連署で、少なくとも年があけるまで引き伸ばすべきだと諌めたのに
徳川殿はそれをお聞きになられなかった。どうして奉行達を無視したのだろう?」

高虎これに答える
「徳川殿が奉行の提言を無視したのは、ご深慮があるため、だと思う。」

「ご深慮?」

「先ず第一に、国に叛臣がある時は素早く兵を出して、敵の準備が未だ整わないうちにこれを討つものだと、
これは昔から言われていることだ。

第二に、反乱者の退治が遅くなれば、相手に城の備えを堅固にし兵を多く集め、兵糧を備蓄する
余裕を与えてしまう。そうなってしまえばこれを攻めても非常に時間がかかることになる。まして年明けまで
待つなどということをしたら相手に万全の備えをさせてしまうだろう。

第三に、連署を出した奉行連中の中に、景勝と親しい者が多い。このため徳川殿は、さてはわざと
上杉討伐を引き延させて景勝に籠城の準備をする余裕を与えようとしているのだ、と察したのかもしれないな。

第四に、景勝が謀反を起こしたのには、彼に同調する勢力があるためだと考えるべきだろう。
これは時間が立てば立つほど多くなるに違いない。しかしその勢力が未だ少ないうちに討伐すれば、
同類の輩は動きを自重し大人しくするだろう、と考えられたか。

そして今回、再び諸将を集めて軍議を行われたのは、その中に景勝への同調者がいれば、そいつはきっと
軍の出動の遅延を申し立てるであろうし、そうでなくても顔色や雰囲気からそれが見えてくるものだ。
このようにして徳川殿敵味方をざっと判断して、その上での計策があるためであると、拙者は考える。」

「なるほど…。所で前の軍議の時堀監物が『会津の背灸と言う場所は大変な難所なので充分に気をつけなければならない』
と言ったのを、徳川殿は気に入られない様子であった。あれはどういう事であろうか?」

「ははは、説明するほどの事でもないさ。背灸と言えば奥州第一の険阻であり、一人動けなくなるとそれに続く万人が
進めなくなる、なんて事は、みんな知っている話だ。だから、みんなそれを見ないうちから心を重くしているのに、
実際に現地を案内する堀兄弟が『切所です!難所です!大変なんです!』なんて言ったせいで、
あの時の座の面々の顔を覚えているか?みんな青くなってた。徳川殿はそれを悟って、勇を励ますために
堀を叱り飛ばしたのさ。良将の知恵という奴だな。

かつて故太閤が徳川殿のことを『あいつは軍慮の知識だ』なんておっしゃっていたが、あれはこの事なのだな、と思ったよ。」

「ふむ。そう言う事か。
…ところで佐渡守(高虎)、徳川殿は、天下を取るか?」

高虎たちまち笑い出し
「おいおい、壁に耳ありというではないか。そんなことを話していたと聞かれたら、どう噂されるかわかったものではないぞ?
だがな」

高虎、一豊の傍で小さく囁いた
「みんなそう思っているだろ?(誰も斯くこそ存ずる)」


会津征伐出陣前の、藤堂高虎と山内一豊の会話である。

925:人間七七四年
10/05/13 16:42:10 It/j1a14

永禄三年の桶狭間の合戦の際。
圧倒的な戦力を持ちながら総大将今川義元の戦死という形で敗北した駿遠三三国の
軍勢。

大高城で義元の死を聞いた松平元康も岡崎城への撤退を始める。
すなおに東海道を東へ帰ればいいモノを、何故か母、伝通院を頼って知多半島を南
下。そこから海を渡って岡崎へと逃れたという。

が、如何に縁者とは言え、水野家や久松家の立場もある。
落ち延びていく軍勢に救いの手を差し伸べるワケにもいかない。
元康一行は現在の半田市の辺りで空腹のあまり立ち往生してしまう。

そんな時、ある農家の軒先に吊るされた「あるモノ」を元康が見つける。

「あれは何だ?」
「あれは煎餅でございます。ああやって干したモノを焼いて、煎餅として食してい
るのです」

家臣が答える間もジッと煎餅から目を離さない元康に、農家の娘はビクビクとしな
がら声をかける。

「……まだ乾ききっておりませんが、今、焼きましょうか?」

「いや、よい」

うんうん、そこまで飢えてなかったか。痩せ我慢が出来るならまだダイジョーブ。
と、家臣達が思った次の瞬間。

「焼くヒマも惜しい。アレをそのまま貰えぬだろうか?」
「はぁっ!?」
「……と、殿!?」

慌てた家臣が止める間もなく、元康は生のままの煎餅を、美味そうに頬張ってしま
った。
それどころか、その味が気に入ってしまったのか、自分が半田に来た際には生のま
まの煎餅を献上してはくれぬだろうか、とまで百姓達におねだりする有様。

「生せんべい」は現在でも半田市の名物として販売されている。


出典?生せんべいを販売している店のサイト。www
検証スレに出しても絶対史実とは認定してもらえないし、そもそも僕自身が史実と
は思ってないが、こんな話は投稿しちゃいけないんでしょうかぁ?

926:人間七七四年
10/05/13 17:32:46 b2phG6Jb
生せんべいがうまいのかまずいのか
そちらの方が気になる

927:人間七七四年
10/05/13 17:58:36 96I+LN2k
>>924
一豊は本当にこんなすっとぼけた人だったのか、それともそういうキャラで探りを入れてたのか・・
後者なら食えない人だなあ

928:人間七七四年
10/05/13 17:59:14 j3QJ/FfD
一豊さん半端ねぇwww
高虎さんも一豊さんだからこそ最後の台詞になるんだろうなw

929:人間七七四年
10/05/13 18:21:59 j/ZRC8d6
>>924
その話、一豊の最後のセリフが無い以外は
まるまる同じ内容で、会話の相手が高虎でなく
大谷吉継のバージョンのもあるな(名将言行録)
どっちが先に出来たんだろ

930:929
10/05/13 18:25:38 j/ZRC8d6
間違った、

×一豊の最後のセリフ
○高虎の最後のセリフ

931:人間七七四年
10/05/13 18:35:13 UWlMUA86
>>929
924は「古今武家盛衰記」に載っていたもので、古今武家盛衰記は寛文(1661~1672)の頃の
成立だそうなので、こっちのバージョンの方がほうが先でしょうね。

932:人間七七四年
10/05/13 18:36:09 lsD1229N
濡れせんべいってのもあるから、意外に食べれるものかもしれない。
でも、味気なかっただろうな。

933:人間七七四年
10/05/13 18:42:01 PEqFGfUj
一豊は堀尾さんの城献上案を横取りするほど腹黒いからな。

934:人間七七四年
10/05/13 20:08:52 ufwJm/+3
「この母にして……」

このスレでも何かと話題の初代紀州藩主頼宣さんの少年時代の話。
昼になってもまだ朝顔が咲いているのを見つけ、母・お万の方に手紙と一緒に贈った。

頼宣「朝顔が昼になってもまだこんなに元気に咲いてますよ。どうぞ御覧になって下さい」

これに対するお万の返事は……

お万「朝顔の贈りもの、ありがとうね。人間もこの花のようなもの。的確な養生をすれば短い生命も長くなるというものです。
   これを忘れないように。家や国というものも、この心で見れば長久を保つことが出来るのですよ」

朝顔一つでも家や国家についての説教に変えてしまう。これが賢母というものであろうか。
こんな母からどうしてあんなにヤンチャな子が……と思ったら、彼女自身がとんでもないことをやっていた。
小田原の陣。上総勝浦城主正木左近大夫頼忠の娘であった彼女は、落城の際に海に面した50m近い断崖絶壁に布を垂らして、
それを伝って海上脱出に成功したのだという。しかも弟や母を背負って……当時14歳。(10歳説もある)
単純に15階位のマンションから布を伝って脱出するようなものだ。
史実としては辻褄が合わない点も色々あるが、現在でもそこは観光名所であり、この伝説が掲示されている。
色んな意味で、戦国の女はやっぱりすごい。

935:人間七七四年
10/05/13 21:11:35 tSZ9c/c7
>>924
背あぶり山には秀吉が奥州仕置きの際通ったと言われる関白平という場所があってなかなか見晴らしがいいです

936:人間七七四年
10/05/13 23:36:12 B1gok89Y
>>926
ういろうっぽい味だったよ

937:人間七七四年
10/05/14 18:40:09 j+CHyr3B
うん、半田の生せんべいは甘ったるい。

938:sage
10/05/14 20:49:28 X4nhv7+C
戦国の女は凄いの流れに乗って 久々に投下

「身代わりの侍女」

1600年(慶長5年)7月 石田三成挙兵に 派手な方の加藤家・黒田家などが 無事脱出したのは このスレ住人なら周知の事実
だが逃げ遅れた家の中に島津家も いた
8月に本国にいる義久が西上し 亀寿と人質の務めを交代しようと云う話があったが
8月は 関が原前哨戦がドンパチやってて とても義久が行ける状況じゃない
妙案が浮かばないまま 関が原本戦当日となり西軍が敗れる

敵中突破な無茶をやらかしたので 大坂の島津屋敷には義弘戦死の誤報が届いた
これを利用しない方はない
義弘の葬儀のためと 豊臣家に帰国を願い出る
豊臣家は もちろん承知。だが許可したのは義弘夫人だけで亀寿には帰国の許可が出ない
そこで義久系家臣の重鎮であり家老の平田は 時代劇定番の侍女を身代わりにするというベタな案を思いつく

「私が御上様の身代わりになります」
と名乗り出たのが 大田於松だ
大田家の息女で 慶長年間より侍女となった この時22歳

9月19日 義弘夫人と侍女の扮した亀寿と どういう経緯が書かれていないが秋月種長夫人が同行し
「義弘の葬儀のため」に大坂を出て 薩摩へと帰国の途に着く

9月22日に西宮で ボロボロになった義弘・島津勢と義弘夫人・亀寿・秋月夫人が合流する

一方、侍女の於松は 身代わりの大役を果たした後に 大坂城下の混乱を利用し自力で脱出し
この西宮で 一行に追いつき合流している

彼女が どのように機転を利かせたかは 元ソースには記載されていないが
於松は 身代わりの功績で後日 300石の知行を拝領している

彼女は生涯独身だったらしく300石は 於松の死後、弟が相続したそうだ

その後 島津一行は 完璧武将 立花宗茂と偶然出会うが
宗茂が島津義弘を助けたのは 義弘一行に夫人たちが いたからかもです

ソース 国分衆・町田氏正統家譜より




939:sage
10/05/14 21:08:08 X4nhv7+C
>>938

間違った「町田氏正統系譜」です
さくざさんに叱られて来ます。。。

940:人間七七四年
10/05/14 21:19:11 SWbhYFLV
干して軽く炙って食えば美味そうじゃね? > 半田の生せんべい

941:人間七七四年
10/05/15 02:10:34 2PQE5YSW
鮭様と夜泣き力士

秀次事件で処刑された愛娘の為に義光は天童の名刹専称寺を
駒姫の為に勧進した。

移築には多くの人足が集められ、本堂伽藍には名匠左甚五郎によって
梁を支えるまわしまで締めた「力士像」も作られた。

落成が終わり義光が山形城に戻り仮眠をとっていると
夢の中に今詣でてきた専称寺が出てきた。

でも、なにかおかしい・・・

境内で力士達が相撲をとっているではないか!?

義光「・・・ここ、駒姫の菩提を弔う菩提寺だよね?なんで相撲をとってるの?」

力士達「いやぁ、屋根を支えるのって意外とヒマで大変なんですよ~」

義光「!?!?」

何度か同じ夢を見るにあたり義光が専称寺に足を運んだところ、
成程、確かに伽藍の四方で夢に見た力士像達が屋根を支えていた。

次の夢に力士達が出るに当たり義光は静かに切り出した・・・

義光「お前たちは駒姫を魔から守る為に作られたんだよ?
その役目も果たせないなら・・・釘で足を固定して持ち場を守ってもらうか・・・
真面目に働くならそんな事はしないけど、
もし役目を果たさず相撲をとってるところを見たら次は種子島で撃つよ・・・」

以降専称寺からは夜な夜な力士像達の屋根の重荷に耐える「アッー!」と啼く声が聞こえたという。

*「出羽に伝わる昔話」より(「夜泣き力士」にはいくつか違う種類の昔話が伝わっております)

942:人間七七四年
10/05/15 02:17:48 5PYrpSlw
奥州仕置にて、大谷吉継・木村重茲が出羽仙北の検地を行った際に、
大谷配下の代官が農民を斬り捨てたことなどに反発して大規模な一揆が勃発した。
このとき上杉勢も奥州仕置に駆り出されており、吉継の要請を受けた景勝は
鮮やかな速攻で瞬く間に一揆を鎮圧し、吉継も大いに感嘆したという。(大谷吉継此軍謀ヲ感シケル)

そして後日、上杉勢の在陣する大森城へ吉継を招くと、景勝曰く
「こないだの一揆起きた件、あれな、思うにやり方が手ぬるいせいじゃないの?
 このままにしとくとまた絶対似たようなこと起きるよ。
 というわけで、武士だけといわず商人から百姓まで、分け隔て無く人質を取るのがいいと思うんだけどどう?」
(頃日川津良 山田 益田等一揆ノ蜂起 想フニ号令ノ軽キ故ナルヘシ
 後日ニ至テモ如何有ヘシ 然ラハ諸士 商客 百姓等マテ差出タル者トモヨリ証人ヲ出サスヘシ)

これには吉継も同意し、4歳から65歳までの老若男女、実に20人を超える人質を得、
大森の周辺に番人を置いて見張らせた。
以降、さしたる騒動もなく出羽仙北の仕置は滞りなく完了したという。
(出典:景勝公御年譜)

二代目さんはさすが伊達に領内で何年も苦労してないなと思わせる話。
この辺の記述は一揆やら検地やらでてんてこ舞いのはずなのに、妙にほのぼのしてて和むw

943:人間七七四年
10/05/15 02:32:38 EUKW/W+r
武士商人百姓老若男女あわせて20人って
少ないな…と感じるのは感覚が麻痺してるんだろうか。

944:人間七七四年
10/05/15 02:44:12 2PQE5YSW
鮭様と下美作(しも みまさか)

慶長出羽合戦後、志村光安の計らいによって上杉旧臣・酒田大川の下吉忠が
最上幕下に加わった。
吉忠の従兄弟の下美作もその一人。
ただ、美作は内心志駄義秀と量り、越後・米沢へ帰りたかった様である。

中野陣屋で義光は下吉忠と面会したが、その席には美作も同席した。

義光「今回は最上家入りを了していただいて感謝しております。
酒田に関しては今は貴方の方がお詳しいでしょうから
まずは兵2000と兵糧、それに楯岡と志村もお使いください。
まずは家禄で5000石、いずれは1万石で大川城代の職を見ては頂けないでしょうか?」

内心義光を「謀将、敵将」としてしか見ていなかった下一族はこの義光の一言に涙を落として
感動したという。

下一族は庄内の上杉旧臣を交渉、戦闘によって平定し、
下吉忠は大川城持ち、下美作も数千石を領し最上家の為に尽くしたという。

「余目余記」最上傘下の下美作の項には「下美作被贈鮭」(下美作鮭を贈られる?)の文がある事より
最上色にどっぷり?漬かったことが受け止められる。

945:人間七七四年
10/05/15 03:17:57 5qziDoic
吉継くんでもヘマするんだ~ ってのが一番の感想なんだがw


946:人間七七四年
10/05/15 03:47:43 KSiGjJLq
>>944
こいつも鮭か!!鮭ネタにホント事欠かないね最上は

947:人間七七四年
10/05/15 04:56:38 HSGfVX0n
突撃!最上の朝御飯!!

慶長出羽合戦、直江軍と対峙していた時の鮭様のご飯の内訳

・白米
・豆
・香枝
・胡桃
・松
・栗
・柿

白米は消化が良いから
他は豆(マメ=元気)に香枝(かえって)胡桃(来る身)松(待つ)
勝ち栗
勝ち=柿を掛けたらしい。

鮭?
今回はちょっと見つからなかったorz

948:丼
10/05/15 05:56:56 HSGfVX0n
歴史の寄り道

最上軍の戦力は?

慶長出羽合戦で現在考証されている兵力は
直江軍18000~25000
最上軍7000(内2000は小野寺勢と対抗)
伊達軍3000
くらいではないかと言われている。

ただし最上軍5000の内
畑谷城350
長谷堂1000と推定されているため
最上義光直参は約3500余

伊達の援軍は終始小白川(現在の山形大学~山形南高付近)で
眺望していた為に実際の
上杉と最上の兵力差は少なく見積もっても約4対1

最上家には火縄銃2000があり、その大半を長谷堂に運び込み、
最上流(日置流へぎりゅう?)鉄砲術(一人が打ち、
後方何人かが撃った人間に弾込めの終わった銃を渡していくという
変則的三段撃ちの様な形態)を採っていたといわれる。

関ヶ原の敗戦で撤退する直江軍を最上軍は殲滅出来なかったと
言われるが、1人で4人を相手取る様な戦いに殲滅戦を行えるはずもなく、
半日で十数回、数Kmの範囲に渡る大激戦が繰り広げられた。

政宗に「最上の兵が弱すぎて」と手紙にも残される戦いだが
最上側では「味方の戦死者623人敵の戦死者1580人」
上杉側は「敵の戦死者2100余り」とするこの戦いの元の兵力さも考えてほしい。

949:人間七七四年
10/05/15 07:03:09 rctcm5mW
寄り道っていうかスレチだわな

950:人間七七四年
10/05/15 09:05:24 oNCzHPjV
>>941
これって、力士の像を脅迫した悪い話の気が…

951:土井利勝
10/05/15 12:48:51 WvQmC/3f
「人物はよほど親しくならないと分かるものではない。
玄関で見た来客をたいしたことはないと思っても、書院でじっくり話すと見直すことがある。
その時に見直さなかったとしても、居間で話をしてハッとさせられることだってある。
つまり、人間は少しの印象だけで判断できるものではない。

……とはいえ、やはり玄関先の印象を良くすることが一番大事なことだ。
玄関先から書院に通して話す人など十人中、四人か三人、居間ともなれば一人いるかどうか。
見直されるような人物でも玄関で終わっては意味がなかろう?特に若者は心に留めるがよい。」

952:人間七七四年
10/05/15 13:15:03 /n6j8nFy
至言だ

953:人間七七四年
10/05/15 15:38:09 Z4aPjvNI
>>950
娘を思う良い話とも

954:人間七七四年
10/05/15 15:55:07 Z4aPjvNI
>>951
鮭延秀綱「若者でないのですが、預かり身のワタクシは?」

955:人間七七四年
10/05/15 19:08:40 Jz9RsHjR
>>951
お~、オレもこう思ってるんだよ。
よくさ、人は見かけだけで判断するもんじゃないっていうけど
見かけでもよく見られたほうがいいわけじゃん

オレはいつもそれをうまく説明できなかったんだけど
土井さんのこの言葉なら誰でも分かるな
さすがに歴史に名を残す人は違う

956:人間七七四年
10/05/15 19:59:59 WQrrrjwg
長谷堂城を攻めていた直江兼続の軍が、関ヶ原での西軍の敗北を聞き撤退を開始。その時のことである。

上杉景勝家臣の小田部大学という者が直江兼続に向かい
「直江殿、私は伊達政宗の家臣、石川弥兵衛に言いたいことがあるので、少々陣を離れても宜しいでしょうか?」

これに兼続
「なんだか良く解らんが、何か考えがあるのだろう。まあ、良いだろう。」と許可した。
小田部は大いに喜び、門田と言う所までただ一騎駆け帰り、伊達軍の旗の見えるところまで来ると馬を止め、
大声で呼びかけた

「私は上杉景勝の郎党、小田部大学というものである!伊達殿のご家中である石川弥兵衛殿に対面したい事があって
ここに罷り来た!」

これを聞いて石川弥兵衛、これも一騎伊達軍の中から出てきた
「石川弥兵衛である!何事か!?」

「おお、石川殿か!私は今度の合戦での、お主の武勇の程に大いに感じ入った!
お互い知っての通り我らは撤退するが、次の合戦の時には是非相見えんと思い、ここに暇乞いに来た!」

石川、これを聞いて吹き出した
「あっはっはっは、上杉殿のご家中に武勇の士は多いと言っても、小田部殿の働きは特に目を驚かせていたので、
機会があればぜひ対面したと考えていたのだが、いやはや、はるばるここ迄、ただ一騎敵の中を帰ってくるとは、
まさしく日本無双の剛士である!」

「では、又会おう!」
「また、戦場で。」

そうして小田部は再び、上杉勢の元に戻って行ったと言う。

厳しい戦場における、勇者同士のエール交換であった。


957:人間七七四年
10/05/15 21:08:40 JVnlT+ew
一瞬、アッー展開かと思ったが、純粋にいい話だね

958:人間七七四年
10/05/15 21:56:57 J3S04hwy
互いにいつか手合わせする日を思い描いて(股間の)槍を扱くのであった
で、どうだ?>>957

959:人間七七四年
10/05/15 22:38:32 JVnlT+ew
無理やりしなくていいw

960:人間七七四年
10/05/15 22:58:09 +kJ9pxKT
地元民だが、「門田」の現在地名は「門伝」だと思う。
直江が登ったものの霧で山形城が見えなくて「こりゃ霞城だろ」って文句言った富神山の麓らへん。
上杉の陣がある菅沢山から直線で1.5kmくらいだが、当時の悪路ならもっとあるはず。
そこを単機駈けって小田部半端ないわ。

961:人間七七四年
10/05/15 23:01:16 WwPs8c76
>>956
「山形県史」「山形市史」「仙台市史」に慶長出羽合戦で
伊達勢が関ヶ原敗戦が分かるまで戦った表記は一つもなく
「静観」「傍観」していたまたは「笹谷から撤退する準備」や「折あらば上杉勢より先に山形城に侵入しようとしていた」といったものしか見受けられないんだが。

962:人間七七四年
10/05/15 23:21:12 WwPs8c76
>>956
『武辺咄聞書』第106話〜第110話
109酒井讃岐守忠勝家来杉原彦左衛門物語に、

政宗は前方に仙台を出、国見峠を越し、信夫郡瀬の上の川を渡り、小山に陣城を構へ被居候に付、四月廿六日の曙に二万計にて小山打立。但柴田小平治・中目大学・石川弥兵衛等五千を分け、簗川の城を押へ、政宗は一万五千にて松川へ取掛る。

山形じゃないんじゃないか?

963:人間七七四年
10/05/15 23:37:45 9kreQnm0
>折あらば上杉勢より先に山形城に侵入しようとしていた

信長の野望で援軍頼まれた時は、常にこれ狙ってやってたw

964:962
10/05/15 23:44:48 WwPs8c76
すまん、中身見てなかった
962は奥州仕置きだ。

でも柏倉門伝から留守軍居留地(小白川)まで山形城の二の丸南側突っ切るし、
軍の配置的にも距離的にも無理な気がする。

965:人間七七四年
10/05/16 00:04:14 HebH+NWn
ID:WwPs8c76

【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
スレリンク(sengoku板)


966:人間七七四年
10/05/16 14:05:58 EUKL1v67
「…オレはありがたい事に、名君・義久公の実弟として生まれ、ガキの頃に自分から進んで戦場に身を置いた。
(予、辱(かたじけな)くも義久公之舎弟と為り、少之時自ずから身を弓箭之事に委ねる。)

わが島津家が、始めは周囲の国を懐柔してきたが、後に関係が危うくなり、他家と対峙せざるを得なかったからだ。
主命を奉じてからは、幾度も危険な山野を駆け抜け、数十年の間、まともな屋根のある家で休む事は少なかった。

おかげで東に戦い、西を討ち、日本国中を甲冑を着て巡り、ついには数年間、朝鮮にまで足を運んだ。
しかし、そうしてオレが敵を斬り、功を立てた事により、今の世に及び天下泰平、国家安寧の時を迎えたのは、
オレにとって実に生前の本懐、死後の名誉ではある。」



島津惟新入道義弘、「鬼石曼子」と呼ばれた猛将晩年の、自信に満ちた独白である。

967:人間七七四年
10/05/16 14:34:41 Whm/VX48
辞世の句はなんか寂しいのになぁ

968:人間七七四年
10/05/16 21:03:20 hUh25fK5
中村一氏は秀吉の最も古くからの家臣の一人であり、様々な戦いに参加し、武功を挙げてきた。
小牧長久手の戦いの際に雑賀・根来衆の一揆から岸和田城を守り抜いた功により、翌年には近江水口城主となり、従五位下式部少輔に叙任される。

一氏は秀吉の家臣団の中でも、とくに武勇に優れた人としてその名を知られていた。
賤ヶ岳七本槍の一人・加藤嘉明などは、一氏の武勇にあやかりたいと思って、息子の明成を式部少輔にしたほどであった。


しかし、式部少輔を受け継いだ加藤明成という人物は、どうにも評判が良くない人物であった。
家臣団と対立し、度重なる城郭改築からくる財政難のために圧制を敷き、民から金を巻き上げていった。

それもただ金銀を集めるのではなく、彼が集めたのは一分金ばかりであった。
人々は官名の式部少輔に引っ掛けて、加藤一分殿と揶揄したという。



式部少輔にまつわる、中村一氏のいい話と加藤明成の悪い話。

969:人間七七四年
10/05/16 22:34:10 InM/dQp8
『旧悪』

年末・・・

「秀忠さま、年末ですし○○に一時米でも賜れてはいかがでしょう」
○○とは徳川秀忠の近臣で、罪あって禁固処分を受け、許された者だった。

「何を言うか。一時米なんて言わずに旧禄の通りにせよ。処分が済んだ以上、奴の罪は消えている」
秀忠の一言で○○は没収された本領を返された。

970:人間七七四年
10/05/17 11:55:58 psMffXJB
秀忠信賞必罰徹底してんなー。
罰を受けたらそれでもう終わり!とまではなかなか言えん。

汚点でどうのとかそういう考え方ないのはすばらしい

971:人間七七四年
10/05/17 16:12:56 Wd8fOo9W
売りサイン出たなう。1.2312S

972:人間七七四年
10/05/17 16:14:14 Wd8fOo9W
すまん誤爆・・

973:人間七七四年
10/05/17 16:16:57 oERtTxGs
秀忠は乱世なら凡庸な君主で終わっただろうけど
凡人では到底及ぶことのできない何かを持っている。
家康の後いきなり家光だったら徳川家やばかったんじゃないか?

974:人間七七四年
10/05/17 17:41:07 gsvWZv3p
土井や智恵伊豆などがいてもダメか?

975:人間七七四年
10/05/17 18:03:56 audqh4y4
そろそろ次スレ立ててみる

976:人間七七四年
10/05/17 18:06:47 audqh4y4
ダメだった。誰か頼みます

↓スレタイ

戦国ちょっといい話20

↓テンプレ

戦国のホロリとくるエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
URLリンク(iiwarui.blog90.fc2.com)
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっといい話19
スレリンク(sengoku板)

姉妹スレ
戦国ちょっと悪い話19
スレリンク(sengoku板)

このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
URLリンク(iiwarui.blog90.fc2.com)

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
スレリンク(sengoku板)


977:人間七七四年
10/05/17 18:09:56 HohRl8kQ
じゃあ、立ててみるよ


978:人間七七四年
10/05/17 18:11:54 HohRl8kQ
うわ、俺もダメだった。誰か頼んだー


979:人間七七四年
10/05/17 18:15:18 MNzX+Pxz
では某が

980:人間七七四年
10/05/17 18:18:03 MNzX+Pxz
立ち申した

スレリンク(sengoku板)

当スレを消費後にお使いくだされ

981:人間七七四年
10/05/17 18:36:09 QiygHxhx
>>980
忠孝、大儀である

982:人間七七四年
10/05/17 18:41:26 psMffXJB
>>980
天晴れなスレ立てである。
卒のない仕事振り大いに感じ入った

ささ備前より取り寄せた茶を一服…

983:人間七七四年
10/05/17 18:52:24 KHzDgzAH
いや、>>980殿
何とも見事なスレ立てで
まこと感服つかまつりました
備前殿の茶もよろしいが

こちらに東国より取り寄せた鮭もございますぞ

984:人間七七四年
10/05/17 19:11:44 audqh4y4
>>980
乙です。埋め替わりに

永禄11年(1568)、毛利元就に通じた立花城主、立花鑑載による大友宗麟への二度目の反乱は
戸次道雪らの活躍により鎮圧。降伏した立花鑑載は処刑された。

さて、その首を宗麟が実検したときのこと、鑑載の首は宗麟の前に出されるととたんに目を見開き、
宗麟を睨みつけたのだ。
しかしこの時宗麟は慌てず、こんな歌を詠んだ

『立花は 昔をとこになりにけり うひかふり(初冠)する心地こそすれ』

意味は「立花鑑載よ、こうして対面して私は、昔お前が元服して、初めて冠を被った時を思い出す。
その時の気持ちがよみがえるようだ。」と言うことであろうか。

これを詠むと、とたんに鑑載の首は動き出し、再び目を閉じた、との事である。

985:人間七七四年
10/05/17 19:15:55 UGL5nTc7
>>984
宗麟は和歌の腕は一級品だよな
キチガイだけど

986:人間七七四年
10/05/17 20:26:45 xdSlzRtG
久々に鮭ネタが出ていたので、埋め替わりの動画紹介
URLリンク(www.nicovideo.jp)

この動画、このスレ覗いてるやつが作っただろ

987:人間七七四年
10/05/17 20:44:55 jOWnqalp
>>986
こwれwはwww

988:人間七七四年
10/05/17 22:19:44 8yHZonb5
いい話だ

織田信孝は1582年に四国征伐の総司令官に任ぜられ、織田氏の宿老・丹羽長秀や従兄弟の津田信澄らを付される。
堺にて渡海の準備の最中に本能寺の変が勃発。
しかも逃亡兵が相次いだため、積極的な行動はできず、
従兄弟の津田信澄を殺害した程度である。
その後摂津国富田で「中国大返し」後の羽柴秀吉軍に合流、名目上は総大将として山崎の戦いに参戦し、仇である明智光秀を撃破した。

清洲会議では信長の弔い合戦の総大将であったにも関わらず、その存在は羽柴秀吉によって無視され、
織田氏の後継者は信孝の甥の三法師に決定し、信孝は三法師の後見役として兄・信忠の領地であった美濃国を与えられる。
その後、織田氏宿老格の柴田勝家・滝川一益らと結び、
同年12月、三法師を擁して秀吉に対して挙兵する。
しかしこの挙兵は秀吉の迅速な行動によって降伏せざるを得なくなり、降伏して人質を出し、三法師を秀吉に引き渡した。

翌、1583年、賤ヶ岳の戦いが起きると、信孝は再度挙兵する。
しかし同年4月に居城の岐阜城を包囲され、頼みの柴田勝家も北ノ庄城で自害すると開城して降伏した。
信孝は尾張国知多郡野間(愛知県美浜町)の大御堂寺(野間大坊、平安時代末に源義朝が暗殺された場所)
に送られ、迫られて自害した。享年26。命日は4月29日(西暦6月19日)と5月2日(6月21日)の二説がある。

辞世の句は「昔より 主を内海の 野間なれば 報いを待てや 羽柴筑前」(「内海」を「討つ身」とかけている。
信孝の秀吉への激しい怒りが感じられる句となっている)。
この辞世が現実のものとなるのは、それから32年後のことであった。

989:人間七七四年
10/05/17 22:42:11 T4zJhiYo
>>986
おまけが難易度高すぎるだろ・・・w

990:人間七七四年
10/05/18 00:05:19 n9GgBHUx
>>984
伊勢物語にひっかけてあるんだね
「昔をとこ」は伊勢物語の常套句だし、「初冠」は最初の章の話題だし
立花、お前も最初はあんないい男だったじゃん、てことなのか

991:人間七七四年
10/05/18 00:08:22 bo2SKpDY
>>973
なんとなくだけど、家康の後、すぐ家光だったら、
家光の代は大丈夫でもその次がヤバくなりそうな気がする。

992:人間七七四年
10/05/18 00:17:58 BXJX2/Bd
家光はいかにも戦争を知らないナチュラルボーン将軍だから、二代目はあり得ないんじゃないかなあ

993:人間七七四年
10/05/18 00:20:11 Gyf7WKsp
家康のあと、信康や秀康でもなんか秀忠のようにうまくいったとは思えない。

994:人間七七四年
10/05/18 00:23:21 8S03LsYD
大坂の陣まではその分家康が苦労することになったけどねw

995:人間七七四年
10/05/18 08:13:48 iwHeB8Gr
現代の企業訓における初代が創業、二代が守成云々は徳川幕府を意識してるんだし
逸話的にはともかくトータルでは評価されてる人物だと思う>秀忠

996:人間七七四年
10/05/18 09:32:40 7ka7HR3N
>>988
ごめん。
どの辺が「いい話」で、どの辺が「逸話」なんだ?
ただ織田信孝の概略を書いているだけじゃねーか。

997:人間七七四年
10/05/18 10:32:17 H6s7wqlo
疑心暗鬼に陥って娘婿という理由だけで、有能な信澄を殺してしまった上に
知性の欠片も感じられない辞世の句を残したことにされた悪い話ですね分かります

998:人間七七四年
10/05/18 10:50:05 5j5bImY6
>>995
徳川幕府は日本の組織史上でも最高の成功例だからね。

>>996
その人いつもそんなのばっかり投稿してる人。スルーした方がいいよ。

999:人間七七四年
10/05/18 15:33:42 zBtyv3Ar
辞世の句関連で秀吉への復讐が果たせたよ!という文をわざわざ探してきたのに、ふざけたこと書かれてむかついた

1000:人間七七四年
10/05/18 15:35:18 zBtyv3Ar
久々に真剣に腹が立ったので、サイトから無断転載しまくって逸話を全部なくしてスレ終了させる

1001:1001
Over 1000 Thread
      /    `ヽ、
      ー┬―─‐ァ
      / ̄ ̄ ̄ ̄,l,
    _/     ,、r'" _」
.    | ̄ ̄ ̄ ̄ ,、r:''゙ヽ、
   /`'''''''''''''''''''" ヽ::::::::::ヽ
   /  秀家    ゙ヽ:::::::::',   ごくろう。このスレはみごと統一された。
  ゙|゙゙゙'''   ‐‐''""'  ';:::;r==,、  さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
.  |エi> ,'  イiエ>  レ'゙,r .,l }  
  i.  /         Y./ノ   さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
  l  {  .、          /      
  ',  ` ''  '       rTヲ
   '、 `'ー‐''"    / lzュ、__
---‐ヽ  -'     /  〃ィ ヾ'‐,--        
 / | |iゝr;ァ--‐''"   〃/./  l  |         戦国時代(仮)@2ch掲示板
./  | | ',ヾ゙      / / /  /  l        URLリンク(hobby9.2ch.net)


最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch